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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 258

ごさいじ・たびのきろく そしてちぇじゅ・てじゅ part1  ぴかろん※リレー257の続き


*****

…なんでヨンナムがここにいる?
…これはどういうことだ?
…一体何が起こったんだ?

僕は混乱して運ばれてきた食事も、三人(なぜ三人なんだっ!)の会話も全くわけがわからないでいた
食事は機械的に口に運び、会話には自動的に相槌をうち、僕は別世界に放り込まれた人のようにふわふわしていた

これは夢だ!夢に違いない!

僕は持っていたフォークで手の甲を突き刺してみた

「何してるんだよてじゅ!疲れてるのか?大丈夫か?」

イナが驚いて僕の手を擦った
ああイナ、可愛いよくふん

「お前…仕事熱心はいいけど、体は大事にしろよな」

ヨンナムの幻が現実的な声を出す
…なぜだ…
なぜお前が見えるんだヨンナムっ!ええい!消えろっ
僕は消えないヨンナムの幻影を睨んだ

「なんで僕を睨んでるの?」
「え…。ほんもの?」
「は?」
「…いな…いないないな…ヨンナムがいる」
「いるよ。俺と一緒に来たもの」
「…へ…」
「何ボケてるのさ。ジャンスさんに言っといたろ?ヨンナムさんと一緒に行くって」

なんだって?先輩に言った?
頭の中が真っ白を通り越してキンキラキンに光っている
僕はヨンナムとイナの顔を見、それからスヨンさんを見た

「スヨンさん…」
「はい?」
「イージャンスーは、なんと…」

スヨンさんはちょっと小首を傾げた後、くるりと瞳を回して言った

「三名様でいらっしゃると」
「…はい?…」
「ご存知なかったの?」
「…あ…いえ…あ…そ…う…だったかな…ふふん…僕やっぱり疲れてるのかなふふふん…」

僕は心で泣いた
僕は心で先輩を罵った
わざとだ!
先輩はわざと僕にその事を言わなかったんだ!

キンキラキンの頭の中で、イージャンスーが金髪カツラを被って踊り狂っている
隣でイナが、yo-yo-などと言いながら、腕を交互に天に突き上げている
その隣でヨンナムが、やはり両腕をゆらゆらと揺らしながら嬉しそうな顔をしてくるくる回っている
僕の心は急激に冷えて行く
ああ…あああああ…
なぜヨンナムを連れてきたりしたんだイナ!

僕は味のしない食事を、場の雰囲気を壊さぬよう気を遣いながら、仮面を被って食べ続けた


ごさいじ・たびのきろく そしてちぇじゅ・てじゅ part2  ぴかろん

*****

ヨンナムさんとスヨンは、なんだかいい雰囲気です。昼間のチョンエで慣れたのか、ヨンナムさんは意外とよくしゃべっていました
そして、仕事に燃えている女性って素敵だなぁ、僕も見習わなくちゃなんて言っています
ヨンナムさんはスヨンに、チョンエのやっているアロママッサージの話をしています。この辺りのホテルでは、取り入れていないのか?などと聞いています
スヨンは、あら…なんだか私、混乱しますわ、仕事に関係するお話がヨンナムさんから出るなんて…と言ってテジュンとヨンナムさんを見比べました
テジュンはなんだか引きつった顔でタイミングもへったくれもない間合いを取り、ハハハと意味不明の笑い声を上げ、場をしらけさせました。僕は、きっと仕事がキツくて疲れてるんだろうと思って何も言いませんでした
疲れてるのに食事に付きあわせて悪かったかな…と思い、テジュンに耳打ちしました

「てじゅ。お部屋にクィーンサイズのベッドあった」
「なにっ?キングサイズじゃないのか?!」


テジュンはよっぽど疲れているのでしょう…。そりゃそうです。済州島に来るまで三日ぐらい会社で寝泊りしていたのですから。ベッドは広いほうがよかったのかもしれません。でもクィーンサイズでも一人だったら十分ですよ
僕がちっとへんな顔をしたので、テジュンは咳払いをしてこう言いました

「フロから外の景色、見えたか?」

フロから外の景色?
残念ながら、そんな豪華な部屋ではありませんでした。でも、僕にとっては十分すぎるほど豪華な部屋だったので、テジュンに、風呂に窓はないけど部屋からの眺めは最高だぞ、と言いました

「なんだって?!シャーロッテじゃないのか!ちくしょう!」
「「…」」

叫んだテジュンに、いい雰囲気で喋っていたスヨンとヨンナムさんが視線を向けました

「テジュンさん、シャーロッテは『ハネムーナーのための部屋』だったので、ラグジュアリーにしましたの。いけなかったかしら…」
「あ…いや…大丈夫です…げほ…」

テジュンの疲れは場をしらけさせ続けます
早く食事を終えて、なんとかスヨンとヨンナムさんの二人だけにしてあげたいと思いました

「八時半からガーデンビュッフェの噴水で火山ショーがあるんですけど、ご覧になりますか?」

スヨンがしらけたムードを破るように言いました

「そだ。火山ショーってスヨンが企画したんだよね♪」
「へえ。すごいな。見てみたいな」

ヨンナムさんが乗りました。それで僕達は、残りの食事を急いで済ませ、ガーデンビュッフェの方に向かいました

「今日はどちらか観光なさったの?」
「ええ。松岳山と天地淵瀑布に…」
「あら、中文リゾートを通り越して?」
「チョンエさんにもそう言われました。チョンエさん、西帰浦で仕事してるんで、イナの奴、今日中にそっちに行きたかったらしいんです」
「この近くにも天帝淵瀑布がありますわ」
「それは明日行く予定だそうです」
「それと西帰浦市街の端あたりに…」
「正房瀑布でしょ?」
「ええ。是非ご覧いただきたいわ」
「そこにも明日行くんだよね、イナ」

