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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 233

個展にて 3   れいんさん

風に乗ってスハの声がした
このフロアに風など吹いてるはずはない
でも確かに、湿った風が僕を吹き抜けた

スハ…?
迂闊にも、こちらの事に気を取られていて
スハが傍らにいないとその時知った
ざわざわと何かが僕を揺さぶる

スハ?…どこにいるんだ
周囲を見渡しスハの姿を探す
フロアの中のまばらな影
見知らぬ客達

そうじゃない
僕が探している人はその人達の中にはいない

スハの声はどこから聞こえた?
届いた声を辿り、群れの中から声の主を探す
探し当てるまでの数秒が、ひどく長く感じたのは、なぜだったのだろう

ふと、白い靄に包まれたスハを見つけた
レンズの露出を絞るように、ぼやけていた焦点が一つに集まる
スハの姿を捉えた時
根拠のない僕の不安は、ただの気のせいだったのだと安堵した
だがそれは、一瞬にしてかき消えた
そこにいたのはスハだけではなかったのだ

天井まで届きそうな高さのガラス窓から
さらさらと陽の光が射し込み
スポットライトが舞台を照らしているのかと見間違う程
向き合う二人の影は、そこだけが切り取られているようだった

目をしばたたかせ立ち竦むスハ
色を失い俯くその人
セピア色をした無声映画のようなワンシーン
その場面は時を刻む事を忘れていた

その人は、誰なんだ…
考えろ考えろと脳が指令を下す前に
既に心は予感していた
その人は…
スハの…

いつもどこかで感じていた
いつかこの日が訪れると
必ずその時は来ると
偶然なのか必然なのか
そんな事はどうでもいい
もっと早くにこうすべきだったのに
遅すぎる言い訳など通用しない
たった今、その時が訪れた


軽く目を閉じ息を吐き、唇を結ぶ
傍らにいた老紳士に
「どうぞ、お時間が許すまでごゆっくりご覧になられて下さい」と
動揺を悟られぬよう、異変を気取られぬよう
努めて平静を装い、会釈をし、そこを離れた

僕は静止したままの舞台へと歩き進む
情けない話だが、膝が震えてうまく歩けなかった
この個展の初日を迎える時よりも
自分を奮い立たせるのに労を要した

二人を隔てている距離の真ん中あたりで足を止める
スポットライトの中に入るとスハの顔がよく見えた

なぜ?
どうして?と
スハの瞳が繰り返している
混乱し、言葉を失い、僕がここにいる事も目に入らぬようだった

スハの視線を辿り、その人を見た
思い描いていたその人を見るのは、この時が始めてだった

その人は、罰を受けている少女のように項垂れていた
細い項は痛々しく
青ざめた唇は僅かに震えて

痛みが走った
やるせなくて胸が掻き毟られるようだった

罰を受けるべきはこの僕なのに
どうか、顔を上げて下さい
どんな言葉を並べ立てても
繰り返し詫び続けても
貴方に与えた苦しみを拭い去る事はできない
今ここで膝まづき許しを請うたなら
嵌った足枷から自由になれるだろうか


しっかりしなければ、と
冷静の残骸をかき集め、それを身に着けた
何から話せばいいのだろうか
まずスハに、その方はどなただと聞かなければならない
僕は乾いた唇を動かし、酷な問いかけをした

僕の声に、その人はびくりと肩を揺らした
見上げたその瞳がみるみる憂いに曇る

スハはまだ、皮肉なこの瞬間に戸惑を隠せずにいた
懸命に僕の方に顔を向けようと
だがその視線は、彼女から逸らす事ができずに

僕は待った
スハの視界に僕が映るまで


漸くスハの視線を捉えた
いったい何を探そうとしてるのか
僕の目にどんな色が映っているのか
それを懸命に見つけようとして

スハ、大丈夫だよ…
頷くかわりに瞬きで、僕は僕の意思を伝えた
できるだけ穏やかな顔を作ってみせ
スハの瞳を優しく覗き込み、語りかけるように

スハはこくりと頷き、口を開いた
「テジンさん…ホンヨンは…僕の…」
唇が苦しげに歪んだ


わかったよスハ…わかった
後は僕が…
僕の声なき声はスハに届いていただろうか

スハが僕を見つめた事で
彼女は何かを諦めたのか、彷徨うように僕へと視線を泳がす
その眼差しを受け止めるのは辛かった
でも
スハの続きは僕が引き受ける

僕は彼女の方に向き直り、襟を正した
彼女に対して、針の先ほどの失礼もあってはならない
僕はその事だけに意識を集中した

「始めまして。ファン・テジンと申します」
声のトーンはこれで良かっただろうか
慇懃な態度ではなかったろうか
いたたまれない想いを、彼女にさせてはいないだろうか
僕は彼女に右手を差し出した
空を掴む事になるのは覚悟していた

「…カン…ホンヨン…です」
か細い声で彼女は言った
そして、戸惑いながらもおずおずと
力なく僕の手を握り返してくれた

その行為が僕に勇気を与えてくれた
僕は右手にもう一方の手を添えて
精一杯の気持を込めて彼女の手を握った
折れそうな細い手だった

こんな出会いでなければ…
彼女との出会いがこんな形でなく
もっと和やかで心地良いものであったなら

負けそうになる自分をもう一度立て直し、不躾な申し出を口にした
「失礼でなければ、どこか静かな場所でお話する事は叶いませんか?」

「テジンさん…」
驚いたように目を見張るスハ
彼女は困惑したように、眉に皺を寄せ、スハと僕とを交互に見比べている

「「あの」」
彼女と僕の声が同時に沈黙を破った

僕は続く彼女の言葉を待った
彼女は一呼吸おき
肩に掛けられていたバックの中からそろそろと紙片を取り出した

綺麗に四つ折りにされたその紙片を細い指が差し出す
それは何かの雑誌に掲載された、この個展の広告だった

「偶然…手に取った雑誌でこれを見かけて…。もしかしたらと思って…」
消え入りそうな声で彼女は言った
「ごめんなさい。顔を合わせるつもりはなくて…どんな個展なのか見てみたいと…本当に私…ただそれだけだったんです」

