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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 244

千の想い 205 ぴかろん

*****

「ほら、連れてきてやったぞ!」

玄関のスペースにイナのカバンを置き、僕は洗面所に向かった
今夜は誰も帰らないだろう…
風呂を沸かす気にもなんない…

「手抜きでいくか…」

五右衛門風呂に給湯器からのお湯を溜める
追い焚きの用意はしてないからさっさと入らないとすぐに冷たくなっちゃう…
釜に少し湯が溜まったところでムリヤリ入る
さむいさむいと唸りつつ、僕は浸かりながらお湯を溜めた
湯の量が増えてくるにつれ、僕の体はゆるく温かくなる
ふと…罰せられる事を望むかのように絡みつきながらここに居た、イナとの触れ合いが甦る
どうかしてた…あの時は…。僕もイナも…

「あんなこと…しなきゃよかった…」

まだ覚えてる
あの時の…

引き戻されそうになる気持ちを振り切って僕はぬるま湯から出た
ザッと体を洗い、熱いシャワーを浴びる
一人で風呂になんか浸かるもんじゃない…
ろくなことがない…


部屋着を着て居間に行く
テレビをつけてぼんやり見る
バラエティ番組に俳優が出演している
テンポのよい司会者の質問に、面白い答えを出している
俳優が面白いのか、司会者が上手いのか…

「どーでもいいや…」

台所に行って焼酎とつまみを持ってくる
玄関に置きっぱなしのイナのカバンを居間に放り込む
テレビを消して焼酎を飲む

触れると…解るんだ…望むものではないことが…
触れなきゃ解んないのか?
いや、解ってるさ…気づいたんだもの…
でも、覚えている…感じた事を…望んでなくても感じたって事を…

「んふ…きもち…いいんだよね…お前って…」

イナのカバンを引き寄せ、パンパン叩いてやる

「おめぇはずるいよ…なんであんな事、僕に仕込むんだよ!」

イナのせいか?違うだろ?

気持ちがあちこちにバウンドしている
決心したのにまだ揺れてる…

「イナはもう揺れてないんだぞぉ…はぁ…」

テーブルに突っ伏した時、携帯が鳴った

『ヨボセヨ、ヨンナムか?』
「…テジュン…なんだ?」
『明日の夜にでも…そっちに戻ろうかと思うんだけど』
「…え…」
『いいかな…僕、そこに住んでも』
「…いいに決まってるだろ…」

テジュンが帰って来る
…イナは時々ここに来るだろう…
テジュンがイナを幸せにする
…僕はもう…迷わないだろうか…

イナのカバンを擦りながら、テジュンと暫く話をした
たわいもない話で、イナの事には触れなかった

『じゃあ…明日、帰るからな』
「了解。あ、…そうだ、明日、夕飯はいるのか?」
『…。どこかで食べてから行くよ…』
「…。一人で帰って来るの?」

なんと答えるだろう…
カバンを撫でていた指で、自分の唇をなぞった

『うーん…多分一人だと思う…』
「ふぅん…そう…」

…さっきキスした唇を思い出す…

『じゃ、おやすみ、ヨンナム』
「…おやすみ…」

あの唇はテジュンのものか…

電話を切ってまた焼酎を飲んだ





口につまみを放り込み、焼酎を煽る





もう1本飲んでやる!










背中


指と…舌…

「ああ…畜生…こん畜生…」

あの唇を思い浮かべながら
手の甲に唇で触れる

こんなじゃない…
こんなだった…
ああ…
あの指と…舌…
そして唇

ふっ切れないのはひとりだから?
ソクさんやギョンジン君のような
『あとがま』がいないから?

どうして僕には『愛する人』がいないんだろう
ああ…一人で酒なんか飲むもんじゃない…
でも…

イナと知り合う前は、よく一人で飲んでたんだ…
君に語りかけながら一人ぽっちで飲んでた…

「やっぱ…寂しいよ…」

涙が零れた
どうせ誰もいないんだ
思いっきり泣いていいんだ
思いっきり罵って、思いっきり我儘言って…

僕は馬鹿みたいに泣いた

覚えている
イナが僕にどんな風に触れたか
あの時の僕達の想いなんて
そんな事は関係ないんだ
それはもう終わった事で
僕の気持ちは整理がついている
なのに…
アイツがいなくなっても僕に纏わりついているのは

指先…唇…触れ合う肌

消えて欲しいのに
覚えていたくないのに
喘ぐ声が
歪めた顔が
僕を貫く

あの顎に噛み付きたい…ああ…

ばかやろう、ばかやろう…
なんであんな事したんだ…
なんであんな事…

罵った
泣き叫んだ
なんであんな事したんだろう…僕は…

*****

カラカラカラ…
「ただいま…」

派手に叫んでるな…
耳がよすぎるのはホントに困る
角を曲がったあたりから、ヨンナムさんの昇華しきれない思いが聞こえていた
僕が戸を開けて入っていくと、泣き喚いていた子供が一瞬泣き止んで僕を見た

「…ソ…クさ…」
「どうしたんです?派手に泣きじゃくって。寂しかった?」
「…帰ってきたの?」
「いけないの?僕、ここに住んでるんですけど」
「…」
「あーあ。一人で飲むのはズルです」
「…。す…スヒョク君は?」
「ああ、スヒョクは寮に帰しました、危ないから」
「危ない?」
「昨日みたいに貴方にキスしたらイヤですし」
「…なんでソクさんはこっちに?一緒に寮に行けばよかったじゃないですか」
「…スヒョクがね」
「はい」
「貴方を心配してるんです。一人にしないでって」
「…」
「で、ま、僕だけでもと思ってね」

ヨンナムさんの顔が歪み、再び泣き始めた
僕は洗面所で手洗いうがいを念入りに行なったのち、台所で水割りの用意をした
居間のサイドボードに『飾られているだけ』のようなバーボンがある
大して高くないと思えるのになんで『飾って』あるんだろう…
居間に戻り、テーブルに突っ伏して泣いているヨンナムさんの後ろのサイドボードからバーボンを取り出す
ガラス戸がヨンナムさんの背中に当たる
ごそごそやっているとヨンナムさんの泣き声がわざとらしく大きくなった
ガラス戸を閉め、ポンポンとヨンナムさんの背中を叩くと、泣き声にウエーブがかかった

