ぴっこらイタリア

2007/01/16(火)20:58

イタリア人には所詮無理。

イタリアンなお話(77)

おとといはひさびさにおっとと隣町の市民プールに泳ぎに行ってきた。 わたしは足のリハビリと、肩こり解消、おっとは運動不足解消に「毎週行こうね。」と約束し、最初は2人で行く気が満々だったのに、おっとがひどい風邪を引いてしまったり、おっとがバイトを週末にねじこんだり、おっとが面倒くさがったりして、1ヶ月近くいけなくて、わたしが暴れ出す兆候を示し始めたので、やっといけることとあいなった。 隣町なのに。クルマだったら10分もかからない距離なのに。怒 ひさびさのプールはほとんど誰もいなくて、わたしはプールの真ん中の一番深いところを陣取って、無我夢中で泳ぎまくった。やっぱり水の中って気持ちがいい。 泳がなくとも、目だけぷっかり水面に出し、垂直にダランと身体を水の動きにまかせているだけでも愉快だ。もしかしてわたしの前世は、カエルだったのかもしれない。 しかしおっとは、と見るとほとんどプールのヘリにしがみついてゴーグルをいじったりしている。 わたしは1時間ほどほとんどノンストップで泳いで疲れてきたのでプールからあがり、誰もいない広いシャワー室でゆっくり熱いシャワーを浴びた。服を着て、備え付けのドライヤーで髪を乾かしている間にじわじわと心地よい疲れが広がってきて、ほこほこしながら出口に行く。 と、おっとがつまらなそうな顔をして待っていた。 わたし「あんたほとんど泳いでいなかったね。」 おっと「。。うん、ぼくやっぱり泳ぎには向いてないんだよ。」 そうなのだ。おっとはサッカーやバスケット、テニス、バレーボールなど、球技など大勢で和気あいあいとするスポーツが好きだ。しかし唯一のサッカー仲間だった幼馴染みのウイリアムがアメリカに移住してしまったので、最近は誰も一緒にしてくれない。 わたしはというと、ひとりっこのせいか、、他のひととチームを組んでする球技などのスポーツは大の苦手で、水泳、スキー、短距離走などの個人プレイが好き。しかしひとりっこ特有のへたれで、個人競技でも持久力が問われるマラソンなどは、小学生の時にはいつも仮病を使ってずる休みしていたが。 球技の試合では1点入れるか入れないで一喜一憂していた、チームのメンバーをいつもどこか冷めた目で見ていた。 テニスなどの1対1の球技も、相手の気迫にしらけてやる気が出なかった。なので、スポーツ観戦のおもしろさ、というのがちっとも理解が出来ないのだ。(例外的にWカップはお祭り的な感覚でおもしろかったけど)きっと前世は土佐守長宗我部盛親かなにかだったに違いない。わたしは決してたたき上げて天下を取るタイプじゃないのだ。 話はちょっとそれるが、イタリア人も、個人プレイな人間が多いんじゃないだろうか? そういえば、わたしの周りは汗を流してスポーツを楽しむ人より、ソファに座ってスポーツ観戦のみするひとが多い。 あえてやってるひとはジム通いとか、わたしと同じようなパターンだ。(子供のサッカー教室などは別として) これを仕事に置き換えると、納得がいく。 今朝も駅のホームで電車を待っていると「注意!7時52分ポルタガリバルディ行きの電車は約10分の遅れです。」と放送が流れた。 電車を待っていたひとたちはざわめき、あるひとは怒りだし、あるひとは、「あ~あ、まただよ。」とぼやく。 しかし。 放送の中身にはなんの謝罪もありゃしない。ひとこと「注意」の言葉のかわりに「おわび」という言葉を入れるだけで済みそうなものだが、決していれない。 「おわび」という言葉を入れるだけで、怒るひとは半分は減ると思うのだが。 役所関係だって、店だってそうだ。向こうが間違えた書類や、欠陥商品を持っていっても「おわび」どころか、「だから何?」という態度で出られる。ヘタすれば罵倒され、因縁をつけられる。 アドバンスになると、欠陥商品を替えてもらうよう、電話で話をつけて言われた日時にとりに行く。しかしその連絡は誰にも伝わってなくて「知りません。」と言われスゴスゴと追い返されるパターン。 挙句のはて、決まり文句は「わたしのせいじゃないわよっ!」 確かに電車が遅れるのは、そこの駅員のせいじゃなくて、電車の運転手のせいだし、書類を間違えて作成したのは、その窓口のおばちゃんでも、壊れた商品を箱に入れたのは、会計にいる週に3回のパートタイムのお姉ちゃんでもないのだが、自分が所属している職場のミスなのだから、心になくても職場の責任を背負ってひとこと「スミマセン」という言葉と、無理っぽいけど贅沢をいえば、誠意ある対応をして当たり前なんじゃないだろうか?それこそがチームワークってもんだし、対応の仕方でお互いのストレスだって減ると思うのだけどな。。 たとえば、かなり無理をして、「誠意ある対応」をしてもらったとする。袖に穴の開いたセーターを別のセーターに替えてもらう。普通「替えてもらう」=「ちゃんとした商品に替えてもらう」という意味合いが含まれ、たいがいの客は店を信用し、商品を確かめることもなく、にっこりと笑顔で「ありがとう」とまで言って店を出るだろう。 ところが。 イタリアの場合、その服を家に持って帰って広げてみると、袖には穴は開いていないのだが、肩に穴が開いていることが、多々ありうるのである!! そうなれば自然に「なんじゃ、あの店は~!?2度と行くもんか!!」になり、言い方を変えると「行かない」ということでしぶしぶ解決、という形になる。 だが、役所の場合や光熱費の支払いの場合は、「行かない」「払わない」では解決にならないどころか、ヘタすれば、ガスや水道が止められてしまうのでやっかいだ。 あ、こうやって書き出して行くうちに自分でもわかってきた。そうか、しかたがないんだな。ひとに不得意なスポーツを押し付けたって、無理なように、イタリア人には所詮無理なんだ。 こうして「あきらめる」のもイタリアで長く住む秘訣として、イタリア在住初心者は心してもらいたいものである。大違)

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