ああ…彼女は
どんな想いでここまで…

彼女は、もう一度、ごめんなさいと言い残し、パっと駆け出そうとした
「待って」
スハが彼女の腕を掴んだ
はっと彼女は振り返った

「テジンさん…先に僕が…彼女と話してもいいですか」
「スハ…」
「ホンヨンに田舎の様子とか聞きたい事も色々あるし…」
「でも…」
言いかけた次の言葉を呑み込んだ
なぜならスハがこう続けたからだ

「ホンヨン、この通りの先に喫茶店が見えるだろう?あそこで待っててくれないかな。すぐに行くから」
窓の向こうのその場所を指差すスハの声はとても優しいものだった

遠ざかる彼女の後姿を窓から眺め、僕は言った
「スハ、僕は、彼女に話さなければならない事がたくさんあるんだ。詫びなければいけない事が」
「テジンさん…ホンヨンは…多分、それを望んでないと思います。とにかく今は彼女と二人で話をさせて下さい」
「スハ…」
「今の彼女を見たでしょう?僕とあなたを直視させた上、まだこの続きを?…そんな事僕にはできません」
「…」
「お互いの近況などを話しながら昼食を摂る…ね?いいですよね?」

そこまで言われては譲歩するよりなかった
「わかった…でももし彼女が僕と話したいと言ったなら、すぐに連絡してくれ。携帯の電源はオンにしておくから」



それからの僕は
個展を見にきてくれ、賛辞を述べてくれるどの客に対しても
貼り付けたような笑顔で、饒舌に語りながらも
心はどこかに置き忘れたままだった

客足が途絶えるまでの時間がとてもとても長く感じられた
フロアには誰もいなくなり、展示していたソファにふらふらと腰を下ろした
背中を丸め、腿に肘をつき、組んだ両手に額を乗せ
どれだけそこに座っていても
握り締めた携帯電話が鳴る事はなかった


千の想い 167   ぴかろん

格好のいい男に、徐々に強く抱きしめられ、俺は目を閉じてまどろむ

「こっ…ここで眠るの?」

どもってちゃ格好よくないぞ…

「…。こっここで寝るの」

その男の口調を真似る

「ぃえっ?!」

奇妙な声を出したので、ガバッと起きて奴を見ると、まん丸い瞳が怯えている

「…。なによ…」
「ぁぃや…ぅ…」
「どうしたんだよ」

ギョンジンは申し訳無さそうな顔をして言った

「…お…もい…」
「!」

俺はすっくと立ち上がり、ベッドルームに向かった
パタンとドアを閉めたが、後を追ってくる気配はない

…もしかして気付いたから?俺が突然『愛してる』なんて囁いたから?
…帰ってしまうのかな…

ドアを開けてぼんやりしているギョンジンを呼ぶ

「来ないの?!」
「…ぁ…ぇえっ?」

ボケたのか?反応が鈍い。あっちの反応だけじゃなくて思考の反応まで鈍くなったのか?
…ボケたら俺が世話してやるけど、早すぎないか?
色々な意味で心配になり、ボケたバカを見つめた
バカはゆっくりと立ち上がり、テーブルの上のココアを飲み干し、こちらに一歩踏み出した後、テーブルの上の俺のカップをチラリと見た
カップを持ち上げると中身をじっと見て、唇をムンとした後それを一気に飲み干した

うう…
俺の飲み残しを…

くはっ…ぇぷっ…

格好いい男だったのに…ココアで酔っ払ってんのか?ゲップまでしやがった…

ぺたぺたぺた…ふたふたふた…

なんだか急に、足音までカッコ悪くなっている

ぺたん。ふた

「き…来たけど…」
「…」

俺は首を傾げて、中に入るように合図した

「あの…僕も寝る?」
「…添い寝」
「…あの…。僕…お役には立ちませんが…立たないし…」

ボソボソと洒落のような事を言い、俯いている

「寒いからあっためて」
「ぅえ?…は…い…」

かくんぺたんふた。ごそごそ…しゃばっ…しゅば…しゅばっ…へふん…

格好よさは煙のように消えた
まんがのような擬音の世界で、奴はコートとネクタイとスラックスを取った
俺はGパンだけ脱いで先にベッドに入った
続いてしゅるへたんふたずどんと奴が布団に滑り込んだ
棒のように真っ直ぐなバカに纏わりつく俺
バカはなぜか硬直している
バカの顔をもう一度マジマジと見つめる
そして俺は懺悔する

「俺、寝たよ。テジュンと…」

唾を呑み込みながら言った
嘘をつきたくなかったから…
バカはまた格好のいい男になって、じっと俺を見つめた
微笑みながら…

「何笑ってんの?怒らないの?」
「んふ…」
「嘘だと思ってる?」

格好のいい男は微笑んで首を横に振った
温かい瞳のまま

「…はっきり言うと、抱かれたんだよ」

こくん
頷くバカ
本当にボケたんじゃないだろうか…
頷いて微笑んでいる顔がたまらなく可愛くて、俺は思わずその唇にチュッとキスしてしまった
バカはますますニコニコしている

「ねぇ…。俺の言ってること、ちゃんと聞いてる?」
「ぅん」
「なんで笑ってるの?」
「…解ってた…なんとなくだけど…」
「…」
「昨日のお前、様子がおかしかったから…」
「…。なんで引き止めなかったの?」
「…引き止めたって、お前は行くでしょ?」
「…呆れた?」
「ううん。お前の気持ち、感じたから…」
「え…」
「テジュンさんを大切に思う気持ち、解ってたし…それに…お前が決めた事だから…。何が起きてもお前が納得してればいいと思った」
「…」
「明るい顔で帰ってきたからよかったなと思ってさ」
「…ギョンジン…」
「ん?」

俺はギョンジンを見つめた
強がりを言っている風でもない
本当にそんな風に考えてるの?