「なんだよ、だだっこみたいだなぁ」
「…か…かってになにしてる…んでしゅかっぐすぐす」
「このバーボン、飲んでいいでしょ?昨日から目をつけてたんですよフフフ」
「…い…いいですけろ…ぐす…」
「毎日焼酎だと飽きちゃう」
「…ふん…焼酎が一番ですよっ!ふん!ぐす…」
「こども」
「ぐす…」
「いいけどね」

コポコポと琥珀色の液体をグラスに注ぎ、ロックで一口飲んでみる

「お…まろやかないい酒ですなぁ…」
「…」
「飲む?ヨンナムさん」
「…いい…焼酎で…」
「こどもぉ」
「…どうせぼくはこどもです!」
「お兄さんが聞いてあげるよ…なんでも話してごらん」
「…おにいさん?」
「…お兄さんってのがイヤなら先輩でもいい。聞いてあげるよ、あの色っぽい五歳児の毒牙体験者としてアドバイスしてあげる」
「…」

最初はふーはー溜息ばかりついていたヨンナムさんだったけど、少しずつ少しずつ、自分の中に残っている『五歳児の爪痕』とやらを話しだした
ふーむ…これは…

「助っ人を呼ぼう」
「へ?」
「もしもし?君、今暇?恋人は?…そう…じゃ、好都合だ。今からヨンナムさんちに来ないか?場所、解る?…そう。へぇ…。つけたんだ…ふぅん…ストーカーだね…はは。じゃ、知ってるね?うん…君のアドバイスが必要なんだ。うんうん…頼んだよ」
「…誰に…電話したの?誰がくるの?」
「スーパーマンだよ」
「…は…」

ヨンナムさんに笑いかけた後、バーボンを注ぎ足して、水を注いだ

*****

ダーリンがミンギ君と久しぶりに語り合うから『アンタは一人でRRHに帰れ』と命令を下した
ダーリンは僕が、毒のある妖艶な若い可愛い子ちゃんにちょっかい出したことを怒っているみたいだ
あれはちょっかい出したんじゃなくて弟を助けに行ったんだよと説明したのにツンケンしてる
心が狭いんだからぁ~♪
そんなところも可愛いんだもん♪
で…
帰りにダーリンをダーリンの部屋まで送り届け、ミンギ君が来たのを確認してから(だってダーリンは前科者(`^´))RRHに帰ろうと車に乗ったとき、僕の苦手な顔面保持者のうちで一番マシなジジイから電話がかかってきたってわけですはい…
なんだか知らないけどヨンナムさんちに来いって言う
僕の苦手な顔面保持者が二人…
なんだろう…
ちっと気になる
僕の鋭い勘によると、きっとイナ絡みの話だろう…
なぜ僕のアドバイスが必要なのか…

行けば解るし…
ヨンナムさんちはずっと前に一度、ダーリンが僕の一番苦手な顔面保持者の顔を見に行ったのをつけたから知っている
一度行けばきっちり覚えてしまう僕ってやっぱり、素敵じゃなぁい?おほほほほ…
そんな素敵な僕のどういうアドバイスが必要なのかしら、あの顔面保持者達ったら…
それで僕はジャグァを飛ばしてヨンナムさんの家に行ったのだ

引き戸を開けて中に入ると(中は初めてだわ)暑苦しいむさくるしい顔面保持者達が僕を見た
ソクさんは、待ってたよん♪バーボン飲もうとニコニコ笑い、ヨンナムさんは涙目で僕を訝しげに見つめた
遠慮なく居間に入り、遠慮なくバーボンを飲む僕を、ヨンナムさんは半開きの口でじいっと見つめていた

「なんで…ギョンジン君?」
「だってヨンナムさんの経験は僕の経験を超えてるから」
「…」
「僕はそこまでされてないししてないからさ。そういう場合はこの人の方が…ね?」
「…?…なんの…話です?」
「わかんない?」
「…ヨンナムさん、泣いてますね…。そう言えばイナがいない…ってことは…。ふむ…。あのパンの柔らかな甘さ…ってことは…ああ…なるほど、うんうん…そう…泣くよね、泣く。うんうん。イナ、結局やっぱりあのクソジジイのもとへってことね?予想通りね?」
「やっぱり君も予想してた?イナはテジュンに戻るってこと」
「当然でしょう」

僕がきっぱり答えると、ヨンナムさんは俯いてしまった

「だって…あのクソジジイはほんっとにイナに惚れてますからねぇ…」
「だよね」
「…ギョンジン君も…泣いた?」

ヨンナムさんはそっと顔を上げてぐすぐす言いながら僕に質問した

「僕はもぉイナに僕という人間を引き出してもらったからねぇ。その行為を『僕への愛』だと信じてたんですよ。したらアレがしっかり根付いてるからもう…がっくりよ」
「…アレって…」
「でも、ソクさんもそうでしょ?いい感じになったと思ったらアレが出てきてぺしゃんこにされたんでしょ?」
「まぁ…ねぇ…。イナのこと、好きっちゃ好きだったから…。でも僕の場合は『イナの方が僕に惚れて』たんですよ」
「ええっ?!」
「だって…しょっちゅう吸い付かれたもん…唇に…」
「それは単に『珍しい技』に出会ったからでしょ?」
「…。ギョンジン君のキスには痺れなかったでしょう?アイツ」
「…む…」
「僕とぉテジュンのキスにはぁどろどろに溶けてたもん」
「…。それは…」
「君の顔は『好みじゃない』んだったもんね~♪」
「…。思い出した。祭のあのホテルの中庭でイナとキスしてたときあなたが通りかかってイナを叱り飛ばして連れてったんだ!ああ…中庭といえばダーリンと僕との出会いの場所だ…クフン…あの頃のダーリンったらいきがってて可愛くて、僕を『おじさん』って呼んでたんですよ(;_;)あう…そして僕はイナとダーリンの間でゆれゆれになってあうう…。なんてジェットコースターな2日間だったろう…そうだ!祭の前日、僕はとっても悪人だったんだ!…はっ!そういえば僕はその前日にイナとクソジジイのナニのアレを覗いて…ああおおうう僕はなんて人間だったんだーガッデム…。そんな僕を立ち直らせてくれたのがイナです」
「一気に語ったけど大事なことが抜けてるね」
「え?」
「その覗きをやった後の事」
「…。え…。あ…。ああ…はい…」
「それが重要なんだよねー」
「え…」


