家族全員無事です
久々の更新がこんな形で失礼いたします。11日におこった悲惨な経験・・・・私は長女の引っ越しの帰り、新幹線の中で被災しました。私が新幹線で移動中なのを知っていた次女から突然携帯が鳴り・・・慌ててデッキに移動途中で激しい衝撃で数度新幹線が宙に浮いて激しく揺れて急停止。私は立っていたので手すりに胸を強打。その後数分おきにおこる大きな余震に車内は悲鳴と泣き声。一昼夜停電した新幹線の中に閉じ込められ、ほとんど情報もないまま、水も食べ物もなく寒さに耐え・・・その後暗がりを懐中電灯のかすかなあかりだけで1キロほど線路を歩いて、さらに山道を歩いてバスに乗り栃木県の避難所に行きました。実はこの日・・・次女は仙台で被災。震源の近くで1人でした(・_・、)部屋はめちゃくちゃ・・・トイレは割れ、水が流れ出し、散乱するガラスの中で「このまま天井が落ちてきて私は死ぬのだ」と「死ぬなら即死がいい・・・」などと覚悟したそうです。この日は次女が今月初めに免許を取得した為、東京に引っ越した長女の車を主人が仙台まで陸送していました。主人は高速の上で被災。でも主人は「随分風が強いなあ。揺れるなあ~」という程度で地震だとはわからなかったと言います。ほどなくして高速を下ろされ、そこから一般道を一昼夜かけて次女のところに向かいました。次女は暗くなって友人と電話が繋がり一緒に避難所に移動したそうです。とにかくどこにも全く連絡が取れない。メールも電話もダメ。そして携帯の電池も残りがなくなり・・・・・東京の長女からの電話がやっと繋がったのは翌日の昼近く。誰とも連絡が取れず、母(実家)も全世帯停電だった為に安否もわからず。避難所では東京方面に移動する手段は時間が経てばあるけれど、北に行くことは・・・3日後か10日後か1ヶ月後かわからないとJRの発表に途方に暮れる(×_×)みんな生きてて!!!特に次女は・・・地震の時に電話をくれたけど私はそれに出てやることが出来なかったから・・・悔やまれてならない。長女との電話で「お母さん、みんな心配だけどお母さんも心配。避難所で何日も暮らいなら一度東京に戻っておいで」と何度も説得され・・・東京に戻ることにしました。栃木県の下野市の小金井という駅まで3時間かかってバス輸送してもらい、そこからやっと復旧した在来線で東京方面に向かいました。ほとんど止まっているかのようなノロノロ運転。結局電車を乗り継いで娘のマンションに着いた時には深夜でした。ただ・・・この日私の電車の移動中に長女がやっとパパと次女と連絡が取れたよ、と嬉しい報告。メールを見ながら涙が止まりませんでした。長女宅で2日・・・ニュースとネットにかじりついていました。計画停電情報にも翻弄されました(・・;)高速バスもダメ、新幹線はと~~~ぉぶんダメ、じゃあ一度札幌に飛んで岩手に戻る方法はどうか・・・とかいろいろ考えるけど、岩手の空港は閉鎖状態。そのうち羽田から秋田便は平常便に加え、臨時便も出ていることを知りました。今日私は昼の飛行機で秋田空港へ。主人は次女を私の車に乗せて秋田まできました。主人は秋田空港から伊丹へ・・・やっと戻りまして、私は主人が運転してきた車を運転して10日ぶりに自宅に帰りました。;´д`)ふぅ… ※私は長女の引っ越しの為6日から東京でした。自宅に到着して・・・愕然としました。壁には亀裂、歪んだサッシ、物置の窓ガラスは割れて神棚も仏壇も散乱(これは一部主人達が片付け)ガソリンスタンドには数キロの渋滞。でも売り切れの看板。コンビニはほとんどが閉っていました。これからが大変ですぅ。でも!!命が無事だったこと、本当に神様に感謝。子供達の友人には津波で家が流れた子達もいて、家族を亡くされた人もいます。どんなに無念だったことでしょう。石原知事が「天罰だ」と言ったとか・・・・怒りを通り越して涙が出ます。・・・とここまで書いたところで大きな地震が。余震か、大きかったねとテレビを見ると東海地方で大きな地震があったようですね。心からお見舞い申し上げます。そして被害が大きくないことを心からお祈りしています。