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カテゴリ:サンチャゴ巡礼2003
「で、君はなぜ巡礼をしているの? それがいちばんのビッグ・ホワイだよ」
歩き始めて5日目の夜のことです。フランス、カナダ、ドイツの巡礼者と6人で食事をしていたとき、そう聞かれました。クリスチャンでもないのに何百kmも歩くためわざわざ日本からやって来るのは不思議なのでしょう。全員がわたしの答えを待っていました。 「サンチャゴ巡礼の本を何冊か読んで興味を持ったんです」 巡礼の理由を問われるといつもそう答えていました。しかし本はあくまできっかけであり、巡礼を思い立った理由そのものではありません。なんでサンチャゴまで巡礼しようと思ったのか。明確には意識していないし、仮にわかっていたとしても英語で説明するのは困難です。本を理由にしたのは方便でした。 巡礼宿に泊まるには巡礼手帳を発行してもらう必要があります。申請のさいに「巡礼の理由」も書くのですが、それは次のような項目から選択することになっていました――宗教的理由、霊的理由、文化的理由、スポーツアクティビティーとして。 このような項目が用意されているところをみると、キリスト教の聖地への巡礼でありながらその理由は必ずしも宗教的なものばかりではないようです。ちなみにわたしは「霊的理由」に印をつけました。 一方、「巡礼に来てよかった!」と思うときが何度もありました。それは思いがけない親切を受けたとき、人の温かな心に触れたときなどです。サンチャゴ巡礼に興味を持つきっかけになった一冊にパウロ・コエーリョの『星の巡礼』という本があります。その本に次のようなくだりがありました。 「(巡礼者は)ほとんどの場合、土地の人がしゃべっていることばを理解できない。だからまわりにあるものに、普段よりもずっと大きな重要性を感じ始める。生きるためにはまわりのものに頼らなければならないからだ。困難な状況におちいったとき、助けてくれるのではないかと思って他人に近づこうとするようになる」 「そして、神が与えてくれるどんな恵みにも、そのエピソードを一生忘れることがないほどに大感激するのだ。同時に、すべてのものが目新しいために、そのものの美しさしか見ず、生きていることの幸せを感じる。だから宗教的な巡礼は、つねにさとりを得るための最も実際的な方法とされているのだ」 このとおりのことがわたしにも起こりました。たとえば――。 巡礼の初日、カストロヘリズという町に泊まりました。翌朝、出発しようとしたときのこと。巡礼宿の向かいにバルがあり、朝7時だというのにもう営業していました。出発前に身体を温めようとそこでコーヒーを飲みました。 お金を払ってさあ出発というとき、店の女性がにっこり笑いながら声をかけてくれました。「ブエン・カミーノ!」(よい巡礼を!)。そのひとことがどんなにうれしかったことか。まだ真っ暗ななか、心のなかにポッと明かりが灯ったように温かな気持ちになりました。 巡礼中はこうした出来事がいくつも重なって起こります。そのたびに気持ちが温かく、やさしくなり、「自分ももっと親切にしなきゃな」と考えるようになる。それが宗教的なさとりにつながるかどうかはわかりませんが、「ああ、スペインに来てよかったなあ、うれしいなあ」と幸せな気持ちにさせてくれたことはまちがいありません。 巡礼中に神秘体験や劇的な出来事があったわけではありません。けれどもことばもわからずたったひとりという状況ではこうした小さなエピソード一つひとつが心に残り、それを思い出すたびに胸が熱くなるのです。 こういう体験を求めて人は巡礼するのかもしれません。ささやかなことに幸せを感じ、小さな思いやりに感激するために。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年03月14日 14時45分19秒
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