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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 177

新しい関係  ぴかろん

雪がちらつく朝、俺は店を出て通りを歩いた
橋の真ん中に立って川をぼんやり眺めていた
一晩中泣きながら考えた
俺の気持ちをどうすればいいのかを
たくさんは選べない
ひとつだけ…
答えははじめから解っている
答えが解っていたから認める事を躊躇っていたんだ
それでも俺自身の気持ちを認めた事で、俺は前に進む事ができそうだ
「ラブ…サンキュ…」
口に出してそう言って、俺はフフっと笑った

「イナヤ~!」
「ん?」
誰かが俺を大声で呼んだ
振り返って凍りついた
ヨンナムさんだ…
明るい笑顔で俺に向かって手を振っている
大丈夫か?
やれるのか?

大丈夫
やれる…
俺は唾を呑み込んで顔をあげ、ヨンナムさんに笑顔を返した

イナが昨日の服のまんま、橋の真ん中に突っ立っていた
店に泊まったんだろうか…
昨日もみんなの中でテジュンにあんな色っぽいキスをしたりして
あいつ…無理してるんじゃないだろうかと思った
声をかけると驚いた顔を見せた
そして
ふっ切れたように笑った
笑顔がキラキラしていた
なにか
乗り越えた?
わかんないヤツ
泣き虫で子供だと思ってたのに
ひとりで乗り切ったの?
不思議なヤツ
僕はイナを車に乗せた

「お前…泣いた?」
俺はびくりとしてヨンナムさんを見た
「なんで?目が赤い?」
「いや、なんとなく…」
「かまかけてんの?」
「…」
「ヨンナムさん、勝負師になれるんじゃない?」
「は?」
「俺、笑ってるだろ?」
「ああ…。帰らなかったの?昨日」
「うん…色々…整理してたら朝になっちゃった。色々整理できてすっきりした」
「じゃ、よかったの?」
「うん。よかった」
「そうか…」
「心配してくれてたの?」
「昨日も無理してたんじゃないかって思ってさ…あの馬鹿は思いつめると周りが見えなくなるから…。夕方話してた時は落ち着いたのにな…まさかあんな顔してお前のとこに来てるなんて思わなかった…」

「もう大丈夫だよ」
「…。ね。朝飯食いに来ない?」
「え?」
「当然まだでしょ?朝飯…。おいでよ」
「…」
「テジュンもいるし」
「テジュン出勤だろ?」
「うん。でも今日は遅めでいいとか言ってた」
「ふぅん」
「決まり」
「え…」
ヨンナムさんは半ば強引に俺を家に連れて行った

引き戸を開けると居間が見える
テジュンがぼんやりと座っている
ヨンナムさんに声をかけられて俺の方を見る
ちょっと険しい顔をしてヨンナムさんに何か文句を言っている
俺はテジュンの隣に座って困惑顔を眺める
お前…そんなに俺の事…好き?
俺のどこがそんなに好き?

ヨンナムさんが朝御飯の用意をしてくれた
俺達三人で食卓を囲んだ
テジュンは俺のご飯の上にちょこんちょこんとおかずを置いてくれる
ヨンナムさんは俺に汁物も食えと言う
睨み付けるテジュン
睨み返すヨンナムさん
吹き出す俺

大丈夫
やれる…
これでいい…

飯を食い終わるとテジュンはヨンナムさんにコーヒーを淹れろと言った
豆から挽けよ!めちゃくちゃ旨いの淹れてくれなんて我儘に
ヨンナムさんは、お前会社行かなくていいのか!ときつい口調で言った
まだ大丈夫だとテジュンは言い返し、とにかく早くしろと命令した
僕はイナに美味しいコーヒーを淹れてやるんだからな!お前のためなんかじゃないんだからな!待っててねイナと言いながら
ヨンナムさんは台所に消えた
途端にテジュンの腕が俺の肩に巻きつき、俺を引き寄せる
俺の髪に顔を埋めて大きく息を吸うテジュン
こら…ヨンナムさんが…
言いかけた俺の唇を塞ぐ

…そんなに…俺が…好き?

応える俺
熱く這い回る舌

コーヒー飲んだら一緒に出るんだぞ!
…ん…解ったよ…
僕と一緒にここを出るんだぞ!
…ん…解ったからさぁ…

止まらないキス
俺は台所を注視する
ふいに出てきたヨンナムさんと目が合ってしまった
俺はテジュンを押し戻そうともがいたが、テジュンは俺を離さない
ヨンナムさんはハァっと大きくため息をついて
いい加減にしろよどスケベと言った
そしてカップをトントントンと三つ置き、コーヒーポットからコーヒーを注いだ
いい香り…
だろ?
ふん!
淹れてもらったコーヒーを一口飲んだ
三つ…
テジュンが呟いた
ヨンナムさんも俺も、手を止めてテジュンを見た
テジュンは後を続けず、コーヒーを飲んでいる

三つ…
テジュンとヨンナムさんと彼女の三人
テジュンとヨンナムさんと俺
そういう意味?
それとも意味は…ないの?

あっ!ヤバ!早く飲み干せ!もう行かなきゃ!ゴクゴクあちちっ

テジュンは急に慌てだした
大急ぎでコーヒーを飲み干し、バタバタと鞄と書類を抱えた
俺に早く早くと声をかけながら靴を履いている
俺が動こうとするとヨンナムさんが制し、
お前自分勝手な事ばっかり言うな!イナは僕がちゃんと送り届けるから安心しろ!と言った
お前が送り届ける事がどんなに不安か!とテジュンが返すと
馬鹿か!とヨンナムさんが怒鳴りつける
イナはまだコーヒー飲んでない!へんな心配するんじゃない!と更に怒鳴る
お前の都合でイナを振り回すのはやめろ!
振り回してなんか…

俺はコーヒーを飲む
二人はしばらく言い争っていた
てじゅ…おくれるぞ
おれ、これのんだらあるいてかえるからしんぱいするな
そう言ってやるとテジュンは少しだけ不満そうな顔をしながら解ったと言った
出て行くテジュンを手を振って送り出し、俺は残りのコーヒーを飲んだ
ごちそうさまを言って立ち上がろうとすると、ヨンナムさんが俺を引き止めて言った

「いいじゃないかもう少し。小鳥のイナの世話してよ」
「あ…」

それで俺は小鳥のえさを代え、水をやった
チク

「いてっ」

なんだよ!俺を突くのか?