スヨンと仲良く喋っているのに僕に話を振らなくていいですよ、ヨンナムさんったら…ふふふ

「行くよね?午前中?」
「うん。天帝淵瀑布見てから行くつもり」
「天帝淵瀑布と正房瀑布、その二つは絶対に行けってチョンエさんに命令されました」
「まぁ、チョンエさんと随分仲良くなられたのねぇ」
「ち・違うじょスヨン!ヨンナムさんは別にチョンエと仲良くなんかなってないじょっ!」
「…僕、とっても仲良くなったけどなぁ」
「羨ましいわ。私とも仲良くしてくださいね」
「は…えへへ。光栄です」

きいっ!ちっと変な方向へ行きそうだったけど、スヨンったら自分から『仲良くしてください』だってぇぇ(>▽<)
やったぁ♪
僕は小踊りしました
その横を重い足取りでテジュンが過ぎて行きました
こらっ!あんまり早く行ってはいけません!ヨンナムさんとスヨンの会話の邪魔をしては…
僕は慌ててテジュンの肘を引っ張りました
振り向いたテジュンは苦虫を噛み潰したような顔をしています。どうしたのでしょう…
前の二人から十歩ほど距離を置き、僕はテジュンの背中を押して歩き始めました
歩きながらそっと手を握ると、テジュンはようやく微笑みました
よかった。笑ってくれた…

ガーデンビュッフェには人が沢山いました
僕達は人垣の後ろから火山ショーを眺めることにしました
最大のチャンス到来です!
このショーの最中に、テジュンと僕はフけるべきだと思いました
そうすればあの二人は必然的に二人っきりです♪

火山ショーが始まって数分後、僕はテジュンの袖を引きました
テジュンは、大好きな『ん?』の顔をして僕を見ました
僕はテジュンをくいくい引っ張って、あの二人から離れました

「どこ行くんだよ」
「いいから」
「今からいいとこなんじゃないか!」
「いーから来てよ」

騒ぐテジュンをどんどん引っ張って、静かな庭園に行きました
普段なら結構人がいるのですが、火山ショーの時間はがらあきです
僕は風車のある池のほとりのベンチに腰掛けました
ここでスヨンとよく話をしたっけ…
テジュンは僕の横に腰を降ろしました
それから煙草を取り出して火をつけ、ふぅっと煙を吐きました
かっくいい…

「どういうことだ?僕にはさっぱりわからん!」

テジュンは、必死で声のトーンを押さえているようでした
でも僕には解ります。テジュンは怒っています

「なんでヨンナムと一緒なんだ!昼飯食ったのもヨンナムとなのか?!」
「…一緒に来たんだもん、一緒に昼飯食うだろ…普通…」
「だ~からっ!なんでヨンナムと一緒なんだ!」
「…俺が…誘ったから…」
「なんで誘った!」
「…らって…」

僕を睨み付けるテジュンに、僕は小さな声で言いました
スヨンとヨンナムさんとを会わせたかったからと…
テジュンは、なんでだ!とまた詰め寄り、僕は僕の考えをぽそぽそと言いました

「はぁ?!スヨンさんとヨンナムが?!合うわけないだろ!スヨンさんはバリバリのキャリアウーマンだぞ!ヨンナムなんか相手にされるかよ!」
「なぁんでさ!ヨンナムさんはかっくいーし素敵だし優しいし親切だしっ!仕事ばっかしてるスヨンだからヨンナムさんに癒されると思って。それに…ヨンナムさん、スヨンに似たとこあるし…。食事中だって話弾んでたし…」
「…」
「…なんで…そんなに怒ってるの?」
「…なぁ」
「ん?」
「僕がどれほどこの日を心待ちにしてたかわかるか?」
「俺も心待ちにしてた」
「それはヨンナムとスヨンさんを会わせるって目的でだろう!僕は違う!僕はお前がいたこの済州島でお前とのこれからを考えていこうとずっと!。…。はぁ…」

一気に言葉を吐き出して、テジュンは片手で顔を覆いました
僕とのこれからを考える?
ここで?

「…てじゅ…仕事しにここへ来たんだろ?」
「そうだけど!…そうだけど…はぁぁ…」

テジュンはがっくりと俯いてしまいました

「俺、ジャンスさんに済州島へ行ってくれって言われた時、お前は仕事で行くんだし、俺だって店が忙しいからって断ったんだ…。けど…スヨンとヨンナムさんを会わせたいと思ったから…それでここへ来ることにしたんだもん…」
「なんで僕に言わない!」
「俺、ジャンスさんに言ったもん!」
「はぁぁぁ…」
「それに一人で来たって、お前仕事なのに俺つまんないじゃん…」
「だからってヨンナム…。はぁぁ…。スヨンさんと…ああ…もう…はぁぁ…」

いっぱい溜息をついたテジュンは、顔を覆って動かなくなりました
僕はそんなに悪いことをしたのでしょうか?店を休んで、仲間に迷惑かけてまで来た済州島です。大いなる目的を持って何が悪いのでしょう!
もしテジュンがもっと何か言ったら、僕はきっちり反撃します!
暫くじっとしていたテジュンは、すうっと顔を上げて言いました

「…ごめん。怒鳴って…」

肩透かしを食いました…

「僕もお前にちゃんと確かめなかった…、先輩にまかせっきりだったし…。ふぅ…」

テジュンは諦めたような顔になりました

「…いやか?ヨンナムさんと一緒じゃ…」
「…。お前の顔、見れたからいい。それに…」
「…」
「今、僕達二人っきりだもんな。…ま、いいや…」

機嫌を直したテジュンは優しい目で僕を見つめました
やっぱりテジュンはかっくいいです
僕はポッとなりました

それから僕達は、スヨンとの思い出がいっぱいの(^^;;)そのベンチで、今日あったこと等を話しました
テジュンは僕の事を考えていて仕事が上の空になり、スヨンに怒られたといいました。ダメじゃんか!
僕はチス叔父貴やチョンエに会った事、チス叔父貴が僕を大切に育ててくれた事、それとスヨンとここでよくデートした事なんかをぐちゃぐちゃにして話しました
テジュンは暫く黙っていましたが、急に、スヨンさんとしょっちゅうチューしてたのか?ここで?と言いました
いくらなんでも人目につくので、チューはしなかったけど、デコとデコはくっつけたりしたな…と答えると、こんな風にか?とテジュンが僕のデコにゴンと額をぶつけてきました
それから僕の頬を両手で包みました

