塩尻から下諏訪まで
秋本番というか、既に初冬の気配すらする。とても寒い一日だった。九月の下旬であるのに山岳地帯では冠雪の可能性もあるという1日である。今週末は一泊して歩くつもりだったので、少し足を延ばして、洗馬から下諏訪まで歩くことにした。日程としては、1日目に塩尻駅に12時過ぎに到着し、そこから下諏訪まで歩く。鉄道で塩尻に戻り、宿泊。二日めは塩尻から洗馬まで鉄道で戻り、塩尻まで歩く。二日めは、ぶどう狩りと、平出遺跡見学をし、早めに帰還するため、距離は短くした。 さて、特急しなのであるが、朝方はほぼ満席の状態でありました。この時期は観光客も多いのでしょう。フリー切符は洗馬までなので、塩尻に行くには通常の乗車券にしました。たまには贅沢して特急に乗るのも悪くはない。塩尻駅からは少し南下して、平出の一里塚を目指す。この辺から中山道に合流する事となる。 平出の一里塚です。きれいに対で残っていますが、もう一つは民家の中に隠れています。 しばらく行くと、塩尻宿に至りますが、ほとんど昔の姿が見られません。〇〇跡という表示だけはわかりますが。 塩尻本陣跡 国の重要文化財の小野家 なんか痛んでいた感じでした前の道153号は車の往来が激しかったです。 武田信玄と松本林城主小笠原長時の戦いで信玄が勝利するのだが、小笠原軍の戦死者が放置されたのを哀れに思い、柿沢の村人が埋葬したとのこと。少し入った畑の中。塩尻峠の戦いがここであるという人もいるらしい。 この先左手に入っていくのが中山道の道だったのだが、間違えたらしく、20号線をそのまま諏訪方面に向かってしまった。それで、東山一里塚にめぐり合わなかったんだ。それに気づいたのが、20号線の塩尻峠に差し掛かり、諏訪湖への視界が一気に開けたからだ。それに、塩尻峠はスピード違反取締りの絶好の地なのかもしれない。 行き交う車がなぜかパッシングするので何かなと思っていたら、峠の手前で二点レーダーの感知器が仕掛けてあった、峠を越えると白バイ10台は配備された大掛かりな取締りをしていた。しかし、こんな自動車専用道のようなところでなく、細い旧道を突っ走る車を取り締まって欲しい。そこで、どれだけの子供たちの命が奪われてきた事だろう。この理由で警察に協力しようという気が起こらない。(歩道橋より)。 ここから中山道の正しい道に戻ることにした。国道から左手に入っていくと、やはり中山道に戻ることができた。そうすると中山道の塩尻峠にでた。それと、心配していた浮世絵ポイントを発見する事ができた。 雲が出ていて富士は見られないが、八ヶ岳は眺望できる。 この絵は、冬の景色ですね。富士も美しいですし、諏訪湖は人が渡れるぐらいしっかり凍っています。最近の二酸化炭素によるらしい温暖化ではこうはいかないでしょうね。 塩尻峠を越えると、急激に下り坂になる、そして、諏訪湖の高度にまでさがっていく感じだ。途中大石とか石船観音とかを通ります。その後長野自動車道の走る今井に着きますが、ここからどこが中山道なのかわからなくなりました。インターチェンジ付近だから,新たな道ができているようで、自信なさそうに歩いていたら、中山道の石碑が見えたのでほっとしました。少しずつ日が暮れていますので、下諏訪駅を足早に目指します。中仙道沿いには立派な家が多く見られます。下諏訪駅までの市街地では中山道がはっきりわかりませんでした。さらに、砥川もわかりませんでした、あたりはそろそろ薄暗くなってきていて、西高東低の気圧配置からの北風が寒く感じられ、あまり便数のない中央線でちょうどやってきた列車にそそくさと乗り、塩尻に戻りました。もうお腹ぺこぺこ、しかし、下諏訪の浮世絵ポイントはまったく不明でした。浮世絵では宿の中の様子が描かれているので、どこかわかりませんでした。今日は約32,000歩,歩きました。