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テーマ:あの本、おぼえてる?(347)
カテゴリ:斜め読みの時間
記憶の女神は、ムネーモシュネー。
芸術をそれぞれ司る、ムーサイの母である。 ギリシャにおいて、記憶それ自体が神格化された。 生まれた神の名の羅列こそが、ロゴスである。 英雄の逸話も列挙され、そして人の記憶するところのものとなって、 ロゴスは機能しうる。 記憶は寿ぎであるばかりではない。 一度記憶されたからこそ、忘れ去ることへの不安が生じ、 つまりこれが、書物やら墓石に記そうとする人の動機ともなる。 忘却の女神は、レースモシュネー。 レーテーとは三途の川。この水を飲んで人は前世を忘れ、 生まれ変わるという。 レーテーは生と死の両岸を隔てながらそれを結びつけるもの、 境界である。 そして忘却の末に思い出すことの不幸。 冥府訪問の説話。 死んだ妻を忘れられず(記憶の呪縛)冥府に降りたはいいが、 「見るな」の禁を犯して(つまり、つい忘れて)遁走する。 浦島太郎説話の成り行きも、これに似ている。 記憶の幸不幸、忘却の幸不幸が絡み合って、 神話の登場人物の運命に、決定的な輪郭を与えるのだ。 神話の文脈の中で、両義性・両極性は「対極の一致」を示し、 記憶/忘却の関係は、生死に相似する。 両項は、相補的であり、可逆的である(←神話の理法)・・・ ・・・はて。 これは、いったい、なんのレジュメなんだろう? 自筆ながらすっかり忘却しているのだが、捨てる前にここに記しとこ。 これは、幸か、不幸か?(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 9, 2006 06:52:05 PM
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