カテゴリ:成田一徹
昨日、うらんかんろの30年来の友人でもある、切り絵作家・成田一徹さんを偲ぶ会(神戸)が無事に終わりました。朝から会場設営、展示飾り付け、司会進行、ピアノ伴奏、終わってからの撤収作業と、ずっと動きづめだったので、今朝は、太ももや背中が少し痛かったです(笑)。
JR住吉駅近くの会場には、親しかったバー関係、マスコミ関係はもちろん、懐かしい友人の方々がたくさん、成田さんを偲び、思い出を語り合うために集まってくれました。その数273名、200名が収容能力の限界と聞いていた会場のホールでしたが、隣接のロビーも使って混雑緩和をはかった結果、なんとか大きな事故もなく、無事イベントを終えることができました。小さなハプニングもありましたが、「終わりよければすべて良し」という諺通りの、素晴らしい偲ぶ会だったと思います。成田さんはきっと、懐かしい顔とたくさん再会できて喜んでくれていると信じます。 会場には、成田さんの30年以上にも渡る画業をすべて振り返る数多くの原画や資料や愛用品を展示しました。初めて出品されるデビュー前や初期の作品には、参加者も食い入るように見つめていました。おそらく、過去の彼のどんな個展よりも展示の幅広さでは充実した内容になったと自負しています。 ![]() 発起人代表をつとめ、冒頭の挨拶をしてくださった地元・神戸のバー・サヴォイ北野坂の木村義久さんには、感謝しきれません。木村さんが業界対応、メーカー対応をしてくださったおかげで、我々は裏方に専念できました。 献杯の音頭をしてくださった静岡・沼津のバー・ヴィクトリーの河守勝次郎さんも、遠い所を本当に有難うございました。河守さんが音頭をとってくださったお陰で会が引き締まりました。大好きだった河守さんに会えて、成田さんの壇上の遺影も心なしか喜んでいるように見えました。 献杯の後しばらく歓談。そして、懐かしい成田さんの映像が記録されたDVDを会場のみんなで観ました。最初に上映したのはここ10年以内の、比較的最近の映像でしたが、2本目に上映したテレビ出演時の映像は1992年のもの。成田さんは43歳でした。映像を見て会場からはあちこちから「若いなぁー!」と声が上がりました。 加えて、テレビ出演時の映像には、今は亡きバーリイ浅草の佐野マスター、当時神戸を代表していた伝説のバー・ルルの長原マスター、そしてこの日会場にも来られていたバー・タイムの宇座マスターの若き姿も登場しました。ルルの長原さんは伝説の氷切りで有名だった方ですが、この日地参加した若いバーのマスター、バーテンダーの皆さんは当然本人に会ったことはなく、氷切りの実際の動く映像で観るのは初めてだったと思います。会場では、皆さんしっかりその映像を目に焼き付けているかのようでした。 しかし、それにつけても、動く映像とともに会場に流れる成田さんの大きな生の声。それを聞くと、改めて「彼が亡くなったことが信じられないなぁ」「会場のどこかにいてるみたいやなぁ」という参加者もいました。うらんかんろも同じ思いです。映像での成田さんは、永遠に歳をとりません。 スピーチは様々な方にお願いしました。参加者代表で挨拶をしてくださった成田さんの母校、大阪経済大学の徳永光俊学長をはじめ、雑誌「あまから手帖」の編集長・中本由美子さん、サントリー・チーフブレンダーの輿水精一さん、長年一緒に3人展を続けてきたウノ・カマキリさん(漫画家)&楢喜八さん(挿絵画家)、成田さんとたびたび一緒に仕事をされた酒場評論家の太田和彦さん、秋田から駆けつけてくれたバー・ルヴェールの佐藤謙一さんら。とりわけ、マイク180度回して、壇上の遺影に向かって、涙を流しながら語りかけた佐藤さんの真心こもった挨拶は多くの方の胸を打ち、心にしみました。会場ではもらい泣きする方もいました。 成田さんとは古くからの友人で、今回、忙しいスケジュールをぬって偲ぶ会に参加してくれた歌手の大西ユカリさんからは、成田さんに捧げる献歌もありました。曲は古いゴスペルソウルの名曲「That Lucky Old Sun」。ユカリさんはご自分のCDで何度か録音していますが、日本語バージョンで歌ってくれました。この曲を選んだのは、「歌詞がなんとなく成田さんの雰囲気っぽいし…」とのことですが、Wikipediaで調べると、偶然ですがこの曲は成田さんが生まれた1949年に出来た曲というのもわかって、この偲ぶ会にぴったりの曲になったと紹介してくれました。 ピアノ伴奏は、不肖、素人ピアニストのうらんかんろが、僭越ながらつとめさせていただきました。サプライズでやろうと思っていたので、ユカリさんが歌うことは内緒でした。受付時に参加者にお配りした式次第には、ただ「献歌」としか書きませんでした。献歌の主役がユカリさんであることは、発起人は誰も知りませんでしたし、世話人でも知っていたのは、4人だけです。 僕がまず、10年前の大阪・新世界のバーBABYでのユカリさんとの出会いを紹介しました。元々ユカリさんと友人だった成田さんに連れられて行った切り絵の取材で、マスターがユカリさんを携帯で呼んでくれて、ご一緒したのが最初です。それから10年後、ユカリさんの伴奏をすることになるなんて、夢にも思いませんでした。 最初のしゃべり(MC)で会場を沸かせ、参加者はすっかりユカリさんのとりこなりました。歌も想像通り、素晴らしいものでした。その圧倒的な歌唱力と表現力。伴奏の僕は歌に付いていくのが大変でした(というより、ユカリさんの歌に引っ張ってもらったというのが正しいかも)。偉大なソウルシンガー、大西ユカリの伴奏をさせてもらえるだけでも光栄なのに、それが成田さんを偲ぶ会の場であったことは、僕にとっても、おそらくこれまでの人生の最高に幸せな瞬間の一つであり、天上の成田さんの耳にもきっと届いたと信じています。 最後には、成田さんの奥様・素子様から「多くの皆さんに支えられ、一徹は切り絵作家の矜持を胸に旅立つことができました」など心にしみる挨拶がありました。会には、最後までたくさんの友人が残って、名残を惜しんでくれました。忙しい中、参加された皆さま、そして裏方で頑張ってくれたスタッフの皆様、本当に、本当に有難うございました。司会進行&ピアノ伴奏等で忙しく、写真は撮れなかったので、そのうち撮ってくれた友人から写真が貰えたらアップいたします(それまでの間は、切り絵でご容赦ください)。 こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/02/03 05:14:30 PM
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