「煙草のにおいがする…」
「イナ…」

僕達は見つめあいました
テジュンのキラキラする瞳に吸い込まれそうになり、僕は目を閉じました
長い時間が経ちました
唇は降りてきません
その代わり僕はテジュンに抱きしめられました

「…なんだ…キスするかと思ったのに…」
「やめた。人目につくから…」
「抱きしめるのも人目につくぞ…」
「キスする気なくなった」
「…。俺がヨンナムさん連れてきたから?」
「ううん。チス叔父さんが大切に育てた奴を、僕も大切にしたいから…」
「…てじゅ…」

僕はテジュンの肩に顔を埋めました
テジュンの香りがします。ブルガリブラックではありません。あれは必殺香水ですから、普段はつけてほしくありません
テジュンの普段の香りはck-beと言うやつです。これも僕はとても好きです。気持ちが穏やかになります…

「てじゅ…。俺、お前に会ってからずーっと…しあわせだよ…」
「…イナ…」

テジュンの腕に力が入りました

「イナ、お前…いい匂いがする」
「ん?シャワー浴びたのに消えてないかな、アロマオイルの香り…」
「…ん~。僕の好きな香り…」

それで僕は、チョンエがブレンドしてくれたアロマの種類をテジュンに教えました。するとテジュンはクフフンと笑って、今、僕がつけてる香水もベルガモットが入ってるんだぞ、と言いました

「そうなんだ…」

僕はテジュンにもっとくっつきました。いつもなら間違いなくキスするのに、テジュンは僕を抱きしめたまま動きません
キスしないのかと聞いても何も答えません。僕は体を離してテジュンの顔を見ました。テジュンはふっと顔を背けました。どうしたのでしょう

「てじゅ…どうしたの?」

(@_@;)
テジュンが泣いています!どうしたのでしょう(@_@;)
僕はびっくりしてどうして泣いているのかとテジュンを問い詰めました

「騒ぐなばか…」
「らってなんで泣いてるのかわかんないもんっ!」
「…ばか…」

テジュンが優しく呟く『ばか』が好きでしゅ。僕はまたポッとなりました。そんな僕をテジュンはまた包み込みました

「しょんなに…いやだった?俺がヨンナムさんと来たこと…」
「…ばか…もういいんだ、それは。…たださ…」
「ん?」
「お前がここにいるんだなぁって…嬉しくて…」

その言葉を聞いて僕も嬉しくなりました。ここへ来てよかったです。僕はテジュンが大好きです。僕は本当にしあわせです


ごさいじ・たびのきろく そしてちぇじゅ・てじゅ part3 ぴかろん

それから僕達は、ホテルのカジノをちらっと覗きました。僕は入り口付近で、僕のやっていたピットボスの仕事や、スヨンがやっていたディーラーの仕事を説明しました。僕達はカジノでは遊べませんからね…残念ですけど…。そう言うとテジュンは、今度ラスベガスでお前のお手前拝見したいものだ、と笑いました
じゃあ、その時何賭ける?:え?:『他の人とキスする権利』っての、どう?:やだ!:む:賭けなんかしない!僕、不利じゃないか!:…お前が勝ったら浮気し放題ってのどう?:…む…。ぼ…僕をどういう人間だと思ってるんだお前は!
テジュンは僕の脳天を、チェミさんがするようにグリグリ攻撃しました
ちっとも痛くありません。むしろ非常に心地よく、テジュンにはマッサージ師の才能があるのではないかと思いました
ふと目にとまった防犯カメラを顎で示し、あれでスヨンとモニターデートしたんだ♪と言いました

「ああ。ホテリアホテルで僕にやったじゃないか。あれで僕はお前に落ちたんだぞ」
「え?俺、そんな事したっけ?」
「む!どーしてスヨンさんとの事は覚えてるのに、僕との事は覚えてないんだっ!」
「…いろいろありすぎたから…」
「む、むう…」

黙り込んだテジュンにアッカンベーしてやりました
テジュンはギロリと僕を睨み、じゃあこれから、いっぱい覚えさせてやる!と低い太い声で言って舌なめずりをしました(@_@;)
僕はゾクッとしました
怖いでしゅ…。でも怖いだけではないのも事実でしゅ…。ふ…

テジュンは、部屋に行こうと言いましたが、せっかく久しぶりにチュンムンホテルに来たのですよ。思い出のある懐かしいバーに行きたいとテジュンを誘いました
バーの名前は『ウインザー』といいます。よぉく考えると、チョンウォンがここにスヨンをしょっちゅう呼び出していたように思います
前にスヨンから聞きましたが、うっとおしいのでミルクで相手をしたと言っていました。…。チョンウォンも幸せを見つけてほしいですね、『自力で』
バーの入り口で、ボーイに二人と告げようとした時、聞き覚えのある笑い声が聞こえました。ヨンナムさんとスヨンです。仲良くカウンターで話し込んでいます。僕は踵を返してエレベーターに向かいました

*****

「お。イ・イナ!バーに行くんじゃないのか?イナ?」

バーの入り口で突然Uターンし、トコトコとどこかに行くイナを追いかけた

「一杯だったか?どこ行くんだよ」
「部屋」
「へ?」

イナはエレベーターの前まで来て、ボタンを押して階数の表示ランプを見つめている

「へ…部屋のキーは?」
「カードキー持ってる」
「…あ…ああそうか…」

開いたエレベーターにスタスタと進むイナ。僕は慌ててその後についた
無言のまま、箱を降り、足早に部屋を目指している
どうしたってんだ?そんなに僕に抱…抱…へへっげほっ…あはん♪