「どした?突いた?」
「すっげぇ突かれた!ほんとにこいつ、イナって名前?」
「…なんで突くのかなぁ」

ヨンナムさんは不思議そうな顔をして俺の横にやってきた
そして鳥かごを覗き込んだ

すぐ…目の前に…ヨンナムさんの髪が揺れる
少し頭を揺らしたら…触れる事が出来るのに…

「お前、名前貰った人を何で突くんだ?ん?」
「…俺が…嫌いなんだよ…」
「そんな事ないさ」
「だってコイツ、俺が餌代えようとしたときにさ、変な声で鳴いたもん!」

元気で…明るくて…楽しい俺…

「えええ?ほんとぉぉ?」
「…突くなんて!絶対こいつ、イナじゃイヤなんだ!」
「そうかなぁ…テジュンに懐いてたのに…」
「…。ラブって名前に変えてよ!」
「え?」
「テジュンに懐いてるし俺を突きまくるしっ!」
「ラブ君、お前の事突くの?」
「…すっごくね!」
「ははは。そりゃいいや」
「ねっ。ラブに変えてよねっ」

俺の名前を呼ばないで…

「いやだ。コイツは絶対イナだ」
「なんでさ!」
「…だめ?」
「…」

鳥かごの戸を閉めて振り返るヨンナムさんの瞳は優しい色をしている
俺が何も答えられずにいると、ヨンナムさんは突然ふわりと腕を回して俺を抱きしめた
やめ…て…やめて…

「イナ…ずっと友達でいてくれる?」
「…」
「テジュンが怒るかな…でも友達でいて欲しい…」

俺は
大丈夫
やれる

「…うん…」
「ありがと」

にっこり笑うとヨンナムさんは俺から離れた
もう少ししたら送るよと言って座卓の食器を片付け始めた
台所から水音が聞こえる
俺は俯いて自分に言う

「まぁ…こんなもんでしょ…」

唾を呑み込んで顔を上げた


それでも俺は前を向いている  ぴかろん

送ってくれるというヨンナムさんのトラックにもう一度乗り込む
俺は無理を言って、ヨンナムさんの『聖地』に連れてきてもらった

「…どうして?」
「ん…。彼女に報告したい」
「何を?」
「旅行の事…日の出見た事…カムジャタン食った事…。ヨンナムさんも報告することあるだろ?いっぱい」
「…僕は毎日そらにしてるから…」
「じゃ、そこで待っててよ、俺は俺でケリつけたいからさ…」

大丈夫
やれる
そうしなきゃ…ね

ヨンナムさんが見つめる中、俺は彼の聖地に立って深呼吸をし、そらを見上げた


君を利用してごめん…
君の好きな人を好きになってごめん…
俺、君とよく似てるんだね…
テジュンもヨンナムさんも好きだなんてね…
でも俺、テジュンに還る
今はこんなに揺れてるけど
テジュンの側から離れない…
うん…ヨンナムさんの事、好きだよ…
けどさ、君も聞いてただろ?
俺達…『友達』だからさ…
それにアイツの事、放っておける?
俺、アイツの事、ちゃんと好きだよ


あるんだな…ほんとに…
二人とも好きになっちゃうって…
テジュンもそれで苦しんだと思う
ラブも…それにミンチョルもスヒョンも…
まだまだいるよ…そんな奴…
あいつらもそうだ…
黒蜘蛛と闇夜…

君もそうだったんだろ?
最後にヨンナムさんを選んだとしても
二人とも好きになっちゃって悩んだ時、あるんだろ?
俺のは片思いだからさ…心配しないで…大丈夫
揺れはそのうち治まるよ
君の事何も知らないのに、君になったつもりでいた
ごめんね…

みんな優しいんだ…みんな…
俺も優しくなりたい
ねぇ…
あの人とあいつ…
ちゃんと見守ってやってよね…
俺も…守るから


イナがそらを見上げて君に何か話しかけてるね
不思議なヤツだろ?
一人で悩んで一人で乗り越えたのかな…
僕はコイツに随分突かれた
そしてやっと動き出せた
君の言葉も聞けた
君の…最期も…聞けた
君を僕の心のポケットに入れて
生きている限りずっと君と一緒に
僕は歩いていくからね
僕と一緒に僕が愛すべき人を探してよね
多分また、テジュンやコイツの力、借りちゃうかもしれないけど
君も…手伝ってよね…。ね…

穏やかに微笑んでイナがこちらに歩いてきた
「ありがとう。すっきりした…」
「…ん…」
「ごめんね、配達あるのに…」
「…行こうか…」
「うん」
イナは明るく笑って歩き出した
僕はイナをRRHまで送ってそれから配達に回った


