今日は沖縄「慰霊の日」。
子どもが学校がお休みだったので、私も仕事を休み、一緒に過ごしました。
この特別な日を前に、私は戦争に関する特集や映画をいくつか観ました。
中でも心に強く残ったのが、「白梅学徒隊」に関する番組でした。
白梅学徒隊は、沖縄県立第二高等女学校の女子生徒たちで構成され、沖縄戦末期、野生病院に看護要員として動員されました。
彼女たちは15歳から17歳という年齢で、爆撃の音が鳴り響く豪の中、けが人の看護や手術の手伝い、時には亡くなった兵士の遺体処理など、過酷な任務を担わされました。
映画や特集では、その当時の映像や、生き延びた元学徒の証言も紹介されていました。
「怖かった」「行きたかった」「帰りたかった」
彼女たちが戦場せ抱いていたのは、決して英雄的な覚悟や自己犠牲の精神だけではなく、普通の女の子として当たり前の感情でした。
中には「笑顔でふるまわなければいけなかった。でも心の中では泣いていた」と語る方もいました。
彼女たちは、自ら戦地に志願したにではなく、軍や学校、社会全体の流れの中で「動員された」存在でした。
そしてその結果、46名のうち22名の生徒が命を落としました。
奇跡的に生き延びた元学徒が、戦後になってようやく、その記憶を語り始めたのです。
私は画面を見つめながら、何度も涙があふれました。
自分の子どもがそばにいる今、その命の重さや無念さが、より深く心に響きました。
戦争は、若く未来ある命を容赦なく奪うもの。
「お国のため」という言葉の影で、どれほど多くの個人の願いや幸せが踏みにじられてきたのか。
彼女たちの証言は、その現実を私たちに静かに突きつけてきます。
この「慰霊の日」に私は子どもとともに、過去の出来事に思いを馳せました。
今ここにある平和が、どれだけの多くの犠牲の上に成り立っているのかを忘れずにいたい。
そして、二度とこのような悲劇が繰り返されないよう、真実をしり、語り継いでいく責任が私たちにはあるのだと、改めて感じました。
– VOL26 – 「白梅之塔」糸満市真栄里の戦争遺跡 女子学徒「白梅学徒隊」が祀られている慰霊塔