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2021/07/01(木)10:44

【改訂新版】カクテルーーその誕生にまつわる逸話(50)Mai-Tai/5月18日(木)

カクテル誕生の逸話(152)

 50.マイタイ (Mai-Tai) 【現代の標準的なレシピ】ホワイト・ラム(45)、オレンジ(またはホワイト)・キュラソー(10)、パイナップル・ジュース(10)、オレンジ・ジュース(10)、レモン・ジュース1tsp、クラッシュド・アイス、ダーク・ラム2tspを最後にフロートし、フルーツ(オレンジ・スライス、チェリーなど)を飾る 【スタイル】シェイク  トロピカル・カクテルの代表格で、1940年代半ばに誕生しました。「トロピカル・カクテルの女王」の異名もあります。誕生の由来については、代表的な以下の2説がありますが、欧米でも(1)の説が多数派です。  (1)1944年、サンフランシスコ近郊、オークランドのレストラン・オーナーだったヴィクター・J・バージェロンが考案した(出典:Wikipedia英語版ほか多数。※Victor J. Bergeronの名前の読み方は、日本では「バーロジン」と表記している文献が多いですが、綴りからすると誤記と思われます。本稿では原音に近い「バージェロン」と表記します)。  カクテル名の由来について、バージェロン自身がその著書「Trader Vic's Bartender's Guide」(1947年刊)の中で、以下のように説明しています。  「私は自分が考案した新しいカクテルの最初の2杯を、たまたまこの日、タヒチからレストランに来てくれた私の友人夫婦、ハム&キャリー・ギルドに飲んでもらった。キャリーは一口飲んだと同時に、『マイタイ ロア アエ!(Mai Tai Roa Ae)』=タヒチ語で「この世のものならず、最高!」の意味=と叫んだ。私はその『マイタイ』という言葉を、そのままカクテルの名前にもらった。『マイタイ』は評判を呼んで、その後数年のうちに、カリフォルニア州全域やシアトル(のレストランやバー)で普及していった」  バージェロンのオリジナル・レシピは、彼の著書「Trader Vic's…」に掲載されているレシピと、Wikipedia英語版が「バージェロンのオリジナル」として紹介しているレシピには、以下のような分量の微妙な食い違いが見られます(どちらが正しいのかと聞かれたら、やはりバージェロン本人の著書に軍配を上げざるを得ませんが…)。 ・バージェロンの著書掲載のレシピ  ジャマイカ・ラム60ml(またはダーク・ラム&マルティニーク・ラム各30mlずつでもよい)、オレンジ・キュラソー15ml、オルジェート・シロップ7.5ml、ロックキャンディ・シロップ=以下【注】ご参照=7.5ml、ライムジュース1個分、飾り=ライム・スライス、生ミント、フルーツ・スティックなど(シェイク) ・Wikipedia英語版がオリジナルとして紹介しているレシピ  ラム60ml(17年物のJ. Wray & Nephew Rum)、オレンジ・キュラソー(Holland Dekuyper社)15ml、オルジェート・シロップ15ml、ロックキャンディ・シロップ7.5ml、ライムジュース1個分、飾り=ライム・スライス、生ミント(シェイク)  【注】ロックキャンディは米国で人気のあるステック状の氷砂糖菓子。その氷砂糖でつくったシロップには、オリジナルのフレイバーが付いていることが多い(現代のバーではマイタイにはほとんど使用されていません)。  ※なお、マイタイの考案者名について日本では、「トレーダー・ヴィック(ス)(Trader Vic’s)」(出典:PBOのHPほか)としている資料も目立ちますが、これはバージェロンがオーナーをしていたレストランの名前(バージェロンのニックネームで、後に全米各地で展開する有名レストラン・チェーンの名)と混同したことによる間違いです。  (2)1933年、ハリウッドのレストラン&バー経営者(オーナー・バーテンダー)、ドン・ザ・ビーチコマー(Don the Beachcomber、本名アーネスト・レイモンド・ボーモン・ガント Ernest Raymond Beaumont Gantt 1907~1989)が考案した(出典:Wikipedia英語版ほか)。  