RRHに戻ってシャワーを浴びた
部屋でぼんやりしていると誰かがノックした
ドアの向こうにいたのはラブだった

「言わないの?」
ベッドの縁に腰掛けてラブはまた俺を突いた
ふふ…あの小鳥の名前、絶対ラブだよな…
「なに笑ってるのさ」
「とんがるなよ…。ラブ…サンキュ」
「…」
「気持ち、楽になった…」
「それで?」
「ん?」
「だから、言わないの?」
「誰に何を言うの?」
「好きな人に告白しないの?」
「しない」
「イナさんらしくない」
「らしいよ」
「苦しいだろ?」
「苦しくない」
「俺には苦しそうに見える」
「お前がそう見たいからだろ?」
「跳ね返されるのが怖いから?」
「…」
「受け入れられないかもしれないから?」
「そんなんじゃないよ」
「言ったほうがいい!」
「どうするかは俺が決める事だってお前言ってたじゃない」
「こんな苦しそうなイナさん見ていたくない」
「…苦しそうか?」
「言って、受け止められるかもしれないじゃない。テジュンを悲しませたくないとか思ってるんだったらテジュンは大丈夫だよ。解るはずだもの」
「お前とそうなったからか?」
「…うん…」
「…大丈夫じゃないんだよ…」
「え?」
「だから言わない」
「イナさん…」
「それでいいんだ」
「臆病者」
「…」
「そんなのイナさんじゃないよ!言えよ。言ってすっきりして断られたらテジュンに戻ればいいじゃない!受け入れて貰えたらそっちに…」
「言わない」
「…イナさん…言ったほうがいい。その方が終わらせられる…」
「…言って終われる場合と…そうじゃない場合と…あるだろ?」
「…そうじゃないって?」
「俺だけが気持ち、治めたってしょうがないんだ…。荒立てたくない。言いたくない。俺が言いたくないんだよラブ」
「…。俺へのあてつけ?俺が見境なくテジュンに好きだって言ったから…それでわざと耐えてるんじゃないの?!」
「バカだな…。そんな事関係ない」
「言わないで自分だけ傷つけば済むってわけ?…一見すっごくいい人に見えるけどさ、それって悲劇のヒロインっぽくない?」
「…そんなんじゃない…」
「そうじゃんか!イナさん自分に嘘つくの嫌いなんだろ?」
「嫌いだよ」
「じゃあ」
「嘘つくよりももっと、自分を裏切る事はしたくない」
「裏切ってるじゃない、正直じゃないもん!」
「…。絶対に言わない。俺の中に仕舞っておく」
「いやだよ…そんな苦しそうなイナさん…」
「今だけだ。じき慣れる。そしたら元の俺に戻る」
「…嘘つき!」
「…」
「嘘つき!テジュンに言ってやる!イナさんが言わないなら俺がテジュンに」
「傷つけたくないんだ!」
「テジュンを?テジュンならきっと解ってくれるって」
「テジュンも、俺の好きな人も傷つけたくない!絶対…。守りたいんだ!守らなきゃ…。俺が勝手に好きになっただけだ
俺の中で勝手に思ってればいい事なんだ…だから言わない」
「…」
「ぜったい…ぜったい…まも…る…」
「イナさん…」
「俺の気持ちがバレたら…二人とも…ダメになる…だから…ぜったい…」

涙が噴き出した
気持ちが溢れ出した
ラブが俺を抱き寄せ同じようにしゃくり上げている

「ぜったい…いわない…ぜったい…」
「…わかった…わかったよもう…わかったから…」
「隠し通す…完璧に…やるんだ俺…絶対…」
「解ったよイナさん…ごめん…」
「…」
「辛くなったら俺のとこに来て…俺、誰にも言わないから…一人でできなくなったら俺ンとこで泣けばいい…ね?」
「…らぶ…」

そうしてよ…それぐらいしかできないから俺…

ラブは俺の頭と背中をずっと擦り続けてくれた
俺の嗚咽が治まり、涙がひいたあと、ラブは俺をベッドに寝かせて額にキスをくれた

「目を閉じて…この唇はイナさんの好きになった人の唇だからね…」

ラブは俺に魔法をかける
俺は目を閉じる
瞼に…睫毛に…目尻に…鼻先に…耳に…首筋に…肩先に…あの人の唇が触れる
鎖骨を伝い、喉から顎に上り、その唇は最後に俺の唇と重なる
あの人の唇が…あの人の舌が…俺の唇をそっと押し開けて俺の中に触れる
俺は目を開けて魔法から抜け出る
キスをくれたラブの頭を起こし、ありがとうと囁く
ラブは深い眼差しで俺を見つめ、もういいの?と聞く
頷く俺
キスもした事ないんでしょ?だったら…
目をふせる俺
…キス…したの?…
いや…
…したんだ…
俺じゃないよ…
…え…
してないよ…

身を起こしてもう一度ラブに礼を言った
否定してもラブにはきっとわかってるんだろう…
それ以上は何も言わずに、ラブはちゅっと軽くキスをして部屋から出て行った

忘れない
もう二度と触れられないあの唇…
大丈夫
守るから…きっと…


triangle 2 れいんさん

マリアはコートに袖を通し、くるりと向き直った

「今日は楽しかった。仕事してるドンヒってどんなだか見てみたかったの。来てよかった」
「またどうぞなんて言わないよ。ここに来るのはまだ早い」

「あら、いいじゃない。私また来ちゃうかもよ」
「ダメだよ、もっと真面目に学生やらなきゃ」
「私はいつだって真面目に生きているつもり。これも・・そうね、ひとつの社会勉強。
それに今日来たお陰でドンヒの事、前よりもっとわかった」
「え?」
「ドンヒってわかりやすいもの」
「なんだよ、それ・・」

ドンヒはふと手元の時計に気がついた

「そうだ、この時計・・ちょっといじって治しておいた。はい、腕出して」

ドンヒはマリアの腕に巻かれた自分の時計を外しポケットに納めた
そして細い手首に息を吹きかえしたばかりの時計を巻いた

「ほんとだ。動いてる・・。ちゃんと・・動き始めたんだ・・」

マリアはじっと時計を見つめた
優しい眼差しを向け、時を刻み始めたその時計を指先でそっとなぞっていた

ねえ・・ほら・・君、そんな優しい顔だってできるじゃないか・・
一人ぼっちでも平気だなんて
強がった振りしても僕にはわかるよ・・
君が一番嫌っていて、君が一番愛している人達は誰かって事・・

「本当は・・この時計・・好きだったんだろ・・?」

時計をなぞる指がピクリと止まり、マリアは問いには答えず小さく呟いた

「・・ありがと・・」

その言葉、僕じゃない誰かにも素直に言えるかい?