ドアを開けたイナのすぐ後ろから部屋に滑り込み、そのままイナを抱きしめようとしたら、イナはトトトトっとベランダまで走っていった

「なんだよぉいなぁどうしたんだよぉ…」

イナを追いかけ、ベランダで背中から抱きしめた

「風呂、入ろうか♪」
「俺はいい。お前疲れたろうから早く入って寝れば?」
「んな冷たい…」
「…」

黙り込んだイナにくっつきながら、暗い海を眺めた
チラチラと見える灯りは漁に出た船だろうか、それともナイトクルージングのクルーザーだろうか…
ホテルの照明がなければきっと、星がたくさん見えるのに…

「バーにね…ヨンナムさんとスヨンがいたんだ」
「ん?邪魔しちゃいけないから行かなかったの?」
「…」

イナは僕の腕の中でくるりと体の向きを変えた

「どうした?ん?」
「…」
「お前の予想通り、うまくいきそうじゃん?」
「…ん…」

声が震えている。寒いのかもしれない
イナを促して部屋に入り、窓辺の椅子に座らせた

「何か飲もうか。ルームサービスでも頼むか?」
「…いい…」
「僕、飲みたいな。頼んでもいい?」
「…ああ…」

急に口数が少なくなったイナは、窓の外を見つめたまま小さなため息をついた


「こちらのワインでよろしいでしょうか」
「ああ。ありがとう」

運ばれてきたブルゴーニュ産2000年の赤ワインを開け、グラスに注ぐ
イナの前に置き、グラスを合わせる
透き通った硬質な音が静かな室内に響く
ふと我に返ったイナが呟いた

「俺…」

僕は次の言葉を待ちながら、ワインを口に含んだ
ソムリエはどんな風に表現するのかな
しなやかで、力強くて、ボリュームがあるが少し若い…
ワインなのかイナなのか
僕はどちらを味わっているのだろう

「…二人が…うまくいってほしいんだ…」

しなやかで…力強くて…

「仲良くしてた…」
「…。よかったじゃないか…」
「…ん…」

少し…若い…

「…俺…」

儚げな笑みを口元に湛えるイナを、僕はそっと包んだ

「…ばか…」
「…おれ…」

消え入りそうな声が僕の胸に届く
あの大切な人達の幸せを願いながら、ふと寂しさを感じるお前の心が僕はわかる
なぜなのかは知らない
お前がここにいるだけで、僕はお前の全てがわかる
心のざわめきが消えるまで、僕はお前を包んでいるよ
お前は感じたままを受け止めればいい
イナの髪の香りを吸い込みながら、柄にもなくそんなことを思った

*****

バーのカウンターにいるスヨンとヨンナムさんを見たとき、僕の頭の中は真っ白になりました
気がつくとエレベーターの前にいました
僕は部屋へと急ぎました
じっとしていると、居心地が悪いのです
ざわざわと体の中を這いずり回る何かがいるのです
部屋に飛び込んでもざわざわは止みません
ベランダに飛び出してもざわざわは消えません

包み込む温かい腕が僕に切り込みを入れます
その切り口から僕はようやく言葉を零しました
僕の見た、あの二人の楽しそうな光景を、温かい腕の上に零しました
僕の大好きな声が頭の後ろから響きました
僕はその胸に顔を埋めて切り口に蓋をしようと思いました

部屋に入ると温かい腕は僕から離れました
僕は窓の外の海と空を眺めました
暗くて黒いのに透明だと感じました

透明な空から星のかけらが落ちてきたような音がしました

「…俺…」

僕の切り口からまた言葉が零れます
僕が望んでいたこと…

「…二人が…うまくいってほしいんだ…」

それは本心です
二人は仲良く笑っていました
それを望んでいました
なのに僕は…

「…俺…」

温かい腕がふわりと僕を支えます

「…ばか…」
「…おれ…」

大好きな長い指が僕の髪をそっと撫でます
悲しいのではありません
ただちょっとだけ寂しいのです
そう
ちょっとだけ寂しい…
僕の大切な、僕の大好きなあの二人が幸せになるなら
こんな嬉しいことはありません
それを望んでいるのに
それが本物になりそうなのに
僕の手が届かなくなりそうで寂しいなんて
僕はどうしてこんなに…

大好きな長い指が僕の背中をそっと撫でます
それで僕は自分の体が震えている事を知りました
その指が僕の背中を撫で下ろすたびに
僕は僕の感じた全てを
ひとつずつ、ひとつずつ
僕のからだすべてに溶かしました

固めなくていい
仕舞わなくていい
寂しいと感じていい
小さいと感じていい

僕は初めて穏やかに
僕の中に起きた細波を
からだすべてにゆきわたらせることができました
僕は幸いなことにひとりではありません
僕は幸いなことに大好きな人といます
僕は
しあわせな男です…


Veritas -Museum of Fine Arts  オリーさん

もうここに来てからどのくらい経つのだろう
時間の感覚が麻痺してしまっている
だが腕時計で確認する気にはならない
いずれにせよ、時は経ち人は過ぎて行くのだから
留まる時間が必要ならば
しばらくはそうしているのもいいのだろう
僕はそう思いながら入り口の壁にもたれかかっていた

ここはMFAの2階のフロア
印象派と20世紀ヨーロッパ絵画が展示されている部屋
MFAはMuseum of Fine Artsの略
頭文字を取ってMFAと呼ばれている
ボストン美術館と言った方がわかりがよいが、正式にはそうは言わない
その収蔵品はヨーロッパからアメリカ、アジア全域、エジプトまでと幅広く
特に日本美術の浮世絵やエジプト文明の出土品は有名だ

観光シーズンをはずれたこの季節
館内は空いていて、人影もまばらではあるが
それでもこのモネやセザンヌの絵が置いてあるこの部屋は人気があり
絵画鑑賞を楽しむ人々がゆったりと通り過ぎて行く