セピアの残像 10  れいんさん

雲の切れ間から射し込む一筋の光は
艶のある彼女の黒髪をまばゆく照らした

そもそも、ここで彼女と対面する事自体、おかしな話だし
その上肝心のスハがいないなんて、間が抜けてるとしか言いようがない
もう一度、出直した方が良さそうだ
そう思った矢先だった

「あの・・お時間がおありでしたら、中で待っていかれませんか?」
思いがけない言葉だった

「狭くて何もないところですが、よかったらどうぞ」
入り口の扉に手をかけて彼女は振り向いた



彼女に促され通された部屋は、家の奥まったところにあった
この部屋の扉は背丈よりも低い
僕はくぐり抜けるようにして中に入った
どこか隠れ家的な印象の部屋
まっさきに木枠でできた小さな窓が目についた
ここからは月がよく見えるだろう
小窓から、月を見上げ何かを想うスハの姿が浮かんだ

無駄のない簡素な部屋は、想像していたものよりもずっと広い
かといって殺風景というのとは少し違う
遠い記憶の向こうにあるような懐かしさと
使い込んだ温かさがこの部屋にはあった

多分ここがスハの部屋なのだろう
板張りの床や背の低い家具、木製の机の端に置かれた一冊の詩集
棚に整列しているレコードやCD、壁に立てかけられてあるギター
窓際に立つイーゼルとそこに置かれている白いキャンパス

この部屋にはスハの香りがする
スハの息遣いをリアルに感じる
ああ・・スハはこの数日をこの部屋で過ごしたんだ
スハはどんな想いで月を見上げていただろう
ほんの僅かでも僕を想ってくれただろうか・・

その時、入り口の扉が軋んで開いた
彼女がお茶を運んできたのだ
足を崩していたわけではなかったが、思わず居ずまいを正してしまう
すっと置かれた湯飲みからは、霞がかった湯気がたちこめていた

「本当にすみません。せっかく訪ねて頂いたのに・・ほどなく主人も帰宅すると思います」
「いえ。急に立ち寄った僕が悪いのですから」
「いえそんな・・」

胸元の盆をぎゅっと抱きしめ俯く彼女
当然、会話もそこで途切れる
・・無理もない
彼女の心情としてはそうだろう
当たり障りのない世間話など、意味を持たない
むしろ今ここで僕を詰る事だってできるだろう
いっそそうされた方が楽かもしれない
申し訳なかったと、ひたすら詫びる事ができるのだから

重い沈黙が流れる
どんなに時間が経過しても
偶然ふってわいたようなこの瞬間が
和やかなものになろうはずもないが
互いの事を知りえるには、いい機会のような気がした

「あの」
その瞬間、彼女の肩がびくりと震えた

「スハ君は・・元気でしょうか?」
ここに来て初めてその名を口にした
「・・はい」
「そうですか・・良かった・・」
無意識に安堵の息が零れた

元気なら・・それでいい
もし会えなかったとしても
それを知る事ができただけで
ここに来た事は無駄じゃない

「あの・・」
今度は彼女が口を開いた
「ひとつ聞いてもいいでしょうか?」
哀しい色をした彼女の瞳が僕を見つめる

「主人は・・どうしてここに戻ってきたのでしょう」
これ以上ないというほどまっすぐになその瞳
まるで必死に何かの答えを探しているような

「私・・何度も主人にわけを聞こうとしました・・でも、主人は何も話そうとしない」
「・・」
「もう大丈夫だと、そう繰り返すばかりで・・」
「・・」
「主人が辛そうに微笑むのを見るがとても辛くて・・それ以上聞けなかった」
僕は目を伏せ彼女の話を聞いていた

「初めは・・テジンさん・・あなたの方が心変わりしたのだと思いました」
「それは・・」
「いえ、それならいいと・・むしろそうであってほしかった」
「ホンヨンさん」
「でもあなたはこうしてここまで来た」
「・・」
「それならば・・変わったのは主人の方・・」
「・・」

「・・主人は優しい人なんです」
「・・ええ」
「優しすぎて嘘もつけない」
「・・ええ・・本当に・・」
「主人の優しさは以前と何も変わらない。いえ、以前よりもっと、と言った方がいいかもしれません」
「そう・・ですか」
「でも、なぜでしょう・・そうされればされるほど・・哀しくなってしまうんです」
「・・」
「主人が・・精一杯無理をしてるって分かりすぎてしまうから」
彼女は溢れ出る感情を静かに噛み砕いているように淡々と語った

「あなた方の間に・・いったい何があったのですか」
「それは」
「私が個展に行ったから?・・だからあの人・・」
「それは違います」
「・・」
「悪いのは僕なんです」
「でも」

「ホンヨンさん。あなたが気に病む必要などありません。むしろ詫びなければいけないのは僕の方です」
「テジンさん」
「それに・・それがスハ君の考えた末の結論なのでしょう」
「本当にそうでしょうか・・私には主人が必死に何かを閉じ込めているように思えてならない」
「・・」

「私は、いつの日か主人と私の間にも、愛情というものが育まれると信じてました。
そんな事もあったねと、年老いた時、互いに笑い合える日が来たら、それでいいと思ってました。」
「・・」
「でも、どんなに時間をかけても、どんなに待っても、育たないものもある・・」
「ホンヨンさん・・」
「答えはとうに出てるのに、まだどこかで淡い期待を持ったりして・・考えてみればひどく滑稽な話ですね」
「そんな事・・」
「教えて下さい。私はどうしたらいいのでしょう。どうすれば楽になれます?主人の笑顔を取り戻すには何をしてあげたらいいの?」