「言葉でちゃんと言わなきゃ・・伝わらない事もある」
「・・」
「君のご両親だって・・表現が下手なだけかもしれないよ。君と同じでさ」
「僕のまわりにも・・そんな奴がいる・・」
「自分の気持ち・・素直にぶつけてみろよ・・あれこれ作戦を練るのはそれからでも遅くはない」

ずっと俯いていたマリアが顔を上げた
まっすぐにドンヒを見つめている
その瞳はキラキラと光り、艶々としたその唇は微笑みをたたえていた
それは透き通る様な美しさ
瞳には確かな意思が感じられる・・

マリアはゆっくりとドンヒの頬に唇を寄せ、優しいキスをした
ドンヒはマリアの身体をそっと包み込んだ

許すという事は、心の部屋をひとつ分け与える事・・
頬に柔らかい唇の感触を感じながら、ドンヒは昔観た映画のセリフをふと思い出した

マリア・・もう大丈夫だよね・・
周りに毒を吐いたり、わざと爪をたてたり・・
もうあの時の君じゃない・・
こんなに素敵に微笑む君だもの
君なら、きっと大丈夫・・


マリアの身体がすうっと離れた時、長い黒髪が風になびいた
コートの端がひらりと舞った
ほのかな甘い残り香が風にのってドンヒの鼻を擽った
ドンヒはビルの陰で見えなくなるまで、その後姿を見送った


ドンヒは左頬を指先でそうっと撫でた
マリアにキスされたところ・・
柔らかな唇の感触がまだ残っている
ドンヒは外壁にもたれかかり、雲の切れ間から覗いている月を見上げた

僕は・・どうしちゃったんだろう・・・・
僕の心は・・誰を見ている・・?・

ドンヒは月を見上げるのを止め、ふぅっと溜息を吐いた

・・店に・・戻ろう・・

ホンピョはその場所にまだ座っていた
グラスやボトルはそのままの状態だった
ホンピョはテーブルに頬杖をつきぼんやりとどこかを見つめていた

「お疲れさん」
ドンヒは声をかけ、テーブルの上のグラスや何かを片付け始めた

「随分手厚い見送りだったようだな」
カチャカチャと鳴るグラスの音に紛れても、ホンピョの声ははっきりと聞こえた

何か含みのある言い方もやり過ごすつもりでいた
「・・普段と同じだよ」
「・・熱いキスでもしてきたか?口紅ついてるぞ」
「えっ」
無意識にキスされた頬に手を添えた

「ふん・・やっぱりな」
ホンピョは頬杖をついたまま口の端を僅かに上げ鼻をならした

試された気がしてドンヒはむっとした
冗談めかして聞き流す気にはもうなれなかった
ドンヒは持ち上げかけたグラスをまた静かに置いた
カチャ・・静かに響くグラスの音に、ホンピョが顔を向けた

「僕を怒らせたいのか?」
「ふん・・」
「怒らせて面白いか?」
「別に・・怒りたいなら怒れよ」
「なんだよ、おまえ。さっきからそんな態度で。どういうつもりだ」
「・・どうって」
「言いたい事があるのならハッキリ言えよ」
「・・」
「何がそんなに気に入らない?思い通りにならないと拗ねる子供みたいだ!」
「なんだと?じゃあハッキリ言うけどよ・・鼻の下のばしてるお前の顔が気に入らねえんだよ!」
「は・・」
「都合の悪い事は誤魔化しやがってよ」
「・・妬いてるのか?」
「馬鹿言うな。何で俺が」
「僕にはおまえが分からない・・」
「・・?」
「僕は・・僕はおまえの何なんだ・・」
「え・・?」
「・・近づこうとすると逃げ出す。違う方向を見ようとすると擦り寄ってくる・・僕はおまえにとって何なんだよ!」
「何って・・」
「困った時には利用できる、ただの間抜けな男か?」
「そんな風には思ってねえ」
「じゃあ、なんだ?友達?相棒?それとも保護者か?・・いったい何なんだ?答えろよ!」
「俺は・・」
「僕はおまえにとって水や空気みたいな存在・・ってわけか?」
「・・」
「あるのが当たり前、でも・・いざなくなると困る・・だろ?」
「そんなんじゃ・・」
「あいにく僕は水や空気とは違う」
「ドンヒ・・」
「心はあるんだ・・僕にだってね」
「ドンヒ」
「・・もう・・いい・・」

苦悩に歪むドンヒの横顔が少しだけ見えた
ドンヒは顔を背け、グラスを持ち上げ踵を返した
ホンピョは咄嗟にドンヒの腕を取った
このまま行かせてはいけない気がした
ドンヒの動きが一瞬止まった

何か言わなきゃ・・
焦るほどに何も言葉が出てこない
こんな時・・何て言うんだ・・

ドンヒは俯いてぎゅっと目を閉じた
首を小さく左右に振り、拳をぎゅっと握り締め・・
そして僅かに息をつきその場を離れた
ホンピョの手は力なくだらりと垂れた
ドンヒがホンピョの手を振り解いたのはこの時が始めてだった


ギャンブラー  ぴかろん

その日の夜、俺は『オールイン』に出勤した
スヒョンにそう言うと曖昧な返事を返した
「…どしたの?聞こえた?」
「ん?あ?」
「俺、今夜、『オールイン』に出るよ。いい?」
「…あ…ああ…ああ解った…」
「お前なんか変」
「…」
「スヒョン?」
「…え?」
「映画…大変なの?」
「え?!」
「…大変なんだ…」
「え?!何が?!」
「…もういいよ…」
「…え?イナ…ちょっとどこ行くの?」
「…。『オールイン』」
「あ…そか…」
スヒョンは変だった
どういう映画に出るんだろう…
まぁいいか…出来上がってのお楽しみ
あのスヒョンがあんなに変になるんだから…きっと…小難しい映画なんだろう…

『オールイン』ではBHCと違ってギャンブラーイナを求められる事が多い
久々にこっちに出たので、俺はお客様相手にブラックジャックをやった
お客様が勝てば、お好きな場所に俺のキッスをプレゼントするって特典つき
ただし唇は除く…だけどね
俺がディーラー役だ
あんまり勝ちすぎるとお客様が喜ばないので、時々力を抜く
大抵手の甲のキスを求められる
別に頬でも額でも鼻先でも構わないのに…
どうして手の甲か聞いてみたら、皆さん「死ぬから…」と言って俯かれる
別にとって食いやしませんよと言うと「そういう意味じゃないっきゃー」なんて大騒ぎになる…
チョングヒョンが「鈍感なヤツだ」と俺に言う
そうかもな…
鈍感なのかもな…