「なによ」
「…いつから聖人君子になっちゃったの?俺、…テジュンと…寝たんだよ」
「うん」
「平気なの?」
「平気なはずないじゃん!あのクソジジイ…」
「じゃ、なんで怒らないの?」
「なんで怒るの?」
「…ジジイに襲われたとか喚かないの?」
「…襲われたんじゃないじゃん。お前が決めた事でしょ?」
「…そうだけど…」
「だからいいの。お前が無事に帰ってきたからそれだけでいいの」
「…」
「ここに居てくれるだけで僕は嬉しい」
「…。ギョンジン…」
「だからって浮気はしてほしくないんだよ」
「本気ならいいの?」
「いいわけないでしょ!イヤに決まってる。でも…僕はお前じゃないから…。お前が決めて、納得してやる事に口出しなんてできないでしょ?…いい顔して帰ってきたから…ほんとに…よかったと思った…。テジュンさん、大丈夫だね?」

この男はなんて男だろう
どんどん大きくなる

「俺…アンタを裏切ってないよね?」
「うん」
「…俺、自分を傷つけたんじゃないよね?」
「それはお前が自分で解ってるでしょ?」
「少し泣いたんだ…」
「…なんで?」
「だってさ…テジュンがさ…。イナさんでないと」

イけないと言ったから…そう言うとギョンジンはガバッと起き上がって、ムキーなんてジジイだクソジジイっ!ラブとの極上のえっちを味わっておきながらっなんてなんてなんてクソジジイだ生意気なっ!ムキー…と叫んだ

「あのジジイは耄碌して感覚がおかしくなったんだ!ムキー」
「…ギョンジン…」
「ああにくったらしいキーキー」
「…でも…それ聞いて俺さ、ちょっと哀しかったけど、すごく嬉しかったんだ…」
「…」
「気持ち、見つけてくれたって…。俺、体当たりしてよかったなって…」
「ラブ…(;_;)」
「それに…」
「それに?なぁに?」
「…ぁ…ぃゃ…」

その次に言おうとした言葉は呑み込んだ

「なによっ(@_@;)なんなのよっ(@_@;)」
「…な…なんでもいいじゃん…」
「ショージキに言ってちょうだいっ(@_@;)気になるわっ(@_@;)」

なんでこいつはこんななんだろう…さっきまでめちゃくちゃイイ男だったのに…

「…それに…」
「それにっ?(@_@;)」
「俺…」
「おれ?(@_@;)」
「めちゃくちゃ気持ちよかったからぁ…。あは…」
「(@_@;)」
「…だから言うのやだったんだよな…」
「アタクシも頑張りますっ!(@_@;)オトウトともじっくりお話できましたし、アタクシ、体調を万全に整えて、あのクソボケジジイに負けないくらい頑張りますからっ(@_@;)」
「…」
「くう…ううう…」
「…ごめん…。でも…ほんとのことだ…」
「…」

布団に顔を伏せ、うーうー呻いたあと、ハッと息を吐いてベッドに仰向けになるバカ
それからバカはまた格好のいい男になって俺の頬を掌で撫でた

「…僕、悔しいし妬けるし辛いけどさ、お前がこうやって本との気持ち聞かせてくれるの…とても嬉しい」
「…」
「その事の方が嬉しい…」
「…俺…アンタ見てるとさ…気持ち、抑えられなくなる…」
「へ?」
「聞いて欲しくなるの…俺の…気持ちを…」
「…ラブ…」

バカが嬉しそうに笑う

「イライラしても、アンタに当り散らすと…気持ちが温かくなる…」
「…うん…」
「ごめんね…いっぱい意地悪して…」
「うん…いいの…」
「いいの?」
「…ぜんぶ…抱きしめたいから…」
「…」
「ね。お前がいてくれたから僕はここまでこれたんだ。だから…お前の涙もお前の笑顔もぜんぶ…抱きしめさせてほしい…」
「…」
「…イヤならいいけど…」

俺の恋人は
ほんとに凄い男で…
俺はほんとうに
幸せだと思った

バカで格好のいい、愛しい男を見つめる
気持ちが溢れ出てくる
素直に言葉にする
とても気持ちがいい…

「…愛してる…」
「僕もだよ、ラブ。どんなお前も愛してる…くふん」

*****

Casaに行ってチェミさんに明日パン作りを休むと宣言した
あれこれ聞かれる前に正東津で日の出を見てくるからだと告げた

「正東津?砂時計か?」
「チェミさんも行く?」
「…」
「ん?」
「…お邪魔は…したくありませんなぁ…」
「なんの?」
「…日の出見た後のくほほへん…」
「帰って来るけど」
「…夜通し走ってすぐに帰って来るのか?」
「そのつもりだけど?」
「…ほぉぉ…ふぅぅん…」
「なんで?」
「一泊ぐらいしてこんのか?」

ニヤリ
ヤらしい顔で笑うチェミさん

「してこん。夕方には帰って来る」
「ほぉぉ…。…。あ。でも。あれだ。日の出を見たあと『仮眠』なんかできるなぁほほん」
「は?」
「でないと運転危ないぞ、ん?」
「…それもそうだな…。昼近くまで寝ても夕方には帰ってこれるか…そだな。仮眠して帰って来る」
「…げほん…あー…」
「なんだよ」
「…まだか?」
「なにが?」
「…いや…まだのようだな。安心した。急いてはことを仕損じるからなぁおおん」
「…」
「ん?…仕損じたか?」
「ばか!」

ほんとにもう!
…やっぱし…やり方とかチェミさんに聞いてもいいかもしんないぜ、ヨンナムさん!