彼女の中で、長い間澱のように沈んでいただだろう感情が、今僕の前に晒された
それは深く重く、痛みとなって僕にのしかかってきた

その時だった
部屋の扉がすっと開いた
同時に彼女と僕は振り向いた
そこには唇を震わせて立ち尽くすスハがいた

「スハ・・」
僕は思わず腰を浮かせた

「・・なぜ・・ここに?」
その言葉がそこに僕を押しとどめた
「スハ・・」
もう一度僕はそう呼びかけた

でもさらにスハの言葉は激しさを増す
「なぜ・・?なぜ姿を見せるのですか!どうして放っておいてくれない!どうして・・どうして僕を苦しめる!」
僕は言葉を失った

「あなた・・」
弾かれたようにスハに駆け寄る彼女
激高するスハに驚き、涙で顔をくしゃくしゃにして

スハはそれを手で制した
はらはらと伝い落ちる涙を拭いもせず、彼女はそこに立っていた

会いたかった
ただそれだけだった
だが、僕のした事は
そんなにもスハを苦しめたのか

スハはそっと彼女の肩に手を乗せた
二人が寄り添う光景を目の当たりにした事よりも
投げかけられた言葉の方が、刃となって僕を切り裂いた

目を瞑り、何かを呑み込むように
スハは喉を振るわせ何かにじっと耐えていた

次の瞬間、スハはゆっくり目を開けた
その時のスハの瞳
慈しみと深い哀しみが翳を落とすその瞳を
僕は永遠に忘れないだろう

スハは言った
「ホンヨン・・すまないけれど・・少しだけ・・この人と話をさせてもらえないかな」
とても優しくとても静かに
彼女に語りかけているように


千の想い 206   ぴかろん

「ヨンナムさんに教えてあげてよ」
「…。なんで…」
「だって僕はイナとそこまでいかなかったもん。あ、いや、僕がスヒョクのことを思いつめてたときにイナが僕の部屋にやって来てベッドに押し倒されてなんか仕掛けられそうになったけどぉ、僕はスヒョクへの思いでいっぱいになってて反応しなかったからさぁ、イナの奴、諦めて出てったのよね」
「むう!そんなことが!」
「だからぁ…僕は知らないのよ、イナの肌ってのを」
「…」
「キミは知ってるでしょ?」
「…え。まぁ…ケホ」

ヨンナムさんが目を白黒させて僕達の話を聞いている
そして震えながら言葉を吐いた

「…イナって…そんなやつだったの?」
「「祭の時はね」」
「…。祭の時だけ?」
「「そう」」

それから僕はヨンナムさんに、イナの行動に腹を立てたクソジジイが僕のダーリンを奪って逃げ、イナに大打撃を与えたことを伝えた
話しているうちに涙が溢れてきた

「どうしてテジュンはラブ君を奪って逃げたんですか?」
「クソジジイだからです!」
「違うだろ?君がラブ君を傷つけたからだろ?」
「くうっ…」

そう。あの時僕はダーリンに酷い事をしたんだった…(;_;)
でもそんなことがあって僕達の絆は深まり、僕は真実の愛を掴み取ったのでした♪とヨンナムさんに説明した

「んで僕のこのジェットコースター・ラブストーリーがなんのアドバイスになるんです?」
「だから…。その辺じゃなくてぇ…そのさ、イナを襲った時の…肌と肌の触れ合いを…」
「ちょっと待って…。僕だってそれほど『触れ合った』ってわけじゃないですし、それに…どうしてソクさんその事を知ってるんです?」
「そんなのBHCのみんな知ってるし…」
「えええええっ?!…。まぁいいや…。でもそれがなんなんです?」
「だからぁ…。キミ、その時イナを『だいちまお』と思ったんでしょ?」
「え?イナは大地真央とは似ても似つかない…」
「誤魔化さない!抱こうと思ったんでしょ?」
「あ…え…ええ…。傷つけてやろうと…しました…。できなかったけど…」

くそ!やっぱりこの手の顔って苦手だわ!どうして僕の傷を穿り返すんだろう…

「なんで…抱けなかったの?なんでイナを傷つけようとしたの?」

あどけない瞳でヨンナムさんは僕に聞いた
くうっ苦痛だわ…辛いわ…でもなんだかちっと快感よ♪

「…んと…僕はその時、弟を深く愛しすぎてアヤシゲな考えに囚われてまして…。本当に欲しいのはイナじゃないって気づいて、やめましたのよホホホ…ほ…」
「…はだに…ふれた?」
「…少し…へへ…」
「…感触…どうでした?」
「ああ…。うふん…。あいつったら…色っぽいですからねぇ…くふん…気持ちいいんですよね…くふん」
「覚えてます?」
「…うーん…忘れちゃいました♪」
「…ラブ君がいるから?」
「はいっ♪」
「…はぁ…」

ヨンナムさんは深く溜息をついた

「ギョンジン君もソクさんもちゃんと次の恋人がいたから忘れられたんでしょ?…はぁぁ…」
「あ…でもボクったらちゃんとイナに恋して振られてそれからラブに出会ったんですよ。段階は踏んでます、超短期間でしたけろ」
「…」
「…イナを忘れられないままラブにくふん…触れちゃってああ…あの時もラブを傷つけたんだわボク(;_;)」
「…アンタの場合、一日の中のできごとだから忘れられるわけないでしょ」
「なんなんですか、ソクさん!ソクさんの場合はイナとスヒョク君と被ってる時間があるでしょう!ふったまた♪ふったまた♪」
「気持ちはスヒョクに向いてたもん!」
「でもイナに求められてキスしてたじゃん!」
「それは…いたしかたないでしょうが!キミだってそうだったでしょうが!」
「はい…そうですねケヒン」
「でもね、いくら僕達を求めてきても騙されちゃだめなんですよ、ヨンナムさん。アイツの心にはビッシビシにテジュンの根っこが張ってるんだから」
「そうそう!」
「テジュンの…根っこ…」
「けど騙されちゃうっていうか…ついこう…ね?吸い寄せられるんですよね、ソクさん」
「そうなのよ…なぁんかほっとけないの」
「うひ。今の言葉、スヒョク君に言ってやろっと」
「じゃ、僕もラブ君に言ってもいい?!」
「だめ!」