裏の戸口の呼び鈴が鳴った
開けに行くとヨンナムさんが水のボトルを担いで立っていた
「こんばんは」
「やぁ…配達に来ました」
「ご苦労様です。どうぞ」
ヨンナムさんは厨房に入って行った
丁度客の途切れていた俺は、厨房前に置いてある椅子に座って店の中ではしゃいでいるギョンジンや
ほかのメンバーを見ていた
ドンジュンの元気がなんだか異様だ…
なぜかイナさんの姿を思い出す
大丈夫かな…『オールイン』でちゃんとやってるのかな…

そんな事を考えていたら厨房からヨンナムさんが空のボトルを提げて出てきた
そして…店の中を見ている…

「誰か探してるの?」
「え?ああ…イナは?」
「イナさん今日は『オールイン』だよ」
「…そっか…」

俺は柔らかい微笑みを湛えたヨンナムさんの顔をじっと見つめた
俺の視線に気付いたヨンナムさんが「何?」と聞く
俺はとっさに答える
「テジュンそっくりだなぁと思って…」
ヨンナムさんはふふっと笑い、ボトルを提げて裏口に向かいかけ、足を止めて俺に言った

「イナを突くんだって?」
「え?」
「イナが言ってた。ラブ君に突かれるって」
「…。イナさんを?」
「うん」
「…」
「君もまた遊びにおいでよ」
「…あ…うん…」
ヨンナムさんの後姿を見送りながら俺は感じた
イナさん…この人が…好きなんだ…

イナは今日は『オールイン』か…
頑張ってるかな?
今朝はすっきりした顔をしていた
もう心配ないかな…
あの馬鹿が余計な事を吹き込むから、イナは随分揺れただろう…
僕はそんな事を思いながら、トラックから『オールイン』用の水を降ろし、運んでいった
水をセットし終わって店内をそっと覗いてみた
営業中にこっちにいるイナを見るのは初めてだ
フーン…カードゲーム?
離れて見てても様になってるな…かっこいいぞイナ
少しだけのつもりだったのに僕は長い事そこに突っ立っていた

「よろしければお席にどうぞ」
渋い声に振り向くと、渋いチュニルさんが微笑んでいた
「あ…ああ…どうも。この間は美味しいお茶を有難うございます」
「どうですか?今日も一杯」
「あ…は…いや」
「私も一服したいと思ってたんですがお客様のリクエストがないと中々アレでして…。ヨンナムさん是非サクラになってリクエストしてくださいよ」
「は?はぁ…」
チュニルさんは強引に僕を客席に座らせた
隅の方だけどさっきよりもイナがよく見えた
笑顔が戻ってる
どうやって吹っ切ったんだろう…
カードを操るイナの指を見ていた
きれいな指だな…
チップをクルクル回している
器用なヤツ…
「お待たせいたしました」
「あっ…ど…どうも…」
「イナの動きは綺麗でしょう?」
「あ…は…はい」
「武道の精神です」
「は…」
「あいつはテコンドーが強い」
「はい…」
「私は剣の道です」
「は…い…」
「茶道も武道と通ずるものがある」
「はぁ…」
「背筋を伸ばしてお茶を頂くと気持ちが晴れ晴れ致します」
「は…はい…」
「イナにも時々茶を振舞うのですが…あの男、茶を頂くときの姿勢がなってない!」
「は…」
「ダラダラです」
「はい」
「これはいけません。何度も注意するのですが、あの可愛らしい顔でニコッとやられるとついこちらもニコッとしてしまい…」
「…」
「全く困った男です」
「…」
「さ、どうぞ」
「は…はい頂きます…」

僕は背筋を伸ばしてチュニルさんの淹れてくださったお茶を頂いた
美味しい…
そう言うとチュニルさんはニコッと笑った
…可愛らしい顔だった…


新人研修?  足バンさん

「で、新人の皆さん大体そんなところだけど
 メンバーは…開店前に顔出した元チーフとギョンビン、厨房のテソンを入れて全員かな
 1日見ててわかったでしょ?店のムードと仕事の流れ 
 閉店後はこうやってみんなで店内清掃です」
「「「はい…」」」

「えぇ…ヒョン・ソグ君、建設会社の社長さんね、両立は大丈夫?」
「はい、現場はほとんど日中ですから」
「結婚してた時期があるんだね?」
「あ…はい…籍は…入れてませんでしたが…」
「なに?複雑な身の上なの?秘密とかないかな?」
「ジホ監督…カメラは離れて回して下さい」

「ソン・ビョンウ君、医大生、最年少だね」
「はい!まだ勉強中ですが皆様の健康相談などお役に立てると思います」
「イザって時は銃創の手当てくらいやってほしいな」
「はっ?」
「スヒョク向こうに行ってなさい」
「遺伝子医療なんかには詳しくないの?」
「ソクさんも!個人的な話は後にして下さい」

「ええと君はイ・ジョンドゥ君、小説家志望、今無職ね」
「はいっ婚約者と一緒に暮らしますので」
「へぇ~君ってヒモなの?やるじゃん」
「ひも?ろーぷですか?」
「ドンジュンもジュンホ君もいいから向こうに行って!」

「でソグ君のウリは何だろう」
「極小変形どんな難しい立地条件にも対応します、図面は僕が直接担当します」
「は?」
「じゃ真っ直ぐな線を描くのは得意ですね?」
「センセ!新人なんか放っておいて!」
「だって僕の技とカブるかもよ」
「イヌ先生もウシクもちょっと離れてて下さい!」

「ビョンウ君の得意なものは?」
「胃です!胃に関しての知識は誰にも負けません!」
「おまえ客に一緒に胃カメラ飲みましょうなんて誘うんじゃねぇぞ」
「あれってオエッてなるんだよね」
「そうそう!唾飲まないで下さーいなんて無理だよねぇ」
「テプン!シチュン!チョンマン!あっちでやってなさい!」