*****

イナが爽顔さんと正東津に日の出を見に行くと言った
こいつらはまだどうこうなったという訳ではなさそうで俺は少しばかり安心した
このコドモにあのコドモではうまくいかんと俺は踏んでいる
早く気付けばよいものを…
コドモはコドモ同士、じゃれて遊ぶ程度でよいのだイナよ…

「チェミさん」
「んおあっ?!なんだっ!」
「なんだよでっかい声出して…。昨日ヨンナムさんのケツ撫で回したってほんと?」
「ぶほっ」
「…ほんとなんだ…」
「…たっ…確かめただけだっ!
「…。なにを?」
「…あーうー…。お前が昨日作ったパンの感触に似てるかどうか…」
「…。似てた?」
「ぶへほっ!」
「ねぇ…似てた?」
「…まぁ…少しはな…」
「少しかぁ…やっぱしなぁ」
「ん?」
「…。な、な、チェミさん…」
「なんだ」

イナはコソコソと俺に耳打ちした
話の内容を聞いてゲホンゲホンと咳き込んでしまった
そんな事はお前が一番解ってるだろうがっと怒鳴ってやった

「いや…なんとなくアレだけど…その…」
「第一そんな事はお前っ!げほんげほん!聞いてするモンじゃないっ!大体お前、いつも濃顔さんとっ…」

マズいことを口走った…

「げほ…すま…ん…」
「別にいいよ…」
「…なんでそんな事聞く?」
「…」
「…焦ってないか?どうしたんだ?」
「…ん…。テジュンと…ラブさ…昨日…」

イナは濃顔さんと色気小僧の情事を感じ取ったと言う
まったく…溜息しか出ん

「…。だから正東津か?だからどうすればいいかを聞くのか?ん?」
「…」

俺はイナの目を見つめて言った

「濃顔さんの痛みが解るか?」
「…痛みって…」
「どうしてあの色気小僧とそうなったのか、お前、解らんのか?お?」
「…」
「お前には解ってるはずだ…」
「…」
「焦るな…。慌てるんじゃないぞ…。日の出を見るのはいい。じっくり考えて来い」
「…。ぅん…」

イナは何度も頷いていた


千の想い 168   ぴかろん

*****

ギョンジンに包まれて眠る
どんな時よりも今、幸せだと感じる
俺なんかとつきあって、胸のうちは穏やかじゃないだろうに
この男はいい男だ…俺なんかには勿体無いぐらい…
髪を撫でてもらいながら、俺は昼過ぎまで眠った
目覚めるとバカもスースー眠っていた
唇にチョンと触る
通った鼻筋や微かに揺れる睫毛を眺める
俺は欲張りな男だから
あれもこれも欲しくなる
アンタは気前がいいから
あれもこれも人に与える
ねぇ
俺がこれ以上欲を出さないように
アンタ、俺の傍に居てよね…
鼻先をチョンと突く
ううん…とバカが蠢く
俺は先に起きて服を着替える

立ち上がって気付く
朝から何も食べてない
俺はバカを揺り起こし、ご飯食べてその足で店に行こうと誘った
バカは、ぁあうんとボケた返事をし、漸く身を起こした
寝癖のついた髪がかわいい
思わずバカを抱きしめる
条件反射のようにバカも俺を抱きしめる
アンタがいるから俺は俺でいられる
俺ね、よぉく解ったよ…
アンタがいなきゃダメだって…

テジュンも…
イナさんがいなきゃ…ダメなんだよ…

「ごはん…食べに行こうか…」
「うん」
「大好きだよ、ギョンジン」
「…」
「ん?」
「…僕も…大好きだよ、ラブ」
「くふ」

部屋を出て手を繋いで街を歩いた
俺は貴方がとても大切だよ…

*****

朝メシを適当に食べて目の前の会社に出社した
先輩は既にデスクに向かっている
暇だとか言ってたくせに…
挨拶をして自分のデスクに座る
先輩はデスクから目を離さずに言う

「暇だから済州島の講義プランでも見直しといて。きっとあっちからメールが届いてると思うしぃ」
「はい。…先輩忙しそうだけど…手伝いましょうか?」
「いや、これはくふふん…副業のレポートだから…」
「…何の副業?」
「内緒…くふふん」

気持ち悪い…
僕はパソコンを立ち上げ、メールをチェックする
必要なメールは極僅かで、ほとんどが不必要なダイレクトメールだった

「テジュン」
「はい?」
「髪型、なかなかいいぞ。どこの美容室でやって貰った?」

顔を伏せたまま、先輩が言った
どこに目がついてるんだ!どうやって見たんだ!こっちも見てないってのに!

「専属の美容師がいまして…」
「専属だと?ふん。顔色もよくなってるな、スッキリしたみたいだけど」
「専属のマッサージ師にあれこれ解してもらったから…。コーヒー淹れましょうか?」
「ああ頼む」

僕は立ち上がってコーヒーを淹れた
僕専属の…一日限りの…ラブ
あんなあやふやな気持ちで抱いてしまった…
ラブは明るい顔で帰って行った
ほんとに…僕のからだだけが目的だったらいいけど…

はっきり見えた僕の気持ちを
僕はどうすればいいのだろう…
イナはヨンナムに向かっている…
ああ…
ギョンジンと話がしたい
唐突にそう思った
あの大きな男に会いたい

「でもなぁ…」

昨日の今日だもの…

「無理だよな…」

ラブを思い出してしまう…

「はぁ…」
「なに一人芝居してんのよ」
「あうっ…びっくりした。仕事してたんじゃないんですか?」
「お前…相変わらず暗いぞ」
「…」
「スッキリしてるけど暗い。キム・イナはどうした」

どきりとした

「あの…」
「好きなくせになんで動かないかなぁ」
「…」
「昔それで大失敗したろうが…。取り返しのつかないことに…」
「…大丈夫です…」
「大丈夫?」
「…失敗はしないから…」
「…」

先輩は細い目でじっとりと俺を見た
持っていたカップを先輩に押し付ける

「はい、コーヒー」
「おお。サンキュウサンキュウ救急車」

なんだよそれは…

先輩と僕はそれぞれのデスクに戻り、それからほとんど口をきかずに仕事に没頭した

*****

昼間、少しだけヨンナムさんと会った
本当に正東津に行くのかと聞かれた
行くから道調べといてというと、ぷっと頬を膨らませて、なんで僕が調べなきゃなんないのさっ!と怒った
だって俺、道知らないもんと答えると膨れっ面のままトラックに乗り込んだ