老夫婦や若いカップル、なぜか勤め人風の男性もいる
モネの『ルーアン大聖堂』の前には美大生らしき学生が座り込み
熱心に模写をしている

ここに飾られている『ルーアン大聖堂』のサブタイトルは日没
夕陽を受けた聖堂の色あいが何とも言えず美しい
モネの連作として人気の高い『睡蓮』もある
『アルジャントゥイユの画家の庭のカミーユ・モネと子供』は
見ているだけで親子の暖かい絆が感じられる
セザンヌの『ブーシヴァルの踊り』は誰でもどこかで見たことがあるほど有名だろう
『赤い肘かけ椅子の女』もこの美術館の中でも人気が高いと言われている

がこの部屋に足を踏み入れてまず目を奪われるのが『La Japnaise』
モネの妻カミーユが金髪のかつらをかぶり
あでやかな日本の着物を羽織っている

モネは大きなキャンバスに何枚もの団扇をちりばめ
カミーユにもフランス国旗と同じ色の扇子を持たせ
日本の伝統美を際限なく表している
いかにも日本美術、特に浮世絵に影響されたモネらしい
カミーユのヒップのあたりにいかつい侍の刺繍を持ってきたのは
モネの遊び心だろうか

着物に施された刺繍はまるで浮き立つようにで
着物地の赤とのコントラストが素晴らしい
その絵のサイズも手伝って、ひときわ目立つ存在だ

その絵の前の長椅子に腰かけたまま
教授はさっきから動かない
その後ろ姿はまるでその絵にはまったようで
もう二度と動かないのでは、という錯覚に陥るほどだった


あの銀行で、あの手紙を読んだ後の教授の姿はとても痛々しく
僕はずいぶんと長い間、声かけるのをためらっていた
しばらくすると教授の嗚咽はしだいに小さくなり
最後にはまったく聞こえなくなった
それでも教授は床にひざまづいたままだった
僕はやはりそれをしばらくの間眺めていたのだが
ある瞬間にふっと足が動き
教授の傍らへ行った

「大丈夫ですか?」
教授は下をむいたままうなづいた
「僕も・・その・・読ませていただきました」
教授は顔を上げた
充血した目にはただ暗い色だけが映っていた
そしてポツリと言った
「指輪と手紙・・それだけでしたね」

それだけだが彼にとってどれほどの物か・・
僕はこみ上げてくるものを抑え、できるだけ事務的に言った
「申し訳ないのですが、手紙を写させていただきたいのです。
資金とはまったく関係がなかったという証拠が必要です」
教授はしばし考えた末に、どうぞと言った
「ありがとうございます・・その・・」
「あなたの仕事なのでしょう?」

「申しわけありません・・」
僕は教授の顔を正視できず横を向いた
「あなたでなければ承諾したかどうかわかりません」
その言葉に僕が振り向くと教授は小さな微笑を見せた
それがまた僕の胸を衝いた
呼吸が乱れそうになるのをこらえ
僕はテーブルの上の指輪と、しわになった手紙を小型カメラにおさめた

僕のその作業が終わるのを待っていたかのように
教授はゆるりと立ち上がった
そしてテーブルの上のしわになった手紙を丁寧に折りたたみ
それから指輪の小箱をしばし見つめてから、僕に向かって言った
「指輪は没収でしょうか?」

僕は首を横に振った
「これはあなたの物です。僕が保証します」
教授は小さな声でありがとうと答えた
「両方とも持ち帰りますか?」
僕は尋ねたが、教授はそれには答えずしばらくその指輪を眺めていた
が、最後にはその小箱に手を伸ばし背広の内ポケットにおさめた

そして貸金庫は空になった
「金庫はどうします?残しておきますか?」
教授はまたしても僕の質問には答えず
貸金庫を元の場所におさめた
それから、ボックスを一度ゆっくりと撫でた
まるで恋人の頬をなぞるように・・

銀行から出ると、教授はまっすぐTのハーバード駅に向かった
僕はその後をつかず離れずついて行った
どこに向かうのだろう
レッドラインで再びダウンタウン方面に戻り
パークストリートでグリーンラインに乗り換えた
ホテルに帰るつもりか?
そう思ったが、コプリー駅は通り過ぎ
MFAの前のMuseum of Fine Arts駅で降りたのだった

たぶん何度も訪れていて慣れた道程なのだろう
教授はまっすぐにギリシャの神殿のような建物MFAに歩き出した
まるで何かにつき動かされているように
そして、それはMFAの中に入っても止らなかった

正面のインフォメーションセンターを通り抜け
その後ろの階段を上ると、まっすぐにこの部屋に入った
そしてあの絵の前に座り込み動かなくなった
たぶんここが手紙に記されたあの場所なのだろう


そこまで思い返した時
静かな美術館に子供のざわめく声がした
中学生くらいだろうか
引率の教師に連れられて、20名ほどの子供たちがその部屋にやってきた

引率の教師らしい女性がまず絵画の説明をして
さらに他の人の邪魔をしないよう静かに見学することと
この中の一枚の絵についてレポートを書くことが宿題であるとつけ加えた
それで子供たちの集団はばらけた

僕は思い思いの絵に向かう子供たちの合間をぬって
教授がかけている椅子に近づき、その隣に座った
教授はまだ正面の絵を見つめている

何人かの子供たちが、モネのその絵に興味を持ち
絵の前でしばらく立ち止まった
ある子供はメモを取ってレポートの準備を怠らない
ある子供はその前で同じポーズをしておどけている
どちらの子供も微笑ましく愛らしい
そんな子供たちの姿が教授の目にも映っているだろうか

しばらくすると
引率の教師の掛け声で子供たちは集められ、その部屋を去って行った
部屋にまた静寂が訪れた

「サラはこの絵が好きでした」

突然の言葉に僕は教授を振り返った
教授は前を向いたまま小さな声で続けた

「母親を思い出すと言っていた」
「母親・・」
僕は思わず聞き返した
「金髪の女性が日本の着物を着ている姿がいいと言っていました」

たまたま二人でMFAに来た時にその絵を見て
サラはその中にたぶん母親の姿を見たのだろうと
それ以来、二人でよくMFAのこの部屋を訪れたこと
教授はそんな話を低い声で、ぽつりぽつりと語り始めた