「ジョンドゥ君の得意なことは?」
「ええと…文書くことと…ええとツケと…ビヤホールの銃乱射は成り行きだし…」
「成り行きねぇ…ここではやめてほしいね」
「先輩に言われたくないっすよ」
「言っておくけどミンギ」
「はいはい、先輩の場合はお洒落なスカイラウンジっすね」
「ソヌ君もミンギ君も!ソファの裏からいきなり会話に入らないでくれるっ」

「ケホッ…服装なんだけど…ソグ君はそれでいい?」
「スーツ+作業着ではまずいですか?」
「いやいいんだけど…ここは本編の印象を大事にする店だから」
「僕はこんな普段着しかないですけど」
「ビョンウ君も大学生らしくていいとは思うけど」
「でもその眼鏡あんまりじゃないか?」
「いっそピンクはどう?幅広ラメ入りとかで」
「あんっそういうのはハニーがしてよぉ」
「ギョンジンもハニーも向こう行ってなさい!」

「ジョンドゥ君の資料のメモ欄にストライプぱんつって書いてあるけどこれ何?」
「えっパ、パン…?何かの誤解です」
「そう?インパクトあってもいいんだけど」
「いいです普通でいいです僕」
「うん…普通って大切だよね」
「はい、普通の中に秘めた情熱って好きです」
「テジンもスハも頼むからあっちで和んで!」

「な…何だか皆さん元気ですね」
「うんまぁ…ケホっ…そうそう、ソグ君にはバーカウンターの設計頼みたいんだ」
「竣工希望日時とご予算は?」
「え…いや…まだ具体的には…」
「これは時間外手当てとして換算しますか?」
「あーうん、まだミンチョルと相談してないから…」
「では決定次第ご連絡下さい、迅速に対応します」
「…」

「チーフ…少しお疲れのようですね」
「疲労にいい薬ありますけど紹介しましょうか」
「ちょっとジョンドゥさんすぐ薬ってのはどうかな」
「なな何よビョンウ君」
「すぐ薬に頼るから抵抗力が低下する」
「常識的に頭痛けりゃ頭痛薬でしょ」
「まぁちょっと君たち…」
「あなた薬のことちゃんとわかってます?」
「僕はこれでも薬の営業長かったんだよ」
「でも営業成績良くなかったでしょ」
「うっ…学生のくせに」
「そんな短絡的な発想で薬を使ってほしくないな」
「どうしてこう医者とか医者の卵は生意気なんだっ」

ダンッッ!

「ま、まよさん…あ…珈琲ね…ありがと」
「じぃぃぃぃ…」
「「「あ…ありがとうござます…」」」
「あなたたち…な、か、よ、く、ね 」
「「「は…はい…」」」

「ひぃ…びっくりした…」
「チーフ…もしや彼女がボスですか?」
「ボス自らスカウトに?」
「いやボスは他にいる」
「他に…」
「とにかく自分の魅力を磨いて日夜お客様を魅了してくれ、何か質問は?」
「あのあそこで…もう巻き付かないでとか怒ってる方がいますが」
「あれは…まぁ接客技術の練習だ」
「あそこでいやん眼鏡かけちゃダメって怒ってる方は」
「ケホッあれも接客訓練のひとつだ」
「鬼気迫ってますね…」
「さすが皆さん迫力が違う…」
「さっき会った元チーフって方もすごい目だったし…」
「彼の場合は別格だ、ふふ…すごかっただろ?」
「あうっ!」
「どうした?」
「チーフの後で何かふくれてます」
「でっではこれからよろしく頑張って!じゃ!」
「えっチーフもう終わりですか?」
「「「チーフ!」」」


stay  ぴかろん

可愛い顔をして背筋を伸ばし、一服お茶を飲んだ後、チュニルさんは僕に言った
「どうです?ヨンナムさんもブラックジャックやりませんか?」
「は?あ…いえ…僕は…」
「お遊びですから。勝てばイナからお好きなところにキッスしてもらえるという特典つきですよ」
「は?」
「行きましょう。私も一度、イナに挑戦してみたかったのです」
「は…あの…」
「勝ってイナにキッスを…ほほほほ」
「…は…」
妖しげ…というより怪しげな笑い方をして、チュニルさんはとても強引に僕をブラックジャックのテーブルに引っ張っていった
僕を見たイナはきょとんとした顔で固まった

お客様相手のブラックジャックを続けていた時、裏への通路のあたりにヨンナムさんがいるのが解った
なんで覗いてるの?
一瞬ざわついた
気付かないふりをした
ヨンナムさんはチュニルの兄貴に引っ張られて客席に座った
チュニルの兄貴がお茶を振舞っている
ああ…兄貴…特上のお茶が飲みたかったんだな…
お客様にかこつけて…まったく…
なんでよりによってヨンナムさんを選ぶんだよ…まったく…
俺は居座ったヨンナムさんを確認して、気持ちを切り替えた

こんな風に意識せずに動ける日が、きっといつかやってくる…
その日まで俺、頑張らなくちゃ…

お客様とのゲームが終わりかけた頃、チュニルの兄貴がまた強引にヨンナムさんを引っ張ってこちらに向かってきた
今初めて、彼の来店を知ったような顔をしなくては…
不自然になりませんように…
ふうっと顔をあげてチュニルの兄貴を見、それから視線をヨンナムさんに移す
『なんでここにいるの?』
そんな顔になっただろうか…

「なんでここにいるの?」
「え…あ…。その…」
「私がお誘いしたんだ。ブラックジャックがやりたい」
「チュニルの兄貴…」
「一度イナと勝負したかったのだ。お客様のお誘いなら断れないだろう」

「…兄貴が無理矢理ヨンナムさん引っ張ってきたんだろ?」
「そんな風に見えたか?はっはっはっ」
「兄貴、どうせ特上茶が飲みたくて、配達に来たヨンナムさんを強引に」
「特上茶ではない!超高級特上茶だ!」
「…オーナーに言いつけるぞ…」
「ケホン。おもてなしの一環だろう」
「ケホン。で?ヨンナムさん、ブラックジャック知ってるの?」
「んと…あの…」
「『漫画なら』…なんて冗談はやめてよね。テジュン並みだから…」
「…」
「くはは」

