紙芝居が始まるまえに176
ある婦人がいました。彼女は優秀な女性で、「私ほど、親孝行してきた人は、いない!」と自負(じふ)していた。そんな彼女の母親が倒(たお)れ、介護(かいご)が必要になった。親孝行な彼女は、献身(けんしん)的に介護に、取り組んでいった。けれど、日々の介護の中で、精神的にも肉体的にも、疲(つか)れてきて、今まで、「これほど親孝行をしてきた人は、いない!」と自負してきた自分に、親に対して、醜(みにく)い心、「死んでくれればいいのに・・」とか、すさんだ心が、出てくるのを感じた。そんな中、自分を見失(みうしな)わないために、毎日の犬の散歩だけは、続けようと思っていた。そして、ある時、犬の散歩をしているとき、聖教新聞(せいきょうしんぶん)が、「ご自由に、お取りください!」と書いて、カゴに入って置(お)いてあるのを見つけた。どんなことが、書いてあるんだろうと、ふと、思い、手にして読んでみた。最初、目に付(つ)いたのは、一面に出ている、世界中の創価学会(そうかがっかい)の人たちの笑顔あふれる写真だった。「なんて!清々(すがすが)しい笑顔なんだろう・・!」と思い、他の記事なども、読んでみたりした。そこには、希望あふれる言葉が、満(み)ちていた。そこには、日々の介護の中で、自分のすさんでいく心を、取り戻(もど)してくれるものが、あった・・!とくに、池田先生(創価学会インターナショナル会長)のメッセージや随筆(ずいひつ)の中には、自分を勇気づけ、励(はげ)ましてくれる言葉が、あふれていた。そして、「ご自由に、お読みください!」と書かれて置いてある聖教新聞を、読むのが日課(にっか)になっていった。犬を散歩させるためというより、聖教新聞を読むために、外に出るようになった。そして、自分も創価学会に入りたい!と思うようになり、とうとう、その外の壁(かべ)に聖教新聞が置いてある家のドアをたたき、自分から、創価学会に入った!!・・・・・・・・・・・・・つぶやき(紙芝居が始まるまえに)・・・・・・・・・・・・・聖教新聞には、創価学会には、乾(かわ)いた心を、うるおしてくれるものが、ある!!さまざまな苦難の中、すさんでいく心を、取り戻(もど)してくれるものが、ある!それは、自分の生命を蘇生(そせい)させる!ということです。自分の人生に、希望を呼(よ)び戻(もど)し、幸せにしていける力(ちから)がある!!!ということです。生命を蘇生(そせい)させる・・・。それが、どれだけ、スゴイことか!!それが、どれだけ、大切なことか!!それが、どれだけ、必要とされているか・・。人は、蘇生を求めている。こころの蘇生・・、生命の蘇生・・、希望の蘇生・・、人生の蘇生・・、そして、幸せの蘇生・・!!それをもたらす場所が、創価学会だということです。また、創価学会がもたらすものは、単なる癒(いや)しというよりも、人生に挑戦し、勝っていける、根底(こんてい)のエネルギーとなるものです。どんな苦難があったとしても、負けない、どんな試練(しれん)も乗り越(こ)え、勝って、幸せをつかんでいけるものです。それは、最高の歓喜(かんき)となって、その人の生命と人生を、飾(かざ)っていく。そして、これ以上ない、満足と幸せとなって、その人を、笑顔でつつんでいく。だから、今日、紹介した婦人が、聖教新聞を見たときに、「なんて!清々(すがすが)しい笑顔なんだろう・・!」と思うような笑顔になっていく。だれでも、苦難や悩みが、ないわけではない。また、大きな壁(かべ)に、夢や希望が打ち砕(くだ)かれるような思いをすることもあるでしょう。けれど、その、どうしても解決しなかった悩みや問題を、解決していける力(ちから)が、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰にはあり、また、壁(かべ)のように思える夢や希望も、かなえていける、大きな大きな力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰には、ある!!ということです。だから、明るいんです。だから、希望があるんです。だから、清々しい笑顔が、できんるんです。創価学会は、希望と幸せのオアシスなんです!!また、現実に、人生と生命を、幸せにしていける、これ以上のオアシスは、ないでしょう!今日、紹介した婦人は、その希望と幸せのオアシスに魅了(みりょう)されて、創価学会に入ったんだと思う。そして、それが、創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会という、真実の幸せに向かって、まっすぐに進んでいける場所であり、また、その紙面が、聖教新聞には、あるということです・・。・・・・・・・・・・・・・つぶやき(紙芝居が始まるまえに)・・・・・・・・・・・・・