2006/09/04(月)23:33
初めての「落語会」
突然ですが、土曜日に、行けなくなった親戚から回ってきたチケットで友人に落語会なるものに誘われました。千秋楽の土曜日は桂三枝さん。
皆さんならどうします?
私もいやぁ、しばらく電話口でリアクションできずにおりました。
それってすごく魅力的なこと?ラッキーなこと?それとも・・・。
映画3回~4回分相当のチケット料金がタダ。
「何でもものは経験よ!」との友人の一言で心を決め、半分いそいそと半分憂鬱な気分を抱えて出かけていきました。
だって、生まれて初めての生落語なんですもの。
そりゃあ、小さい頃はテレビをつければよくやってましたから、なんと無しに見てましたよ。落語ってそう遠いものとは感じないですし、漫才と同じで大衆演芸の1つって感じですよねぇ。でも、一緒に行く友人のご親戚方は、私からは遠ーい世界のセレブリティな方々ばっかりだし、ご贔屓にしていらっしゃる百貨店の上の新しいキレイなホールでやるみたいだし、時代は古いものに骨董的価値を与えるものだし、ちょっとした歌舞伎っぽい位置付けなのかなぁ?などと考えると何着ていくものかと悩んじゃいましたよ。
直前に、それを察した友人のお母様から、「普段着でいいのよ」とやさしいお言葉をいただきホッとした私でありました。
で、実際行ってみると、悩んでいたのが可笑しくなるくらいにそこはカジュアル。
私でも若さを誇示できるほどの年齢層の高い方々が多く、「あぁ、やっぱりそうよね」って感じですか。
三枝さんも、若い頃からテレビで見ていましたが、真近で見ると、本人も言ってましたが随分頭が心細くなっていて、年月を感じましたねぇ。
気の毒に、照明ライトのせいで地肌がピカピカ光輝いてる。
久ーしぶりに触れる落語は、なんとも気軽で可笑しくて、思わず笑い声が出る感じ。
さすがプロですよね。会場は終始笑いの絶えない状態でした。会場全体が一斉にドッとウケるあの痛快さは、そこに居るだけで心地良かったりしますよね。
でも、そこで1つ不安に感じたことが有りました。
例えば、子ども達に「エパミナンダス」という楽しいお話をストリーテリングする場合のこと。
低学年のお子さんは、ちょっと間抜けなエパミナンダスが、バターだらけになったり、子犬を水に浸けたり、パンをズルズル引きずったりするところで、その様子を頭の中で想像してドッとウケる。
でも、中高学年にもなると、犬やパンが登場しただけで、その先が想像できてドッとウケるんです。
同じお話しでも、子ども達によってこのウケるタイミングの違いがあります。
今まで、私はそういった点においては、何に対しても後者のように先に先に読める方だと自分に自信を持っていたのです。
が、その時はそうじゃなかったんです。
ドッと湧く笑いについていけない時が何回かあって・・・。それが面白くなくて笑えないというのではなく、まだその段階では何か分からず笑えないんです。
周りは年輩の人が殆どなのになぜ??? なぜ???
すごーくショックでした。何時に無くダラダラと長文を書き綴っていることからして、ショックの度合いがお分かりいただけるかと思います。
そういえば、脳を鍛えるゲームなるものが流行ってますものね。
私にも必要なんだわ、と痛切に感じた出来事でした。
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