ビーチコマーのレシピは、「ダーク・ラム15ml、ゴールド・ラム20ml、コアントロー1.5tsp、シュガー・シロップ15ml、ファレナム(Falernum)・シロップ=【注】ご参照=3dash、グレープフルーツ・ジュース15ml、ライム・ジュース20ml、アンゴスチュラ・ビタース1dash、ペルノーまたはアニゼット0.5dash、ミネラル・ウォーター30ml、シェイクしてクラッシュド・アイスを詰めたトール・グラスに注ぐ」という複雑なものです(出典:英国Wikibooks)。  【注】アーモンド、ジンジャー、クローブなどの香りが付いたカリブ産のフレイバード・シロップ。トロピカル・カクテルによく使われます(出典:Wikipedia英語版)。  ビーチコマー自身は生前、「マイタイを考案したのは、バージェロンではなく自分だ」と主張していたことでも知られていますが、バージェロンのレシピとかなり違ううえ、1933年に考案し、その時点で「マイタイ」と名付けたという根拠資料は明示されていません。  欧米のカクテルブックで「マイタイ」が初めて紹介されたのは、ヴィクター・バージェロン自身の著書「Trader Vic's Bartender's Guide」(1947年刊)です。現代のレシピでは、オレンジ・ジュースやパイナップル・ジュースも使い、クラッシュド・アイスを入れたグラスに注ぎ、最後にダーク・ラムをフロートさせますが、これはバージェロンのレシピには見られません。後年に、様々なバーテンダーによってアレンジされていったものが定着していったと思われます。  マイタイは、バージェロンの考案から9年後の1953年、彼自身がハワイのいくつかの大手ホテルに紹介したこともあって、ハワイ州全域に広く普及しました。1950年代から米本土~ハワイ間の航空機の機内ドリンクに採用されたりしたこともあり、米本土でもその知名度は急速に高まっていきました(出典:Trader Vic's Bartender's Guide P162~64)。  ご参考までに、1960~80年代の欧米のカクテルブックでマイタイのレシピをいくつかみてみましょう。 ・「Mr. Boston Bartender's Guide(ミスターボストン・バーテンダーズ・ガイド)」(1965年版)米  ラム60ml、キュラソー30ml、オルジェート・シロップ15ml、グレナディン・シロップ15ml、ライム・ジュース15ml、パウダー・シュガー0.5tsp、クラッシュド・アイス(シェイク) ・「The Bartender's Standard Manual」(フレッド・パウエル著、1979年刊)米  プエルトリコ・ラム1ジガー(約45ml)、キュラソーまたはトリプルセック2分の1ジガー、ライム・ジュース2分の1ジガー、ファラナム・シロップ0.5tsp、クラッシュド・アイス(ビルド)  ・「The Book of Cocktails」(ジェニー・リッジウェル著、1986年刊)英  ライト・ラム60ml、ジャマイカ・ラム30ml、オレンジ・キュラソー15ml、オルジェート・シロップ15ml、レモン(またはライム)・ジュース15ml、クラッシュド・アイス、飾り=生ミント、パイナップル・スライス、マラスキーノ・チェリーなど(ビルド)  「マイタイ」は、1950年代には日本へ伝わっていたと思われますが、カクテルブックに登場するのは、現時点で確認できた限りでは、1970年代になってからです。 【確認できる日本初出資料】「バーテンダー教本」(銀座サントリー・カクテルスクール編、1970年)。そのレシピは「ライト・ラム45ml、ホワイト・キュラソー1tsp、パイナップル・ジュース1tsp、オレンジ・ジュース1tsp、レモン・ジュース0.5tsp、シェイクしてクラッシュド・アイスを詰めたオールドファッションド・グラスに注ぐ。デメララ・ラム2tspをフロートさせ、オレンジ、パイナップル、レモンの各スライス、マラスキーノ・チェリーを飾る」とあります。  ※注目すべきは、欧米のレシピではあまり見られないダーク・ラムのフロートがここで見られることです。ひょっとして、ダーク・ラムのフロートは日本人が考えたスタイルかもしれません。  なお、この同著ではマイタイの起源について、「ハワイのホテル・ロイヤルハワイアンのコック長、フレッド・ミヤケ氏が創案した」と記していますが、その根拠資料・データは明示されていません。ネットで調べると、フレッド・ミヤケ氏は実在していた人物で、ハワイの「Trader Vic's」レストランでマネジャー経験もある方とのことですが、欧米の専門サイトでこの説を支持しているところは皆無です。 ・こちらもクリックして見てねー!→【人気ブログランキング】

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