ソクさんと僕は限りなく似たような立場…なのかな
んで、この俯いて涙ぐんでる苦手顔面保持者はどういう立場にいるんだろう…

「あの…ヨンナムさんはイナとどの辺までいったんですか?」

気軽に聞いてみた
ヨンナムさんは虚ろな瞳で語りだした
そのなまめかしさに僕はコーフンし、イナの顔その他を色々と想像し、鼻血が出そうになった

いけない!
こんな事でコーフンして『準備』が整ったらそれこそ!
…それこそダーリンに申し訳ないぢゃないか…

なんて思ったのだが、僕の『僕』は着席したままだった
いや…泥のように眠ったままだったと言うほうが正しい
とりあえずその点に関しては…よかった…

しかしイナのやつめ、ヨンナムさんとはそんな間際まで…うう…羨ましいような気もしないでもない…

「そこで留まったのはやっぱり…あいつがテジュンを想っているって感じ取ったから…」
「うんうん」
「頭では十分理解してるし心の整理もついてる。僕ではダメだって解ってるけど…あの時の…快感がふっと甦ってきて…」
「くふん♪いやん♪」
「イナに会うと肌がざわつくんです…」
「「ああ、それ、わかる~♪」」

ソクさんと僕はユニゾンした
ユニゾンしたことに僕はちっとばかりムッとした

「ソクさんは『肌のざわつき』なんかわかんないでしょっ?!」
「解るよ、キスするときのゾクゾクする感じ…」
「…スヒョク君とはちょっと違う?」
「…キミこそ…ラブ君とはちょっと違うだろ?」
「うん…なんかね…くふん…ちっとこう…ワルいことしてるな、みたいな…」
「くふふ、そうなんだよねー。あいつが寂しそうにうろついてるとガッと捕まえてビリビリってかましたくなる…くふふふん♪」
「うんうん♪したくなるぅ~」
「…イナはおもちゃですか?」

今度はヨンナムさんがムッとした

「「ちがうちがう!でも、ねっ♪」」

ああ…やだな…ソクさんと分かり合えてる…

「…はぁ…。どうすれば消えますか?イナのあの感覚」
「「…。消えないよね~♪」」
「え…」
「「消えなくてもいいんだよね~♪」」
「…。辛いじゃないですか…アイツを見るたびに僕、自己嫌悪に陥っちゃうよ…」
「「くはっ!アマいなぁ」」
「え?」

僕はソクさんに、先に意見を述べますと目で合図して口を開いた

「そこを耐え忍ぶことによって、ホントに愛する人と結ばれた時に『ああこれが幸せなのね』って感じることができるんです♪耐え忍びなさい。さすれば至福の快感を得られるようになりますって」
「…」
「そうだよ。ホントに愛し合える人と出会えた時にね、心も体も震える快感っつーのが…あ、ちっといやらしい?くふふん。きっと自分の方を向いていてくれる人と…貴方なら出会えますよ。貴方、いい人だもの」

顔は暑苦しい系だけどねぇ…

「…。はぁぁ…。じゃ、それまで我慢するしかないの?」
「「我慢しなくていいんじゃない?我慢してると執着しちゃうからね~♪」」
「へ?!」
「「じゃんじゃんキスしちゃって抱きしめちゃっていいんじゃない?ねっ♪」」

不本意だが僕はソクさんととことん気が合うようだ…
そして、近い将来、この『やわはだぢごく』から抜け出した後のヨンナムさんともきっと気が合うと思う
苦手な顔面保持者なのに…
イナを愛して捨てられた(;_;)僕達ってきっときっと『とってもいい奴等』なんだわ!あんなクソジジイよりね

「抱きしめても…いいの?」
「「どんどんやって」」
「もしかしてクソジジイの前で思いっきりイナにキスしたりハグしたりできるのは貴方しかいないかもしれないですから、どんどんやってください!そしてあのクソジジイに一泡吹かせてやりましょう!」
「そうだよなっ!頑張ってよ、ヨンナムさん」
「あ、でもソクさん、こーゆーことは秘密裏にやるから楽しいのかな…」
「けどさ、テジュンにガツンと一発食らわせてやりたいじゃん…」
「そうですね。それにイナも僕達を『利用』したんだから、ちっとは『苛めて』やっても構わないですよねっ」
「…そんな可哀想なこと…」

ヨンナムさんは躊躇い顔でそう呟いた

「「いいんですよ!どうせ後からテジュンに泣きつくんだから」」
「…」
「だからね、ヨンナムさん。どんどんイナに『お触り』してさ、気持ち落ち着けて、貴方は貴方の幸せを探さなきゃ…。いいんだよイナを利用しても。ね?ギョンジン君?」
「そーそー。そういうの、アイツ、実は喜ぶんですよぉ♪仲間思いだから。それに貴方の方も触り続けているうちに飽きてきますよ、気持ちが入ってないんだから」
「え…」
「ね?ソクさん。そうだよね?『違う』って解ってるんだしそのうち虚しくなってくるよね?」
「ギョンジン…『飽きる』発言は酷すぎない?僕ちょっと同意しかねますけど…」
「あっソクさんの卑怯者!」
「…。あの…じゃ、この、僕の衝動をイナにぶつけても構わない?」
「「はい。イナの場合は」」
「テジュン、怒らない?」
「「知ったこっちゃないっす!あんなのはほっといていいっす!ねっ」」

どうしよう…ものすごく気が合う…へへひひん…
こんどソクさんとじっくり飲もうかな…

ヨンナムさんは焼酎のビンをじっと見つめたあと、置いてあった空のグラスをソクさんに差し出した

「ん?なんです?」
「ばーぼんくらさい」
「お?飲んでみますか?」
「あい」

トプトプトプ

氷をカラン

バーテンダーのソクさんはすいっとそのグラスをヨンナムさんの前に滑らせた
液体を口に含み、舌で転がした後、ヨンナムさんはゴクリの喉を動かした

「…美味しい…ですね…」
「でしょ?焼酎以外も美味いでしょ?」
「…はい…」
「自分に合うのはどんなものかって色々試してみなきゃ、ね?」
「…そうですね…」

ヨンナムさんの目に小さな光が灯った
よし!
もう大丈夫だろう

「僕のお役目は終わりましたよね?じゃ、帰ってもいいですか?」
「どうやって?」
「車で」
「だめだよ、酒飲んだじゃないかギョンジン君」
「あ…そか…」
「泊まっていきなよ。ヨンナムさん、恒例の雑魚寝でもしますか?」
「ソクさん…今日の雑魚寝はあまり楽しくないですね」
「いたしかたないでしょう!貴方のために我々は集まったんですから!」
「…すみません…」
「『イナ同好会』ですよね、僕達って。ケヒっ♪」
「…あは…」
「裏名は『ハン・テジュンを踏み潰す会』ってのどうです?」
「『罵る会』とかね」

