紀-6年の瀬も押し迫った頃から僕は、黒服仲間と競う様に一人の女を口説いていた。何でそんな事になったかというと、たわいもなく酔った時の冗談の様なもので、どちらが先に落とせるかというくだらないものが始まりだったのだけど、何時しか僕は彼女に惹かれ初めていた。まさしく自分でかけた罠に自らが落ちてしまったのだ。決定的なきっかけは、彼女が病気で寝込んだとき、彼女の枕元で昔紀にしたようにイヨカンを剥いてあげた事から彼女との中は急速に深まった。そして僕が彼女の部屋で過ごす事が多くなり、彼女は妊娠した。 「子供出来ちゃったみたい」突然の宣告に僕は戸惑っていた。けれど、主導権は自分には無いとも感じていた、 「君はどうしたいの」 彼女から、初めての時は暴行されて妊娠してしまい堕胎したいきさつを聞いていた僕は、彼女が望むなら籍を入れて子供を産んでも良いと思っていた。 「産みたい」 「じゃあ籍を入れよう」 彼女の選択は決まった、こうして二人の入籍は呆気なく決まった。僕は荷物を彼女の部屋に運び込み、自分のアパートへ帰るのは週に一二度あるかないか位に彼女の部屋での生活が始まった。二度と会うことは無いと思っていた紀からの電話はそんな頃にかかってきた。 「中野の部屋もう無いんだ」 「もう取り壊すから追い出されたんだ」 「そうなんだ」 「今何処に居るんだ」 「大きな通りの本屋の脇。だけど歌舞伎町の中じゃ無いよ」 「今行くから」 僕は店を飛び出して、彼女から聞いた場所へと走った。あの手紙から二年近く経ち彼女は変わったのだろうか、彼女に結婚の事を伝えなきゃ、子供の事もと考えている間に彼女の姿が見えてきた。 「よおっ」 僕の声に紀は微笑んだ。 「何かあったのか」 「うん、ちょっと」 「今日はどうするんだ。ホテルは決めたのか」 「ううん、別に決めてないよ」 「あのね、私結婚するんだ」 僕が口にするべき言葉だったはずの事を彼女は口にしていた。 「そうか、結婚するんだ。俺も結婚するんだ」 「えっ、誰と」 「誰ったって、おまえの知らない女だよ。おまえはあの男の子とか」 「うん。あの子と結婚するんだ来月」 「そうか、俺も来月結婚するんだ」 「じゃあ一緒だね。ちょっと目立つかな、お腹の中に彼の子がいるんだ」 「子供、出来たんだ」 「うん。予定日は十一月」 「実は俺も子供出来たんだ予定日は同じ十一月」 「そっか、一緒なんだ」 「ホテル取って無いんなら俺の所泊まるか」 「泊めて貰って良いの」 「駄目なんて言う訳無いだろ。今結婚する女と一緒に暮らしているんだけど、その部屋以外にも、俺が独りで住んでた部屋もまあるからおまえの良い方に泊まってけば良いよ」 彼女が身重で無かったら、以前のように何処かで待ち合わせで飲むのも良いとは思ったけれど、聞いてしまったからにはそんなわけにも行くまいと思った。 「彼女と一緒の部屋が良いな」 意外な言葉が返ってきた。これから僕が結婚する女とでは嫌だろうと思ったのだけど紀が選んだのはその部屋だった。僕は部屋で休んでいる彼女に紀を泊める事を伝え、タクシーで部屋まで送って行った。 僕が結婚をするじゅんは、泊める事にしたという僕の言葉に異論を挟む事もなくすんなり彼女を部屋に受け入れた。そして僕は部屋を後にし、何か引きずられるものを感じながら仕事に戻った。 僕が仕事を終え、部屋へ戻ったのは午前一時を過ぎていた。狭い部屋の中には布団が三つ川の字に敷かれていた。手足を洗い、寝間着に着替える僕に、 「予定日が一週間しか違わないんだって」 と大きな声で言うのが聞こえた。 「へえ、結婚式を挙げる時期も似てるなら、子供が産まれる頃も一緒なのか。 ところで、二人でどんな話をしていたの」 「子供の話がほとんどかな」 じゅんがそう言うと、 「不思議な気がするね」 と紀が言う。その間で僕は不思議な気分に浸っていた。しかし夜も遅い、翌日帰宅する紀の事も考えて僕らは眠る事にした。 「俺は何処で寝れば良いのかな」 「真ん中でしょ」 じゅんの当然という口振りに寝る場所は決まり、僕は電気を消して、 「おやすみ」 と告げた。そして彼女達も口々に、 「お休みなさい」 と告げていた。 電気を消してから十分位は経っていたろうか、僕の右隣に寝ていたじゅんが布団から這い出してやって来た。 「良いでしょ」 このじゅんの一言で、僕は彼女が一言も言わなかった、紀に対するジェラシーを感じた。僕が紀を泊めると言った言葉に反論もしなかったのでこだわりなんて持ってないかと思ったのだけど違っていたのだ。じゅんを抱きしめ、僕らは一つの布団で寝た。 けれど、もしも紀が一人で暮らしている僕の部屋が良いと言っていたなら、その晩僕が抱きしめて寝たのは、じゅんでは無く紀の方だったろう。 それぞれが、きっと何かを思い、何かを考えていたのだろう。翌朝皆が目が覚めたのは昼近くになってからだった。紀は慌てて着替えを始め、僕はじゅんに東京駅まで送って、そのまま仕事へ向かう事を告げた。 紀の着替えと化粧が終えるのを待って僕らは東京駅へと向かう事にした。 「じゃあ元気で」 「そっちも頑張ってね」 紀とじゅんが部屋の出口で挨拶を交わしている光景は何とも妙だった。 これで、彼女を東京駅まで送るのは何度目の事だろう。こうして送るのも、本当にこれが最後なんだなと感じた。駅には予定の時間よりだいぶ前に着き、何度もしたように彼女と一緒に昼食を取った。そして、紀の口から昨晩のじゅんとの会話の中身を聞いていた。紀はやはり僕が感じた様に、結婚式の事、子供の事、同じ時期に重なってしまう事に不思議なものを感じたようだ。何かが測ったように重なっている、しかし二人の道は別れ始めたのにだ。 僕は彼女を駅のホームへ送り、最後に抱きしめようとした。 「駄目よ」 こう答えると彼女はお腹をかばう仕草をした。 新幹線のドアが閉まり走り始めた。手を振る彼女は微笑んでいた。 半年後、僕の子供が産まれた。もっとも僕が子供の顔を見たのは生まれてから数日後の事だったけど。そして次に子供の顔を見たのは退院の時だった。病院から彼女と子供を彼女の実家まで送り、僕は一人の部屋へと帰って来た。 数日後、僕は京都に住む紀に電話をかけた。 「俺んとこは男の子だったよ」 「あら、私のところは女の子よ」 「俺のところが男でおまえのところが女なんておかしなもんだな」 「そうね」 「俺の子供と、おまえの子供が知り合う事があったらなんかすごいな」 「意外にあるかもね」 「まあ、そんな事より頑張れよ」 「そっちこそ、頑張ってね」 これが、彼女との最後の会話になった。その後一度も彼女と連絡はとっていない。 |