「何よぉ、お昼ご飯食べに行かないの?」
「今日中に明日の分の配達しなきゃなんないから!」
「手伝うよ」
「イナは旅行の準備でもしたら?!」
「準備って…着替えぐらいだろ?持ってくもの…」
「とにかく!夜、お店の方に迎えに伺いますからっ!仕事の邪魔しないでくれる?!」
「何怒ってるんだよ」
「…自分の都合ばっかり…」
「…なんだよ…ヤだったらヤだって言えよ。別に無理していかなくてもいいよ!」
「…」
「また拗ねる」
「行きたいけど…」
「けどなにさ」
「…どこに…泊まるの?まさかテジュンと彼女が泊まったホテル?」
「え?泊まらないよ」
「え゛?!」
「日の出見て、どっかで仮眠して帰って来る。夕方にはBHCに出なきゃいけないから」
「なんでっ!僕には仕事休ませといて!卑怯だ!」
「卑怯って…俺は間に合うんだからいいじゃんかぁ。だから手伝うって言ってるのに」
「いい!もう!」

ヨンナムさんはプリプリしながらトラックを発進させた
わっかんねぇなぁ…行きたくないなら行かなくてもいいんだけどなぁ…
泊まりじゃないのが不満?
天邪鬼なヨンナムさんに首を傾げた

夕方、BHCに行った
ラブとギョンジンが仲良く見詰め合っていた
心の中に雲が湧いた

言ってやろうか…昨日の事を…

黒い雲を蹴散らして俺は仕事をした
休憩しに裏に行った時、店に戻ろうとするラブと出くわした

「…イナさん…。テジュンが…」
「知ってる。言うなよ」
「…俺んち出たこと?…知ってた?」
「ああ」

それ以上の事もな!

「そ…場所は」
「テジュンの会社の目の前のビジネスホテルだろ!」
「…それも知ってたんだ…」
「メモがあった、ヨンナムさんちに」
「…そ。ならいい」
「…」

ラブは目を伏せて俺の横を通り過ぎた

『寝たことも知ってる』

そう言ったらお前、どんな顔をする?
ギョンジンに言ってやろうか?
あいつ、どんなに傷つくだろう…

馬鹿な考えを消して控え室に入った
もういい…
俺はヨンナムさんと新しく始めるのだから…
お前はテジュンと裏でコソコソやればいい
ギョンジンは…
ラブのことだから、二人の間でうまくやるんだろう…
どうでもいい…
蹴散らした雲が知らない間に足元に集まっている
どうでもいいんだ!なんとでもなればいいんだ!
雲の幻影を踏み潰した

控え室でヨンナムさんに電話をした
俺の着替えの入ったバッグ持ってきてねと言うと、またプリプリ怒りながら人遣いが荒すぎるなんて言っていた
店が終わって外に飛び出すと、駐車場にヨンナムさんが俯いて立っていた
凭れているのはトラックじゃなかった

「…どしたの?トラックは?」
「車…借りてきた…」
「わざわざ?なんでさ。トラックでよかったのに…」
「あれは僕の商売道具なんだぞ!…それに…」
「ん?」
「…せっかくだから…乗り心地のいい車で行きたくてさ…」

可愛らしい事を言う
照れてるんだろうか…ずっと俯いている
俺はヨンナムさんの腕を引いて助手席に押し込んだ

「俺、運転していくよ」
「イナって運転できるの?」
「バリバリだ」
「…だっていっつも助手席とか後ろとかに…」
「運転させてくれないんだもん、貴方もテ…。…他の人も…」
「…」
「そりゃ俺、ソウルの道は知らないけどさぁ…ちゃんと運転できますから。隣でナビしてね」
「…ホンモノのナビ、ついてるよ、これ」
「…」

一言多いヨンナムさんをシートベルトで括りつけて、俺はエンジンをふかした
…久しぶりの運転だけど、俺の運動神経を持ってすれば…多分大丈夫だろう…あはは…

「安全運転でいくから!」
「…大丈夫?」
「大丈夫だっ!」

そう言いながら、街中の運転はかなりビビりまくった…
ミンチョルのヤツ、こんなとこでよく『斜め三車線ぶっちぎり』だの『涙目運転』だのできるな…
不器用なくせに変なとこでは器用だからなぁ…

「その道っ!ああん通り過ぎてる…。なんでナビに従わないのさ!」
「ごっ…ごめん…。ちょっとミンチョルの事考えてて…」
「はあ?僕が運転するよ!」
「いやだ!俺がする」
「お前に運転任せてたら、日の出なんて見れない!」
「街中は不得意なだけだ!高速に乗ったらブイブイだっ」
「…」
「だからさぁ…ヨンナムさんがナビしてよ…」
「…わーった…」

あら、素直…

「さんきゅ。一本道に入ったら、貴方寝てもいいからね」
「…」
「ん?」
「心配で眠れそうにもない…」
「大丈夫だってぇ…」
「お前は眠くないの?」
「若いから」
「年、そんなに変わんないだろ!」
「ふ。眠くなったら代わってよね」
「わかった」

街中の道は走りにくい
なんでこんなに車が多いのだ!
ぶーぶー言いながら、ヨンナムさんの心配そうなナビでどうにかこうにか高速に乗った


ご機嫌ななめ  オリーさん  

目を開けるとミンの顔があった
「どうした?」
「どうしたじゃないよ」
「・・・」
「全然起きないんだから」
「時間か」
「もう行かないと」
「わかった」

徹夜明けでそのままポスター撮りに入り
その後RRHに戻りちょっと仮眠をとった
店へは久々の出勤だ
僕が寝すぎたせいで遅刻しそうだとミンが目を吊り上げている
シャワーを浴びて出てくると、ますます遅刻しそうだと叱られた
怖いので僕は黙々と支度をした
やっと支度が終わりエレベーターにたどり着いた