という訳で僕はヨンナムさんちの和室に泊まることになった
ヨンナムさんはイナのカバンらしきものを抱きしめて眠ろうとした
それはいけない、そんな事してちゃ執着心が生まれるからと僕は厳しく指導し、ヨンナムさんからイナのカバンを奪い取った
そして、ヨンナムさんとソクさんがグラスなどを片付けている間にこっそりとカバンの中身を見てみたケヒッ♪
あん♪色っぽくない黒のぱ○つだわ…
イナの奴、これをヨンナムさんの前で脱い…脱い…▲◇×◎&%$
ガタゴトと音がしたので慌ててカバンを閉めた

「すみませんね、片付け手伝わなくて…」

愛想笑いを浮べてそう言った僕を、二人の苦手顔面保持者が蔑んだ目で見た

「…あの…僕なにかしましたか?」
「「鼻血出てますよ…何にコーフンしたんですか」」

ガーッデム!
僕はティッシュを鼻につめてそそくさと布団に入った
鼻血が出たという事は…もしかしたら僕、『快復しつつある』のかもしれないわっ♪

僕はすぐに眠りに落ちた
夢の中でダーリンにしこたま罵られ、殴られた
…とっても…しあわせだった…けひん…


朝になって、ヨンナムさん特製のおかゆをいただき、僕はそそくさと帰り支度をした

気になることがあるのでハイ
またゆっくり飲みましょう
イナに関してはいつでも相談にのりますよん♪ではっ
そう早口で捲し立てて僕は車に乗り込み、ダーリンのおうちを目指した

朝が早かったからなのかそれともいぢわるなのか、ダーリンは中々ドアを開けてくれなかった
僕はドアのノブに取り縋ったまま泣きながら開けゴマを1000回ほど唱えた
ドアが開いたときに見たダーリンの顔は、店で弟に絡んでいたあの美しい青年より刺々しくて怖かった

「入れば」

ああ…冷たい声…
僕は震えながらダーリンのお部屋に入らせていただいたのでしたっ♪けひっ


千の想い 207 ぴかろん

RRHの部屋に戻ったイナはベランダに出て夜景を眺めていた
イナは滅多にベランダに出ないらしい
アメリカに居た頃、グランドキャニオンの絶壁で風に煽られた時の恐怖が甦るらしい
もっともRRHの最上階のベランダは、全室サンルーム仕様になっているので、風に煽られるなんて事はないのだが…

そのイナが部屋に入った途端、ベランダに出てじっと夜景を見つめている
BHCから出てきた時、薄っすらと涙を浮べていた
僕の胸に飛び込んだ後は、鼻をすすっていた
何かあったのだろうけど、イナが何も言わないので僕も何も聞かずに帰ってきた
僕やヨンナムに対する涙ではないと、漠然と感じてはいた
それにしてももう30分以上もベランダにいる
いくらガラスで遮られているからと言っても、部屋の中より相当寒いはずだ
気になったのでそっとイナの後ろに立った

*****

スヒョンとドンジュンの切ない抱擁が頭から離れない
ヨンナムさんの寂しそうな瞳も一緒くたになってぐるぐる回ってる
ミンチョルとギョンビンのカウンターでの様子
あの毒の華

スヒョンは疲れているだろうに、俺達にも気遣いを見せてくれる
立派なチーフだ
大丈夫なんだろうか…

ドンジュン
お前は強いな
でも強がりすぎるとポキンと折れちゃうぞ
ギョンビンもだ
あんな鈍感なキツネ相手によくやってるよ…

スヒョンもドンジュンもギョンビンも、お前に振り回されてるんだぞ、ミンチョル
あいつ、解ってるのかな…解ってないよな…

俺、あんな奴に恋しなくてよかった…
テジュンでよかった…

そう言えば…テジンもなんだか知らないけど随分辛そうな顔をしていた
スハが居ないのは何故だろう
なんでみんないつも幸せでいられないのかな…

ソウルの街の灯を見つめながら、辛そうな奴等の顔を思い浮かべた
昨日までなら俺もきっとその中に入っていたんだろうな…

ぼんやり考えている俺の右肩に、小さな毛むくじゃらの腕がポンと乗せられた

「どーしたんれしゅか?しゃむくありましぇんか?」


テジュン…
無理するな…

「ボクはてじゅしゃんのクマでしゅ。ろーしたんれしゅか?てじゅしゃんが心配していましゅよ」
「なんでもねぇよ。クマに心配して貰うほどヤワじゃねぇ」
「いーえ!ヤワでしゅ!何か気になることがあるなら、てじゅしゃんにお話して聞いてもらうといいでしゅよ。あの人、仕事柄、人の話はちゃんと聞いてくれましゅから」
「…。そぉかぁ?」
「む!しょうれしゅ!ちゃんと、ちゃあああんと!聞いてくれましゅよ!」
「…。俺の話はまともに聞いてくれないぞ」
「しょ…しょんなことありましぇんっ!」
「そんな事あるんだよなぁ…。話し始めるだろ?すっとさ、ニヤニヤしだしてさ、んで俺はいつの間にか転がされてるんだよなー」
「きゃっ!」