僕は目の前のカミーユを見た
扇子を片手に彼女は楽しそうに微笑んでいる
彼女の顔以外、すべて日本という異文化に囲まれているのに
手紙に書かれていたあの場所はやはりここだった

結局ルーアン大聖堂を模写していた若者と、僕たちは閉館までそこにいた
外に出ると、外気は昼よりもさらに相当冷たく
僕は通りすがりのタクシーをつかまえた
今回教授はTに固執せず、黙ってタクシーに乗り込んだ

「今日は勝手な事をしてしまって申しわけない」
タクシーの中で教授が僕に言った
「いえ」
僕たちはそれ以外は口をきかずにいた
正確に言うと、僕にはかける言葉が見つからなかった

ホテルに着いて部屋の前で僕は教授に聞いた
「食事はどうしますか?」
「後でルームサービスでも取ります」
「了解です。食事はちゃんとしてください。昼も食べてないですし」
「わかっています」
「もしご迷惑でなければ、今夜はそちらの部屋に行かせていただいても」
「・・・」
「僕はどこでも眠れますから、ソファで結構」
「一人にするのが心配ですか?」
「そういうわけでは・・ただ・・」

「大丈夫です。ご迷惑はおかけしません」
「わかりました。ただ何か・・何かあったらすぐ連絡してください。
それと、明日は10時のシャトル便です。そうでないとNYの昼の便に間に合いません」
「わかっています。色々とありがとう」
教授がお礼を言って部屋の扉を開けようとした
が、僕を振り返って一言つけ加えた

「あの手紙のことは、弟さんには言わないほうがいいでしょう」
それは僕が最初に考えた事だった
ただ教授にはそのことを強要できない、そう思っていた
僕の葛藤を見て取ったのだろうか
教授はきっぱりと言った
「彼には何も言わないでください」
「お心遣い、感謝します」
今度は僕が礼を言った

部屋の中に消えていった教授の後姿を見届けながら僕は悟った
ギョンビン、あの人は本当にお前のことを想っている

部屋に戻って、まずロジャースに短いメールを打った
「お前の欲しがっているお宝はなし。詳しくは戻ってから」
それでもうパソコンは電源を落とした
今夜は何もしたくなかった
とりあえずルームサービスで軽食を取った
その際、教授の部屋にも同じものを届けてもらった
ムリにでも少し食べてほしかったから
そういう僕自身、食欲はあまりなかったのだが・・

ベッドに入ってからも、なかなか眠りにつくことができなかった
あの手紙の文面を思い出し
あの教授の嗚咽を思い出し
あの大きな絵を思い出し
そしてラブの顔を思い出した
ラブ、僕はどんな事があってもお前から離れないから
ずっとずっと離れないから

今、隣の部屋であの人は何を思っているのだろう
深い後悔の念と闘っているだろう
そして運命のいたずらを呪っているだろうか

ラブ、これからはお前のこと
もっともっと大事にするから・・
ぜったいに・・
永遠に・・

翌朝、僕と教授はロビーで待ち合わせ、ローガン空港へ向かった
教授の様子はやや疲れた感じはあるものの
外見からは、特に変わりはなかった
けれどその胸には
来るときにはなかった重い楔を打ち込まれたことは確かだ

ボストンの街は引き続き冬の仮面をかぶっていた
この地には暖かい春は来るのだろうか
タクシーの中でそんなことをぼんやり考えていた僕に
教授が静かな声で言った

「ボストンの美しさは秋に極まる、そう言った人がいます」
「秋ですか?」
「私もその意見に賛成です。大きな木がみなそれぞれの色に染まる様は圧巻ですよ」
「では今度来るときは秋に」
「そうですね・・短い春、急ぎがちの夏、その後にぜひ」
教授はそう言って視線を窓の外に向けた

僕はその横顔を見つめるうちに
こらえていたものが我慢できなくなった
言葉が口をついて出てきてしまった
「こんな言葉が適切かどうかわかりません。
でも・・これだけは言っておきたい・・」
教授は僕の声に驚いたように振り返った
「ありがとうございます、弟を助けてくれて・・」
その顔がぼやけて見えた

「弟さんをあの場所に呼んだのは私です。巻き込んだのは私だ」
教授が僕の顔を見つめて言い切った
僕はこらえきれず声を上げた
涙が頬を伝わった
教授が僕の肩に手をおいてゆっくりとさすった
だらしない付き添いですみませんと教授に謝りながら
僕は涙を止めるために懸命に唇を噛みしめ続けた

JFK空港からKE081便は定刻どおり飛びたち
また半日以上もの長いフライトを終え夕刻インチュンへ降り立った
たった2日間の旅だったが
随分長いこと留守にしたような気持ちだった

僕は教授をホテルまで送り届けた
僕と教授は別れ際にどちらからとなく手を差し出した
どうか、あまり自分を責めないで
僕はそう心で念じながら教授の手を固く握りしめた
その気持ちが少しでも伝わってくれただろうか

それからRRHへ帰ろうとタクシーの運転手に告げた
が、気が変わってBHCに行き先を変更した
遅刻だがかまうものか
ラブ、お前の顔が見たい

今、無性にお前の顔が見たい・・

MFA モネの作品一覧


起こさないで  足バンさん

乾いた街を足早に歩いていると
見知らぬ少年が、すれ違いざまにジャケットの裾を掴んだ
ねぇ…おじさん、名前は?
ジン
やっぱりそうだ
僕を知ってるの?
ねぇ、僕の心臓買わない?
心臓?
いくらがいい?
いくらって…
安くしとくよ、もう最後のひとつだもん
最後の…?
あなたのために残しておいたんだ
何?
残りはみんな捨てちゃったって、あなた知ってるじゃない

何を…僕が…何を知ってるの?
そう聞き返そうとしてその少年の手首を掴めば
自分の手の中には、潮の匂いのする鳥の雛の死骸
鳥に詳しくもないはずなのに
なぜかそれはひばりの雛だという気がして