「そう言えば・・」
「何?」
「やけに静かだな」
「え?」
「お兄さんとイナは?もう出たのか?」
「兄さんはラブ君のとこから出勤だと思うよ」
「イナは?」
「イナさん・・」

さっきまで目を吊り上げていたミンがふと視線をそらした
「どうした?」
「イナさん、ここのところ帰ってないんだ」
「帰ってない?」
「うん・・でも店には出てる」
「テジュンさんのところか?」
「いや・・違う」
ミンはちょっと困った顔をした

「どうした?」
「実はイナさん・・別れたって」
「別れた?」
「テジュンさんと別れたらしい」
「何だって?」
「だからテジュンさんと別れたって」
「まさか」
「それが、まさかじゃないかも・・」
「なぜ?」
「さあ・・」

「馬鹿な・・別れるわけないだろう、あの二人が」
「テジュンさんが2日くらいラブ君のとこに泊まってたって」
「ラブのところ?」
「あ、でもそれは兄さんも一緒だから」
「イナはどうした?どこに泊まってるんだ?」
「ヨンナムさんの所らしい」
「ヨンナムさん?」
「うん」
「・・・」

何で別れるんだっあの二人がっ!
何でテジュンさんがラブの所に泊まって
イナがヨンナムさんの所へ行くんだっ!
イナの奴、テジュンさんとヨンナムさんの顔が似てるからって
区別がつかないんじゃないだろうな・・
そこまであいつはぶぁかなのか?
ましゃか・・

僕は一気に機嫌が悪くなった
反対に、さっきまで僕を怒っていたミンは
疲れてないかとか、店に出ても無理しない方がいいとか
急に優しくなった
しょうか・・しばらく機嫌を悪くしていよう、こほっ

そんなこんなでミンと久しぶりの店に入った
僕より先に店に出ていたスヒョンがさっそく声をかけてきた
「お前、少しは寝たの?」
「寝た」
「表情が険しいけど、何かあった?」
「何もない」
「ほんと?」
「嘘ついてどうする」

スヒョンはいきなり僕の隣に立っているミンに近づいた
そして二人で何やらこそこそ話をした
こそこそ話が終わるとスヒョンが僕の肩をぽんぽんとたたいた

「あんまりカリカリしないの」
「してない」
「あのね、お前は思ったより態度に出るから気をつけて」
「態度に出る?」
「不機嫌だと、お客様に悪いでしょ」
「心配ない」
「イナはイナで色々考えてるから、ね?」
「あんな奴の心配なんかしてないっ」
「ならいいんだけど・・こめかみ震えてるよ」
「誰があんな家出男のことなんか、心配してないっ」
「家出じゃなくて外泊だろ?
それにお前、イナのこと図々しい居候だって言ってなかった?」
「い、居候のくせに家出するなんて生意気ら・・」
「くふ。どうでもいいけど、店に出るまでらりるれ直しておきなさいね」
スヒョンはくすくす笑って行ってしまった
僕はマックス機嫌が悪くなった

打ち合わせの途中でイナが入ってきた
僕と目が合うと
あいつはこれ以上ないというくらい、口を横に広げて微笑んだ
いつも僕に悪態をついているあいつが
あんな笑顔を作るときはろくなことがない
だまされないぞ光線を僕は送った
らってあいつの目は笑ってないのらから

それにしてもあいつはカンがいい
営業の合間に何度か話しかけようとしても
するりとかわして客の間を泳いでいる
動物的カンが恐ろしく発達しているのら
そして時々僕を見てはにっこり笑うのら
くしょーーっ!
ぶぁかっ!
この家出男がっ!

僕が目を吊り上げる度にミンが隣で咳払いをする
お客様にも突っ込まれる
今日はご機嫌悪いバージョンなの?何だかゾクゾクするわあ
いっそこっぴどく叱られたいわあ、などと・・
僕が本気で叱るとどうなるか知ってるのかっ
だが営業で、本気モードを出して叱り倒すわけにはいかない
二度と客が来なくなる、と以前スヒョンに注意された
あの技をするには、こちらにもそれ相当の余裕がないとできないのだ
そこで僕は仕方なくソフトな笑顔を作るのだった

そんなこんなの状況下、寝不足もたたり
僕の機嫌はマックスX3くらいまで悪くなった

いよいよ店が引けた
ロッカールームでイナは、何やら急いだふりをして
手際よく帰り支度をしている
僕はツカツカ歩きでイナに近づいた
イナは振り返り、よおと言った

「イナ、話がある」
「悪いな、俺急ぐんだ」
「時間は取らせない」
「いや、マジで急ぐんだよ」
イナはするりぬけ技でさっとロッカールームを出て行った
僕はカツカツ走りでイナの後を追った

出口の手前でイナが立ち止まって振り返った
「ミンチョル、俺これから出かけるんだ。だからさ・・」
「ほお・・誰と出かける?」
「んなこと、どうでもいいだろ。お前に関係ない」
「関係ないが聞きたい」
「また今度、な?」
イナはまた愛想のいい笑いを浮かべた
だから、お前のその笑顔が曲者なんだっ
じゃあな、と言ってイナが出て行こうとした

僕はそのイナを腕掴みんちょるで捉えた
ふんっ!
逃がすものかっ!