テジュンのクマは両手で目を隠した

「なぁ…お前って体柔らかいなぁ」
「…あやちゅり方が上手いんでしゅ 」
「ああ…」

だよな…
…テジュンにかかると…だよな…

「今いやらちい事考えたれしょ!れしょっ!」
「ばか!」
「きゃっ」
「殴るぞ!」
「ぼーりょく反対でしゅっ!」
「そーでしゅっ!」
「は?!」

今度は俺の頭の上からにょっきり毛むくじゃらの腕と耳があらわれた

「ボクはイナしゃんのクマれしゅよ」
「…」
「元気ないとてじゅしゃんが心配しましゅよ」
「…。元気は…あるよ…」
「ここはしゃむいれしゅっ!中に入るれしゅっ!」
「ああ…この冷えはトッショリにはキツイかもな」
「…。トッショリとは誰の事れしゅか?!」
「…しらばっくれんなよ…」
「だれれしゅ!」パコ
「てっ…おめぇ…暴力反対って言ったのお前だろうが!」
「ボクはぬいぐるみだからこれは愛情表現れしゅっ!」
「…」

テジュンは相当ノリノリでクマのぬいぐるみを操っている
でも1匹しか操れないのな…てじゅグマはぐったりと俺の肩に両腕を垂らして乗っかったままだ
一体どんな顔でクマと戯れてるんだろう
俺はそっと首を後ろに向け、横目でテジュンを見た

「なんれしゅ?」
「…」

可愛い顔で赤ちゃん言葉を(いや…クマ言葉かな?)喋っている…

「なんれしょんな流し目しゅるんだ」
「今のはクマ?てじゅ?どっち?」
「…」

そのまま唇と唇を近づけてキスをした

「…ん…」

キスで体中がショートする
力が抜けてテジュンに凭れ掛かる
テジュンは俺を抱きしめてもっと唇を吸う
ピピッと何かを感じて俺は唇を離す

「あんだよ…いい気分だったのに…」

笑いながらテジュンが言う

「なんか…見られてない?」
「誰に」
「コレと…コレ」
「うーん、こいつらに見せつけてるんだけどぉ」

俺の頭に垂れ下がっている俺のクマを見る
クマの目がぼんやり見える
ものすごくものすごく、俺達のキスを観察されたような気がする
肩の上で項垂れているクマは大丈夫だろう
と思いながら念のために横目で見てみる

「わ!」
「なに?」

一瞬、顔を伏せているはずのてじゅグマがこっちを向いていたように思えた

「どうしたのイナ」
「…いや…コイツもこっちを見てたような気がして…」
「気のせいだろ?ただのぬいぐるみだぞ」
「だよな…でも…ミソチョルの事もあるし、こいつらだってもしかしたら…」

肩の上のてじゅグマを見つめた
顔は伏せられている
じいいっと見つめた
そのポーズがわざとらしく見える

「ね、もう中に入ろうよ」
「あ…うん…」
「お風呂、湯、溜めたから入ろう♪冷えたろ?」
「…べつに…」
「入ろう♪」
「お前一人で入れよ…」
「いいからいいから♪」

そして気づいたらまた湯船でラッコ抱っこされている俺なのだった

*****

お風呂でイナの気持ちを一つずつ聞いた
仲間想いのイナはあれこれと胸を痛めている
お前が悩んでたって仕方ないだろ?ほんとに辛そうに見えたら声かけてやれよ、得意だろ?
そんな事を言って頭を撫でてやった
ついでに首筋にキス…くふん…
首を竦めて可愛い声を漏らすくふん…
調子に乗って背中にキスをし始めたら、イナは急に立ち上がって湯船から出た
体を洗うと先に出て行こうとした

「イナ!怒った?」
「…もう…寝る…」
「…」

可愛い子ちゃんはむくれた顔でシャワールームから出て行った
機嫌損ねたかな…仲間を心配してるってのに僕ったらつい…

イナに遅れること十数分
僕もシャワールームを出て、イナのベッドに向かった
イナは既に壁側に張り付くように眠っている
疲れてたのかな?

寝顔を覗き込んでみる
片手を口元に当てている
可愛いなぁもぉ…

風呂に入る前に投げ捨てた(ごめん)クマたちがベッドのサイドテーブルに無造作に乗っかっている
チョンと鼻をつついて向こうを向かせた
それからそぉっとイナの横に滑り込む
キスしてやろうと唇を近づけ、もう一度イナの寝顔を見た
よく眠ってる
髪の毛を撫でてやり、口元に当てた手に軽くキスをした

いいや
今日はこうして並んで眠ろう

「んじゃぁお前達、あっち向く必要ないよな」

僕はもう一度クマ達の顔をこちらに向け、寝転んで目を閉じた
イナが横にいるっていうだけでこんなに心が落ち着くんだなぁ
もう二度と手放さないぞ!…のつもりだぞ…と…

うとうと仕掛けた頃、何かがもぞもぞと蠢いた

「…ケヒっ…クヒヒ…」

くすぐったかった
この感触はっ!

「ひいっ!」

僕は飛び起きた

「なっ…どしたのてじゅ!」
「おまえ眠ったんじゃなかったのかっ!ひいん」
「…」
「…も…こんなイタズラしてっ!」
「…」
「ゆるしゃない!」
「…」
「…。ゆるしゃれたくなかったんだな?!覚悟しろっ!」
「けへ…あ…あ…」



というわけで…
ああなってこうなってそうなって…
ぐったり疲れた僕達はようやく泥のように眠ったのでしたっケヒッ


セピアの残像 11 れいんさん

スハは幾分落ち着きを取り戻したようだった
僕と二人で話をしたい
スハの言葉に彼女はちらりと僕に視線を投げた
そして再びスハを見る
不安の色に瞳が翳った

心配しないで
大丈夫だから
スハの優しげな眼差しが彼女にそう語りかける
彼女は小さく頷いた
振り向いた唇が微かに動いたようにも見えたが
彼女はそのまま何も言わずに部屋を出た

残ったのはスハと僕の二人だけ
だが漂う空気に甘さはない

やっと会えた
その喜びに浸る間もスハは僕に与えてくれない
その頑ななまでの拒絶は何を意味する
その強い眼差しは何を語ろうとしている

僕と向き合うようにして、漸くスハは腰をおろした
膝が触れ合うほど近くもなく
手を伸ばして届かないほど遠くもない
その微妙な距離感がますます僕を戸惑わせる

「・・突然訪ねたりしてすまなかった」
僕はそう切り出した
「先の事なんて何も考えてなかった・・ホンヨンさんに悪い事をしてしまったね」
スハは何も答えない
「・・会いたくて・・ただそれだけだった」
スハはぎゅっと唇を噛む

