テロ
米国の事件の時は映画の広告にしちゃ手が込みすぎているな…と衛星中継を見ての感想だった。が、時間が少しずつ経過するにつれ緊迫度が増し、事件は映画の広告でも無ければ本当のテロだったのだ…。あの事件の時も日が経つにつれ不条理感を強く覚えるようになった物であったが、当事国としては仕方が無いと言う面もあるのかな?と感じていた。 が、今回は直接の当事国には違いは無いが、強い不条理感を覚えてしまう。テロは仕方が無いと言う言い方も有るようだが、今回のテロには大儀が本当に存在するのかどうかは僕には考えも付かない。 確かに米国主導のイラクの改革は良い面ばかりでは無いとは思うのだが、それでも、僕的には民衆の為にはなったのでは無いのか?と思っている。現に圧政からは解放されたのだからね。 しかし、圧政から解放されたはずが、何でまた戦争状態に好んで陥ってしまうのかはその国の今までの成り立ちとかが有るのだろうから何とも言えないが、どちらの側も民衆のためになっているとはとても思えず頭の中暗闇が蠢き始めるのを留めることは出来やしない。 国対国の戦いなら相手国を恨めば良いと思うが、国対宗教(思想)では対立の構図には頷けない物が多くなんだかな…と思ってしまう。そもそも宗教とは人を救う為に導くのでは無かったのか?。それが教えの解釈の仕方一つでこんなにも救いの無い戦いが続いているなんて…。国対国の戦いならどちらかが勝っても引き分けても終わりは来るが、事宗教を相手の戦いとなると落としどころは探しづらいだろう。 我が国に国対宗教の例が有ると思う。信長対一向宗だったかな?小さな例かも知れないが、戦いを止めるにはあれを真似るしか手は無いのではあるまいか?。もっとも、信長だから出来たと言えないこともなく、世界の主導者が同様のことをしたとしたらヒトラーの再来と言われてしまうかも…。 何かやりきれない思いで一杯になって取り留めのない事を考えてしまった…。 今日は…朝起きて公民館に行き用意したセットアップ用のFDから必要な物をインストールして出来るようになるのか?と考えたのだが、五年前と同様に無線は使うことが出来なかった。 仕方がないから週末のオークションで安価なハブを数台購入して来週末か再来週までには半分は有線で繋ぐことにしよう。てか、自分のお金なら果たして十数台のパソコンを無線で繋ぐなんて出費をしたかどうか甚だ疑問。最初の設定を任された人間が自分のお金で無く税金を使って…の事だからこういう無駄が出来たのだろう。しばしお茶をして退散。ラーメンと親子丼にて昼食としたのだが、最近昼食が多い所為か食が進んでしまいがちだ。 病院に移動しリハ>マッサージ>診察と受けた。投薬の薬が出るのを待っていると会計のところで、「損保ジャパンに交通事故の病院代打ち切りを言われたのだが保険診療に切り替えられるか?」と問い合わせている人が居たので、他人事では無かったので思わず聞き耳を立てて話を聞いていた。そういや、加害者側の保険会社からまだ何も連絡が無いのだがこのまま通うことに何も言ってこないのかな?。 そのまま帰路につき、途中親父に頼まれた合羽を買ったり夕食用の食材を買い求めて帰宅。パソを立ち上げメールチャックをしたりして、夕食のおかず作りを始めた今夜はムニエルもどき。だが、完成した時は若干焦げ気味に出来たが味はまあまあだった。