千の想い 169  ぴかろん

漸く車の波に乗れたので、助手席のヨンナムさんの首っ玉を俺の方に引っ張る

「なんだよ」
「寝ていいよ。江陵までは解りやすいから」
「…そりゃ高速だもん、普通大丈夫だけど…イナは…」
「まかせとけって!ちゃんとナビ見るし」
「…お前だって眠いだろ?」
「昼間公園で転寝した。ヨンナムさんが付き合ってくんないから一人寂しくね」
「…だって僕は明日の仕事の段取りとかいろいろあったからっ!」
「んふふ。だから大丈夫だって。太腿枕してあげるからさ」
「…」
「ん?」
「それ…。あいつの…」
「…」

知ってたのか…テジュンの得意技だってこと…

ほんの少しの間、俺達は黙った
それからヨンナムさんはゴソゴソとシートベルトを外して俺の太腿に頭を乗せた

「あ…気持ちいいじゃん…」
「だろ?」

テジュンのことには触れなかった

「イナ、ここからだと唇が邪魔して鼻が見えないよ」
「うるさいなぁ、まるで俺の鼻が低いみたいじゃないか!」
「だって…見えないよ」
「寝ろよ!コドモ!」
「ん…おやすみぃ」

ヨンナムさんは静かになった
俺は前を見ながらヨンナムさんの頭を撫でた
なぁんか…猫みたい…

うふふふ…ははは…

頭の隅っこで笑い声が聞こえた
昔、誰かとこんな風にドライブしたっけ…
…あれは…アメリカだ…
ああ…スヨンか…

ヨンナムさんの髪を撫でながら、こないだからのあの感覚がスヨンとの日々に似ていると漸く気付いた

そういえばスヨンもよくプリプリしてたっけな…
怒ってたかと思ったらすぐに甘えて…
そっかぁ…スヨンに似てるんだ…

どこか懐かしい想いがしたのはそのせいか
俺は一人でふふふと笑いながら夜の高速道路を走った

江陵から海沿いの道を走り、見覚えのある街に入る
結構早くに着いてしまった
夜明けまで二時間近くあるぞ…どうしよう…
煌びやかなモーテルだのホテルだのがいっぱいある
流石は観光地だなぁ…
入ろうかどうしようか迷ったが、中途半端な時間なので砂時計公園の駐車場で仮眠を取る事にした
運転の緊張がとけたのとヨンナムさんの温もりとで、俺はすとんと眠りに落ちた

ヨンナムさんの腕時計のアラームで目が覚める
空が幾分白んできた
俺はヨンナムさんを揺り起こして車の外に出た
砂時計公園で入場料を払い、正東津駅の浜辺に向かった
ヨンナムさんはあくびをしながら俺の後ろを着いて来た

「ふぁぁ…。あふ…。人がいっぱい寄ってきた」
「うん」
「迷子になりそうだ」
「ちゃんと着いて来てよ」
「お前こそ」
「む…コドモが生意気な…」
「そっちが元祖コドモなんじゃないか!」

俺達はコソコソと言い争いながら浜辺を歩いた
観光客が続々と集まり、日の出を待ちわびている
ヨンナムさんは肩を竦めて明け方はやっぱ寒いなと言った

後ろから抱きしめる
くっつくとあったかい

人が見てるよとヨンナムさんが擽ったそうに言った
いいの見ててもと俺は答え、ヨンナムさんの頬にキスをした

あ゛っ

そう
その『あ゛っ』が好き

「…まだ出てこないね、おひさま」
「だぁれかさんの天邪鬼、真似してるんだよおひさまも」
「むぅ…」
「くふふふ」

やがて水平線がキラキラと光りはじめ
大きくて赤い太陽が顔を出した
海が輝き、空が光る
長く待っていた太陽は見る見るうちに姿を現す

「…はや…」
「は?」
「おひさまのぼるのはやっ」
「…なんて感想だよ!もっとロマンチックな事言えないのかよ!」
「…ふん…」

頬を寄せ合ったまま文句を言い合う俺達はきっと変な奴等だろう…
上りきった太陽は、すでに普段の顔をしている
見つめていたヨンナムさんが突然俯いた

「イナ…」
「ん?」
「…どうして…ここ?」
「え?」
「ここは…テジュンと彼女の思い出の場所だろ?」
「…うん…」
「それに…お前とテジュンの…場所でもある…。どうして僕をここへ連れてきたの?…わかんない…昨日一日考えてた…どういう意味なのか…」

答えずにヨンナムさんの顎を掴んでキスをした

「んっ…。やめろよ!こんなとこでっ」
「じゃ、人気のないとこに行こう」
「やだよ!ちゃんと質問に答えろよ!」
「…人気のないとこで答える」
「…」

ヨンナムさんの肩を抱いて砂時計公園へと向かった
浜辺を歩きながら海を見つめた
立ち止まったヨンナムさんは、浮かない顔をしている

「まだ人気あるけど、ここでもいいか」
「どこでもいいよ!ちゃんと答えてよ」
「…じゃ…」

ヨンナムさんを正面から抱きしめて深くキスをする
抵抗できないようにしっかりと抱きしめて…
強張っていた体が柔らかくなる
唇から唇を外してヨンナムさんの額に滑らせる
はぁ…と小さな溜息が聞こえた

「あのね…。テジュンとここに来た時、俺の心の中にはずぅっとヨンナムさんがいたんだ…」

ヨンナムさんは驚いて俺を見る
俺は言葉を続ける

「テジュンと食事をして、テジュンと肌を合わせて、抱きしめられてもキスしても、俺の頭の中に貴方が引っ掛かってた
ずっと貴方を思ってたんだな…酷い男だ、俺ってさ…
だからなんだ…
だからここに来たんだ
俺にとっては、正東津は…貴方との思い出の場所でもあるんだ…」

ごめんテジュン…
あの大きな砂時計の砂で
お前を覆い隠してしまおう
俺はこの人と今からを始める
そう決めたんだ…
そう…

ヨンナムさんを抱きしめて心の片隅で蹲るテジュンに呟く

さようならテジュン
消すよ…さようなら…

胸が痛かった
ヨンナムさんに涙を見られないように暫く抱き合っていた


千の想い 170 ぴかろん


*****

ずっと考えていた
一昨日の夜、イナを抱けなかった事を
昨日の朝、イナが正東津へ行こうと言った事を

イナと触れ合い、温めあう
幸せな気持ちになる
イナと旅をする
胸がドキドキする

なぜ抱けなかったのだろう
初めてのことだから、どうすればいいのか迷ったのは確かだ
でもそれだけだったろうか…

あの時僕の頭の中には汚泥と白砂が渦巻いていた
イナを自分のものにしたいという欲望と
どこかでそれをしてはいけないという理性が
怖ろしいほどのスピードで罵り合っていた
浮んだ全ての言葉を
僕ははっきりと憶えているはずなのに
その全ての言葉が
布で包まれ葬られようとしている

旅に出てよかったのか
正東津で日の出を見る
それはテジュンが彼女としたかった事だ
テジュンがイナとした事だ

僕も彼女と見たかった
僕もイナと…
だから…

だから…いいのか?