小さな窓に視線を移すと、冬曇の空が見えた
「この辺りはとてものどかでいい所だね。来る途中に見た景色もとても綺麗だったよ」
独り言のように僕は呟く

ここは君の好きな場所なんだね
ここでなら君は君らしくいられるのかい?
忍び寄る不安に胸が詰まりそうになる

「この部屋はスハが使っているの?・・いい部屋だ。懐かしい匂いがする」
この部屋は時を止めたまま、主の帰りをずっと待っていたのではないだろうか
主が不在だった部屋も主が帰還すれば何もかもが元に戻る
そして僕の存在だけが、ここにあってはならない異なもの
そんな気がして仕方ない

伝えたい事は山ほどあったはずなのに
いざこうなると何から話していいのか分からない

「乗ったバスがとてもユニークでね・・」
ここに来るまでにあった出来事を
身振り手振りを加えて話してみせる

「人の良さそうな運転手がいたんだ。その人が・・」
可笑しい事なんて何もないのに
笑みさえ浮かべて話してみせる
スハの口から何を告げられるのか
それを聞くのが怖くて
僕はとりとめもなく話続ける

「テジンさん・・僕は・・」
その時スハは顔を上げた
「ここで・・生きていこうと思ってます」
薄い色の唇がゆっくりと動きはじめる
「あなたと出会う前の僕に戻って」
その唇はまるで別の生き物のようにそう告げた

「僕と出会う・・前?」
「そう・・思い悩む事も罪の意識に苛まれる事もない」
「・・」
「穏やかに時が流れて・・」
「・・」
「そのうちに何もかもが『無』になって・・あなたの事も忘れられる」

「本当に・・本当にそれでいいのか?」
「僕はもう疲れました・・結局僕にはあなたを愛する強さがなかった」
「スハ」
「愛される資格もなかった」
「愛される資格?そんなもの・・誰が決める」
「・・」
「愛してる。僕はスハを愛してる・・それだけじゃダメなのか?」

どうして僕から目を背ける?
どうして心を閉ざそうとする?
僕を見てくれ、僕の目を
スハの中の真実を僕は必死で探そうとした

「僕にはスハが必要だ。スハがいなければ何もできない。失いたくないんだ」
「やめて下さい・・」
「スハの気持ちも同じはずだ!そうだろ?」
「やめてと言ってるんです!」

「僕はもう自分に嘘はつかない・・二度と同じ過ちは繰り返さない・・」
「あなたにはあなたを必要としてる人がいて、僕には僕を必要としている人がいる」
「じゃあ、僕達二人の気持ちはどうなんだ?僕は誰が必要で君は誰が必要なんだ?」
「テジンさん・・」
「スハの本心が・・知りたい」
「僕の・・本心?」
スハが一瞬言葉に詰まった

が、次にゆっくりと息を吐くように言った
「あなたを愛していくのは苦しすぎる・・だからもう終わりにしたい」
まるで自分に言い聞かせているように

スハの瞳から一筋涙が零れ落ちた
その涙の意味は痛いほどに分かる

正解なんてどこにもないかもしれないけれど
その答えは自分で導かなければならないのだろう
そして僕は今、どんな答えを出すべきなのか

愛してる
だからこそ
君を苦しめるその足枷を
外してあげられるのは僕しかいない
君がそう望むのなら
それで君が楽になれるのなら
敢えて僕はそうしよう・・

「・・分かったよ・・スハの気持ちはよく分かった」
「・・」
「もう僕は何も言わない。君の言うとおりにしよう」
「・・」
「言い出したら聞かないって、そういうスハの頑固なところ、僕はよく知ってるから」
「テジンさん・・」
「そんな顔するなよ。スハは笑った顔が一番いい」

スハの瞳がみるみる涙で膨れ上がった
笑った顔がいいって今言ったばかりなのに
瞬く間にその顔はぐしゃぐしゃに濡れていた
その涙をそっと指で拭ってやる
指先に感じる柔らかな頬の感触がたまらなく切なかった



スハの嗚咽が収まるまで根気強く待っていた
小窓から見える雲がゆっくりと動いている

スハの呼吸が落ち着いた頃を見計らって僕は言った
「店の皆には僕からちゃんと話すよ。事務的な手続きなんかもあるだろうけど・・僕ができる事はなるべく処理しておく」
「ごめ・・ごめんなさ・・い・・」
「どうしても本人でなければいけない事があったら・・その時は店の誰かに連絡してもらおう」
「はい・・」
「落ち着いたら電話でもいいからオーナーやチーフにきちんと挨拶するんだよ。いいね?」
「はい・・」

スハの瞳が潤んでいる
これ以上ここにいると
スハの瞳からまた涙が溢れ出しそうだ

「さて・・そろそろ帰るよ。仕事に遅れるといけないからね」
そう言って僕は立ち上がった
慌ててゴシゴシ涙を拭きスハもぱっと立ち上がり
どうしたらいいのかと途方に暮れたような顔をしてる

ここに来た事をあんなに詰っていたのに、なんて
そんなスハが愛しくて
僕はふわりとスハを抱きしめた
そうすれば離れるのが辛くなるのは分かっていたけれど
そうせずにはいられなかった
『愛してる』と『ありがとう』
僕のありったけの想いを込めて抱きしめた

帰り道
厚い雲の切れ間から時おり陽光が射し込んでくる
もうしばらくすると陽は傾くのだろう

ここから眺める夕陽はきっと綺麗に違いない
その夕陽をスハと一緒に見たかった
そしてできる事なら
あの花の家にスハを連れて戻りたかった

そんな事を考えると涙が零れそうになる
泣くまいとここまで夢中で歩いて来たのに
僕はぐっと涙を堪えた

その時の僕はまだ気づいていなかった
僕の後を追い、駆けてくる彼女の姿に
僕の名を呼ぶ彼女の声に

























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