…目が覚めた


頭の中で動悸がし、首の辺りがしっとりと汗ばんでいる
そこが自分の家だということを思い出すのに少し時間がかかった

夢の中でもこれは夢だとわかっていたはずなのに
重い瞼を開けた後もその境目がよくわからなかった
そろりと右手を開いて
その中には何も入っていないことを確かめてみる

天井に小さく反射した光を見つけ、横のソファに目を向ければ
その反射の元は、ぬいぐるみの首に掛けられた銀のペンダントだった

座面に無造作に畳まれたパジャマと薄手の毛布を見て
ドンジュンは昨夜そこで眠ったのだろうかと、ぼんやりした頭が考えた
そういえば、ベッドのシーツはひとり分の乱れしかないように思える
昨夜、風呂から上がって下着も付けずに倒れ込み
そのままになってしまったんだ

ようやく足元のローブを羽織りベッドから出た僕は
一瞬、テーブルの上のその妙なものが何だかわからなかった

硝子のテーブルには、この家で一番大きな白い皿が出ていて
そこに長いリンゴの皮がくりくりと渦を巻いておさまっていた
横に置かれた小さな紙切れには
『スヒョン!おはよ!見て見て!リンゴの皮見事に繋がったの!
 今日は出勤までゆっくりして下さい、んじゃギスんとこ行ってきます!』
思わず笑ってしまった

相変わらずというか…

しかし、ひとしきりおかしさを味わうと、胸がじんわりと疼く

ドンジュンが、朝から楽しくリンゴの皮むきに挑戦していたわけじゃないことはわかっている
夕べ、痛いくらい自分に気を遣ってお喋りをしてくれていたのも
ベッドに倒れ込んだ僕に冷たい水を差し出してくれたのも
肩に上掛けを掛けながら「ばかスヒョン」と小さな声がささやいたのも
睡魔の霧の向こうでちゃんと聞いていた

あいつは自分の気持ちに嘘をつけなくなればなるほど
いちばんそうでありたい自分の姿をめいっぱい引き出すんだ

ましてやあいつが
明日の濡れ場の撮影のことを憶えていないとは思えない




「どうした?今日はやけに静かだな」

顔を向ければ、前回と同じ会議室のテーブルの向こう岸で
ノートパソコンから目も上げずに言うパク・ウソクの顔半分が見える

アポイントの時間に例の受付に立つと、あの受付嬢がにっこり微笑み
今回は直ぐ上に通じて、ゲスト用IDカードを手渡された
エレベーター前に並ぶゲートでそのカードが認識されなければ
部外者だけではエレベーターホールにも近づくことができないらしい

改めて眺めてみれば、何と大きな企業だか…
キリョンの話なんてどうってことない比重だとしても
何百分の一くらいは、この大量の社員たちへの責任があるのかと思えば怖い気もする

動かす人間と動かされる人間
僕は一応動かす方だってずっと思ってきたけど
どうなのかな…
こんな…浮き草みたいな僕なのにね

そんなことを考えながら、ブラインドが半分ほど開けられた窓の外を眺めている時に
いつもの抑揚のない声が響いた

「どうした?今日はやけに静かだな」
「あ…いえ…あのっ…どうですか?内容は」
「いいね」
「へ…?」
「まぁこれなら他の株主もひとまず納得するんじゃないか?」
「よっしゃぁ~やった…~…~…はぁ…」

ちっとばかり脱力した僕は、腰がずるりと沈みそうになるのを堪えて
高級そうな皮の椅子に座り直した

「まぁこの調子で頑張ってくれ」
「あの…」
「あ?」
「大丈夫だと思いますか…この構想」
「何?」
「その…勿論目指す方向は間違いないって思ってるんですが…」
「何だ今日は…悪い物でも食ったのか?」
「ここまで突っ走ってきたけど…正直言って…これでいいんだろうかって」

何でコイツにそんな弱音を吐こうと思ったのかはよくわかんない

「俺のせいで自信をなくしたとか言うなよ」
「じゃなくて、その…ホントに支えて行けるのかって…みんなを…」

パク・ウソクは、MOを引き出したパソコンの蓋をパタリと閉じて
腕を組んでふんぞり返り、僕をしこたま睨みつけた

「あの威勢の良さはどうした」
「は?」
「失敗を前提にものを考える習慣はありません、失敗はしません、自信はあります
 おっかない顔でうちの社長に言い切ったのは別人格か?」
「あれは…」
「二言があるなら潔く中止することだ」
「そんなんじゃないですけど…」
「或いは…自尊心を揺さぶるような他の理由があるなら、それを切るんだな」
「…え…」

僕の心臓がどっきんと音を立てて、喉までせり上がったかと思った
パク・ウソクは回転椅子を微動だにせず
全てお見通しってな目で真っ直ぐこっちを見ている

「自分をコントロールできない状況を作らない」
「…」
「守るものなんて作らなきゃいいって、単純な話だ」
「そんなの…そんなの寂しくないですか?」
「だから君は甘いって言うんだ、世界も友人も同じ価値だなんて言ってるうちは
 店でおとなしく客のお話相手でもしてろ」
「ちょっと!口に気を付けろよ!」

あったまきて、僕は立ち上がってた

「口が悪いのはお互いさまだ」
「何でそんなに突っ込んでくるんです!」
「愚問だな、うちがトバッチリを被らないために決まってるだろう」
「キリョンがコケたところで実際は痛くも痒くもないでしょ」
「ただの株主で終わるつもりはない」
「やっ…やっぱり」
「あ?」
「やっぱり乗っ取るつもりだったりするんじゃないだろうな!」
「何?」
「株主総会かなんかでいきなり出て来て…この会社は既に我々のものだとか言って
 そんな話聞いてませんって言うと、いきなり人相の悪い弁護士とか出てきちゃって、ボス、全て完了です
 よし、このうるさい坊やは消せ、よろしいんですか?、構わん、とかって」
「…ふぅん…」
「な、何ですか」
「うるさいって自覚はあるんだな」