困った顔をしたヨンナムさんにブラックジャックのルールを簡単に説明していると、マイケルとトファンのオヤジがやってきた
「イナ!私も久々に勝負したいのだが」
「ワシもじゃ」
「…あんたら…いたのか」
「なんじゃその言い草は!ワシはちゃんとホ○トとしてこの店でっ」
「あーはいはい解りましたすみませんでしたどーぞどーぞ加わってください」
「なんじゃ!邪険にするでないわ!」
「会長…カードで堂々と勝負して勝てばよいのです!イナ君、私の嫌いなハンドクリームなど塗ってはいないだろうな!」
「はいはい塗ってませんよ。でも勝ってもご褒美は俺のキッスですけどいいんですか?」
「なにっ?!」
「むううう…」
「どーする?」
「…いたしかたない…負けるより勝ちたい!」
「…わ…わしは…唇以外ならオッケーじゃ…」
「…」
とにかく…こいつらのおかげでちょっと間が持てた
濃い連中に怖気づいたのかヨンナムさんはずっと俯いている
「ヨンナムさん、大丈夫だ、お遊びだから…。それにこの人たち、顔は怖そうだけど根はいい人たちだから…」
そう声をかけようとした俺より先に、同じ事をチュニルの兄貴がチュニルの兄貴らしく伝えていた
ヨンナムさんはへへっと笑った

僕はイナにざっとルールを聞いた
要するに「21に近づけばいい」という事だ
マイケルという人は『ギャンブラー』らしいので、慣れた手つきで勝負している
トファンという親父さんは、顔と声は大迫力だが『21』より程遠い数字なのに慎重に「ステイ」と言う。顔のわりに気が小さい?
チュニルさんはイナの様子を見ながらなかなかの勝負をしているように思える
僕はと言えば、ただの勘で教えて貰ったように「ステイ」だの「ヒット」だの言っていた
10回続けて勝負して、チュニルさんと僕が三回ずつ勝った
二回トファンさんが勝ちマイケルさんは負け続けた
イナが勝ったのは二回だけだ…

「チュニルの兄貴とヨンナムさんと…どっちにキスしようなぁ…」
イナが笑いながら言った
「男たるもの決勝戦を行ないたい!」
「けっしょうせん?」
「同じ勝ち数では納得できない!勝つならとことん勝ちたいものです。ねぇヨンナムさん」
「はぁ僕はその…」
「じゃ、二人ともう一度勝負しようか?何回やる?」
「三回勝負にしたい!」
「ヨンナムさんは?」
「ぼ…僕はどっちでも…」

チュニルさんはよっぽどイナの『キッス』を受けたいらしい…
妖しげというより怪しげな気がするのは何故だろう…

「じゃ、三回勝負ね」

いつの間にかテーブルの周りにお客様が集まっている

この二人のうちのどちらかにイナちゃんがキッスするんですってよぉ
あらでもこの勝負でイナちゃんが勝ったらどうなるのよ
そうよねぇ三人が一回ずつ勝ったら引き分けになるわよ
チュニルさんがきっともう一回勝負とかいいだすわよぉ
誰に勝ってほしい?
そぉねぇ…

ざわざわとマダム連中の声が聞こえる
マイケルさんがすごい目でチュニルさんを睨んでいるが、チュニルさんは涼しい顔でマイケルさんを無視している
気のせいかトファンさんの髪の毛がズレているように思う
僕は緊張しているのだろう…
カードが配られた

三回勝負は…引き分けに終わった
案の定チュニルさんがもう一回!と食い下がり、イナは困ったような笑顔でため息をついて、じゃあこれで最後だからねとカードを配った
カードは…僕の前にも配られた
そしてチュニルさんは負けた
その瞬間チュニルさんは真っ直ぐ天を仰いで喉仏をぐりっと動かした
イナと僕は共にブラックジャックになり、引き分けとなった
ほっとした

僕達が客席に戻ると、イナの周りにいたマダムたちがゲームを始めた
勝ったお客様にはキッスのご褒美を振舞っている
それを見つめてチュニルさんがため息をついた
「あの…チュニルさん…イナのことを…」
「イナは…あいつは…昔一途にある女性の事を思っていましてね…。色々あって今テジュンさんとああなりましたが…あいつは可愛いやつなんです
強いけど弱い。今もなんだか…なんだか虚勢を張っているように見えてしかたない…。テジュンさんは一体何を考えているんでしょうなぁ…」
「…」
「兄貴として私はイナが心配です。でもそれとは別にイナのあのでっかい口でくふん…ちゅうを…くふふん…。ゲホッ失礼いたしましたゲホっ…」

イナは…こんな仲間に囲まれていて幸せだね…
テジュンの馬鹿野郎はほんとに…
イナ…なんでテジュンなんか好きになったの?
お前、辛くないの?
いつもお前の笑顔、寂しそうに見えるんだよ、イナ…
僕はイナの顔を見ながらそんな事をぼんやり考えていた


Misunderstanding  オリーさん

僕の器用な人が帰ってきた
ソファに座って雑誌を読んでいた僕は、おかえりと言ったのに
彼はちらっと僕に合図して、そのまま寝室の方へと行ってしまった
僕もまた雑誌に目を戻した
でもすぐ彼は戻って来た
僕は雑誌の陰から彼の様子を見ていた
ちょっとうるっとした瞳の彼は、ソファの回りを一周してから
おもむろに僕の足元に座り込んだ
そして僕の膝頭に頭をのせてため息をついた