イナが僕を抱きしめる
抱きしめてキスをする
温かくて柔らかい微笑みで僕を包む

お前…本当に僕でいいの?
本当に…僕達の…はじまり?

浜辺で抱きしめられながら波の音を聞いた
胸の痛みは僕一人のものなのかな
違う…
きっと違うんだ…
だけど…

イナの肩に頭を預けて、僕はイナの体を抱きしめた

*****

浜辺を散歩した後、大きな砂時計を見た

「この砂時計、上に溜まってる砂は『未来』で、下に落ちた砂は『今』を現してるんだって…」
「ふぅん…」

同じ会話をした
説明したのはテジュンで返事をしたのは俺だった

「この時計に過去はないんだって。『レールが時間の流れを現してる』ってガイドブックに書いてある」
「過去が…ないの?」
「うん…そうなんだって…」

『過去は…どこ行くんだろうな…』

そう呟いたのは確か…俺だ…

「過去は…心に流れ込んで行くのかな…。それが今の僕を作り上げている…のかな…」
「驚いた。同じこと言う…」

言いかけてハッとした
ヨンナムさんがピクンと動いた
一瞬躊躇った後、俺はその名を口にする

「…テジュンと…同じようなこと言うね…。流石は従兄弟だな…」
「…イナ…僕」
「飯食ってさ、銭湯に行って、そんで帰ろうか」

話を遮った
戸惑い顔のヨンナムさんの肩を抱き、車まで戻った
適当な店で適当な朝食を済ませ、近くにある銭湯の場所を聞き、そこに行った
その街の人達が汗を流す場所で、俺はヨンナムさんの背中を流した

「痛くない?」
「うん…」
「そういやぁさぁ」
「ん?」
「俺達って…初めてだよな?」
「何が?」
「一緒に風呂に入るのってさ…」
「ぶ…」
「だろ?ヨンナムさんちの五右衛門風呂には二人一緒には入れないっしょ?」
「…無理したら入れる…」
「…」

その図を想像すると妙に可笑しくていやらしい

「こ…今度…」
「一緒に入る?」
「違う!今度は僕が背中洗ってやる」
「…そ?」
「…」

俺はヨンナムさんに背中を向けた

「いってぇぇっ」
「ふん」
「そんなガシガシすんなよ!痛いよっ!」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃねぇよ痛いって!…ヨンナムさん意外と力あるんだな」
「日々重い水を運んでますからっ」
「…いたいって本とに…優しくしてよぉ」
「ふんっ」

長い事じゃれあった
人がいないのを確かめて、湯船でお湯のかけあいこもした
ガキの頃に戻ったみたいに懐かしくて楽しかった
見た事のなかったヨンナムさんの無邪気な笑顔
ひとつみつけた新しい宝物
からっぽの箱にコロンと入れる

きっとこれからこの箱に
貴方のかけらがたくさん入るんだ

ひとつめの宝物を入れて蓋を閉める
微笑んでヨンナムさんを見つめる
穏やかな気持ちなのに
ほんの一瞬
心を掠める冷たい風を感じた

*****

銭湯を出て車に乗り込む
僕が運転するというのに、イナは、まだ大丈夫だからと運転席に座った
仕方なく助手席でシートベルトを締める
疲れたらすぐに代わるからねと言うと
疲れたら休憩するとイナは答えた
横顔がいつもよりキリっとしていて男らしかった

海辺の道路を江陵まで走り、高速に乗るつもりらしい
正東津の街外れでイナはキョロキョロと何かを探している

「どうしたの?」
「…疲れたから休みたい」
「…。だから僕が運転するって言ったのに。代わるよ」

イナは答えずに脇道に入った

「…どこいくの?」
「休憩」
「…イナ?」

それきりイナは黙り込んだ
向かった先は…

「イナ!なに…」
「休憩する」
「イ…」

ただのモーテルだ
普通の人だって泊まったり休憩したりする場所だ
でも…

「どういうつもり?!」
「寝る」
「…え…」
「眠い」
「…あ…」

仮眠するってことか?

「…だったら僕が運転するから、お前眠って行けば」

声をかけたのにイナはさっさと車を降りてフロントで部屋を取っている
何か雑談して笑っている
僕達はどういう風に映っているのだろう…
イナは微笑みながら僕に近づく

「お昼まで眠って、それから帰ろう」
「…イナ…」
「ね?」

僕の横を通り過ぎ、部屋へと向かうイナの後を追った

*****

部屋に入り伸びをする
後ろからヨンナムさんが不安そうに入ってきた

「んぁぁ~」
「わ」

あくびついでに抱きつく
驚く顔が可愛いと思う

「ふははは」
「やめろよイナ…」
「やめない」
「やめ…」

どうしてここへ来たんだろう
抱きしめたら火がつくと解ってるのに
どうして俺はヨンナムさんを抱きしめるんだろう

『焦るんじゃないぞ』

チェミさんの声が響く
焦ってるのかな、俺は…

昨日からずっと戸惑っているヨンナムさんに俺はまたキスをする
抵抗する彼をベッドに押し倒す

「イナっ!ねむ…眠るんだろっ?!」
「ん…」
「何してるんだよ!なんでだよ!」
「ヨンナムさん…」
「な…に…」
「好きだ…」

静かに彼にくちづける
焦ってるわけじゃないよ、チェミさん…ただ…

様々な風景が俺の体を過ぎて行く
スヨン…チニさん…テジュン…
チェミさんの顔、ミンチョルの顔、ソクの…ギョンジンの…ラブの顔…
見たこともない『彼女』の姿…
流れ落ちていく砂
テジュン…

「好きだよ…」
「イナ…お前…」
「貴方と今から始めるんだ…」

目を閉じて深く深く彼に…くちづける




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