面白そうに、たっぷりと僕の顔を眺めたパク・ウソクは
立ち上がって「アホは帰れ」と言い「でもまぁその方が君らしくていいけどな」と加えて
MOを胸のポケットにしまった

「あーっ!ち、ちょっと待って!約束の件!」
「何だ」
「約束ですよね、ラ…あなたの従弟の話」
「ああ」
「もう彼に手出しはしないでくれますね?…家に連れ戻すとか…店を辞めさせるとか…」
「わかった」
「え…」
「何が、え、だ」
「…ほんとに?」
「失礼なやつだな…同じことを言わされるのは嫌いだ」

「じゃ…二度とこの件は蒸し返さないで下さいね」
「興味がないと言っただろう、社長には俺から話しておく」
「興味って…身内のことでしょ」
「だからそういうものに価値を感じないんだよ、もっとも他にも感じないけどね」
「そんなの…」
「まだ文句があるのか」
「おいしいものとか、綺麗なものとか、面白いものとか、楽しいこととかないんですか?
 映画とか本とか読みません?いくらあなただって感動することあるでしょ?」

パク・ウソクは、一瞬妙な表情を僕に向けた

そりゃちょっと調子に乗って喋り過ぎたような気はしたけど
初めて見るような…曖昧な一瞥
次の言葉に迷ってると、その隙を縫うようにテーブル上のインタフォンのランプが点き
女性の声が「用意が整いました」と伝えた

「出掛ける時間だ、今日もここで居眠りしたければどうぞ、何なら枕を用意させようか?」
「ご心配なく、睡眠は充分足りてます」
「ではお帰りはこちらです」

パク・ウソクはわざとらしくドアを開けてお辞儀をし、僕を通すと
廊下で待っていた若い社員からコートと封筒を受け取って歩き出した


そんなわけで、あのシースルーのエレベーターで地上までヤツと「ご一緒」だったのは
自然の成り行きというやつだし
その上、正面玄関を出て左右に別れようとした瞬間に、ひとりの女性に行く手を阻まれて
思わずヤツと一緒に立ちすくんでしまったのは不可抗力というやつだ

良さげなハーフコートを羽織った、まぁかなり綺麗な女性は
どこからどう見ても怒った目をして僕の横の長身を睨みつけてる

パク・ウソクは、今まで見せたこともないような笑顔でこくりと会釈をし
ソフトな声でその女性に話しかけた

「これは…あなたがこちらまで来られるとは」
「ウソクさん、どうしてご連絡下さらないんですの」
「差し上げたはずですが」
「いただいた憶えはありませんわ」
「ですから先日…」

「ええ、父を通してご丁寧なお断りの言葉は聞かせていただきました、でも…」
「申し訳ごさいませんが」
「なぜですの?私の何が不足ですの?」

げっ…

「そういうことではありません」
「お贈りしたものまで返すなんて、あんまりじゃありません?」
「あのような高価なものをいただく理由がありません」

いきなりの修羅場かよ…と
すっかり立ち去るタイミングを逃した僕は
そぉっと踵をにじらせながらその場を離れる用意を整えようとした

「仕事だのなんだのの回りくどいお話はもう結構、正直に仰って下さい」
「困りましたね、では後ほど…」
「いえ、今仰って、納得いく理由をお聞きするまで動きませんわよ」

うひ…怖い女に捕まったもんだコイツも…ちっとイイ気味だけど…

とにかくここはもうさっさとずらかろうと、僕は足を踏み出した
…と思った瞬間

「なっっ」
「逃げることないよ、自分で自己紹介するか?」

ふわりと抱え込まれた腰はパク・ウソクの腕にしっかりと捕らえられ
僕はよろけるようにヤツに抱き寄せられる羽目になった

は…?じじじじこ…?

その状況を飲み込めないまま恐る恐るとヤツを見上げると、この野郎は僕に微笑みかけてる
そしてその目は「マズいことになっちゃった…ね、ハニー」みたいなっ!
ヤツは、通常の男同士では絶対に不自然だろってくらい
しっとりとまとわりついて、僕の髪に頬まで寄せやがって…

僕は、絶句の嵐の中で
この男は己の才能を「私的」にも恐ろしいほど発揮できるのだと、思い知った

彼女は綺麗に描かれた眉を上げ、たっぷり十何秒か黙り込み
急に何かに思い当たったかのように目を見開いた
そして、僕が顔を引きつらせながらもニッと微笑むと
彼女の首から上が、お湯につけた温度計みたいに急激に赤くなっていった

それが、この上ない侮辱を受けたと思ったからなのか
良からぬ妄想が脳内を駆け巡ったからなのかはわかんないけど
とにかく猛烈な勢いで「これ以上ここにいる意味はない」ことを悟ったらしい

冷静に考えれば、この状況はどう見ても不自然だってことに気づきもせず
彼女はブランドもののバッグの柄を指が白くなるほど握りしめたまま
ヒールの音を響かせて僕たちの横をすり抜け、待たせていた車に乗り込んだ

涼しい目で彼女を見送ってるヤツの顔をジットリ睨んだら
パク・ウソクは何ごともなかったかのように腕を離して踵を返す

「じゃ、よろしく、株主会までは会うこともないだろう、ご苦労さま」
「ちょっ!ちょっと!」

ヤツは手の書類をヒラヒラさせて、直ぐ向こうに回されてきた車に向かう

「パク・ウソク!!かっかっ貸しだからなーっ!」

その時になって、ゼイゼイ言ってる僕のことを見てた数人の社員たちが
見ちゃいけないものでも見たように目をシバつかせながら散ったのに気づいた

ムカムカムカムカーッッ
ったくあの野郎どうしてくれようっっ


鼻息も荒く身体を反転し歩き出そうとした時
エントランス前に広がる樹々の下のベンチに見覚えのあるシルエットを見つけて
僕の心臓は、今ひとたび喉元までせり上がった

黒皮のコートに手を突っ込んでゆったりと足を組み
遠くからでもわかる目鼻立ちでこちらを見てるスヒョンは
いつもみたいに微笑んでいた









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