こういう時はこっちから聞いてあげない限り何も言わない
僕はさりげない調子で切り出した
「どうしたの?何かあった?」
「・・・」
「もしかして、仕事・・だめだった?」
「いや、だめじゃない」
「何だ、よかった・・脅かさないでよ」
「・・・でも僕にできるだろうか」
「何言ってるの、今さら。できるに決まってるでしょ」
「そうだろうか・・」
彼はまたため息をついた
「大丈夫だろうか・・」
「あんなに準備したじゃない。あとはやるだけでしょ」
「準備?」
「資料も作って、アイディアもばっちり。何の心配があるの?」
「まだ何もしてない。これからだ」
「だから、後はやるだけでしょ」
「やっぱりやるしかないんだろうか」
「何、テンション下げてるの。やるしかないでしょ」
「そうだな」
彼は振り向いて力なく小さく微笑んだ

「いやだな。そんな顔しないで」
「そんな顔ってどんな顔?」
「え?」
「どんな顔?」
「どんなって、つまり・・・もう何言ってるのっ!」
「何を怒ってるんだ、聞いてるのに」
「だって、昼間から色っぽくてたまらない、なんて言えないでしょっ、もうっ!」
「色っぽくて・・・・そうなのか?ほんとに?」
「どうしたの?」
「いや、何でもない」

「まったく、何考えてるの」
僕はちょっと様子のおかしい彼の髪の毛に指を差し入れてそっと梳いた
彼はまた僕の膝に頭をのせて呟いた
「ミン、本当にできるだろうか」
「まだ言ってる。できるに決まってる。僕も応援するから」
彼の髪の毛をきゅっと掴んで優しく囁いてあげた
「そうだな。仕事が取れたのもスヒョンのおかげだし、そういう意味では僕も応えないと」
「そうだよ。いい物を作ってお返しすればいいんじゃない」
「本当にそう思う?」
「うん。それがスヒョンさんに対しての恩返しだよ」
彼はまた振り向いた
「本当に?」
「もう、くどいな」

彼は腰を浮かせて僕の隣に座った
「抱いてくれないか」
「え?」
「抱いてほしい。そして、僕ならできるって言ってくれないか」
僕は片手でもたれかかってきた彼を強く抱きしめた
「できるよ、絶対。自信を持って」
彼は僕の腕の中でじっとしていた
そしてしばらくしてから一言囁いた
「ありがとう、ミン。やってみるよ」
僕はおまけのキスもしてあげた
こういう弱気な時の彼は、ほおっておけない
何が何でも抱きしめちゃうんだから
彼は子供のように僕に抱かれキスされていた
ああ、たまらない・・

彼はしばらくするとミューズに出かけた
今日は店が終わったらすぐ戻るから一緒に夕食を食べようと言い残して
僕は何か作っておく、と答えた
何か元気の出るものを・・
だってあんなに悩める風情は久しぶりだったから
だから僕としては何とか元気づけてあげたいと思った
けど・・
これがとんでもない勘違いだったことが後からわかった
てっきりあの仕事の事かと思っていたのに
まさかあんな仕事を受けて来たなんて思ってもいなかったから・・
久しぶりにあんな顔を見せられたから猟犬としての嗅覚がちょっと鈍っていたのだ

キチャン達に映画出演の話をすると、さすがに驚いた様子を見せた
「じゃあ音楽の方は予定を立て直した方がいいですね」
キチャンは仕事の段取りを心配した
「映画かあ、いいなあ。僕もエキストラでいいから出たいなあ」
キュソクが調子づいて、キチャンに頭を叩かれた
「でも考えようによっては、宣伝に使えるかもしれませんね」
キチャンが言った言葉に、なるほどそういう考え方もあるのか、と思った
ミンも絶対できると励ましてくれた
僕は何とかできるのではないかという気持ちになっていった
「時間的に僕が厳しくなると思うから二人で何とかカバーして欲しい」
スケジュールをもう一度練り直し、キチャン達にできる事はすべて任せる事にした
「室長、そのまま俳優に転向するなんて言わないでくださいよ」
帰りしなにキュソクに言われた
一度だけだ、俳優なんて向いてないよ
僕はそう言ってミューズを後にした

ミューズを出て店に入った
事務所を覗くとスヒョンがデスクに座って書類とにらめっこしていた
「スヒョン」
話しかけると顔を上げちょっと複雑な顔をした
「ミンチョル・・」
僕はゆっくりとスヒョンのデスクの前に立った
「今朝の話の件で、昼間監督に会ったんだ」
「シン監督?」
「カメラ担当の女性、ユンさんという人も一緒だった」
「そう」
スヒョンは書類を置くと両手をポケットに突っ込み、椅子にもたれかかった
「マンションの近くまで来てね、呼び出されたんだ」
「そう」
可動式の椅子の上で、スヒョンは体を左右に揺らしている
「でね・・」
「ミンチョル、いいんだ。僕のことは気にしなくていい」
「・・・」
「無理しなくて正解だよ。音楽の事だけ考えてくれ」
「スヒョン、僕はOKしたんだけど」
「当然だと思う。おまえがヒョンジュなんて無理が・・・え?」
スヒョンは体を起こして両手を机についた

「だからOKしたんだ」
「ほんとに?」
「まずかったか?」
「いや・・そんな事はないけど。てっきり断るかと思ってたから」
「断りたかったよ。でも監督がどうしてもって、素人の僕でもかまわないっていうから」
「ほんとに?」
「ああ」
「やらないと音楽やらせないとか脅されたのか?」
「そんな事ないよ。ちょっと芝居がかったふりされたけど」
「本当にいいのか」
「自信はないけど、やってみる」
スヒョンは立ち上がって僕の近くまでやってきた
そして僕の目を覗き込むと、肩に手をかけた
「そうか。ありがとう」
「スヒョンには音楽の話を通してもらったから」
「そんなことは何でもない。でも・・ありがとう。ギョンビンにはもう知らせたの?」
「絶対できるから頑張れって」
「ほんとに?」
「ああ、いい物を作るのがおまえに対して恩返しになるだろうって」
「そんな事を・・」
「てっきり目を吊り上げると思ってけど、優しかった」
「思ったよりあいつ大人だな」
「ふふ・・そうなんだ。頼りになる」
「のろけるな、ばか」

そんな会話を知る由もなく
とんでもない勘違いに気づく術もなく
大人な僕は、RRHの高級スーパーに行き鼻歌交じりで買い物三昧にふけっていたのだった・・・










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