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2017.05.26
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カテゴリ:F1
​ ​ここのところ延々と「一周回って」とゆー昔のミニチュアの買い直し企画をやってるわけだが、それはとりもなおさずフェラーリとマクラーレンのオンパレードってことにどーしてもなる。
フェラーリはPMAから版権が移ってからは駄作の連発だったし、マクラーレンはウエスト以降はともかくもマルボロロゴなしがデフォルトだったから当然と言えば当然。
まだ記事にあげてないものの多々あるんだが、少々飽きてもきた。
といって新作のミニチュアもリリースアナウンスばっかで実体なしだしなぁと思ってたところに、ようやく手にした久々のノットフェラーリ・ノットマクラーレン。


トゥルースケールミニチュアズ1/43 ティレル011フォード "1982年アメリカGP 優勝"
#3 ミケーレ・アルボレート

 前年後半(第9戦ドイツGP)にデビューしたティレル011。
殆ど82年シーズンをノースポンサーで過ごしたが、ラスト2戦でイタリア香水メーカーのスポンサードをうけ、ティレルブルー一色からスポンサーのICカラーであるグリーンへ変わる。
さらにラスベガスに向けてはアメリカ企業の単発スポンサーを得てこんな感じになるんだが、せっかくの大口スポンサーを翌年まで繋ぎ止められないところがティレルらしいちゃあらしいんだが。。。
 マシンはまるまるロータス79コピーの010からは正常進化?してんのか、ノーズが砲弾型っちゅーかかなりダルになっとる。
サイドポンツーンによるベンチュリ効率が向上しフロントウイングは未装着。
画像をググってみても殆どのサーキットでつけてない。
フロントウイングがサイドポンツーンに流れ込む空気を邪魔するという理屈だ。
それくらいに(ティレルみたいにB級チームでも)ウイングカーが完成の域に達したとゆーことは、ドライバーの環境が劣悪になったことを意味する。
サイドポンツーンと地面との隙間でダウンフォースを発生するウイングカーは、すなわち隙間の変化に弱い。
となれば、アクティブサスなど存在しない時代では姿勢制御にはサスペンションをガチガチにせざるを得ない。
その代償として、路面の振動はすべてダイレクトにドライバーに伝わることになり背中を痛めるドライバーもいた。
また、他車との接触やパーツの疲労破壊などでサイドポンツーンの密封性が崩れると、マシンは一気にダウンフォースを失い制御不能になるという危険性がある、その場合ウイングカーの基本的なマシンレイアウトである前寄りのドライバーシートによってドライバーが負傷する危険性も高まった。
他にもチーム間の政治的な問題もあり、この年限りでウイングカーは廃止になる。
 そのウイングカーのラストレースで初優勝を飾ったのがイタリア期待の星ミケーレ・アルボレート。
いにしえのアルベルト・アスカリ、ジョゼッペ・ファリーナの時代からのち、長いこと不遇の時代を過ごしてきたイタリアンドライバーがついに表舞台にのぼった。
同時代にはエリオ・デ・アンジェリスが先行していたが、デビュー2年目にしてお世辞にも戦闘力がトップクラスとはいえないティレルで勝ったこのイタリアンドライバーにイタリア人が寄せる期待は「ミケーレをフェラーリに!」
その願い通り2年後の1984年にフェラーリ入り。
翌85年はアラン・プロストとチャンピオン争いをするも後半失速してランク2位。
その後はフェラーリが低迷期に入りチャンピオン争いすることもなく、寵愛したエンツォ・フェラーリが亡くなるとチームは同僚ゲルハルト・ベルガーを中心に回り始め、セミオートマミッションの是非をめぐってジョン・バーナードと大立ち回りを演じてフェラーリを離脱する。
その後はティレル、フットワーク、ローラ、ミナルディとついぞ再浮上することなくF1人生に終止符を打つ。
最大の勲章はF1後の1997年ルマン制覇、だろうか。
ルマンではトップチームに所属し続けて5年間で表彰台に3回立った。
しかし2001年、アウディR8のテスト中にクラッシュ(タイヤバーストによる)し死亡。
享年44歳。
2000年代のアウディの強さを鑑みれば、敬愛するロニー・ピーターソンと同じ青地に黄色のヘルメットがあと5回くらいはサルテサーキットを鮮やかに舞ったかも知れんな。​





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Last updated  2021.07.29 21:39:41
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