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2017.11.04
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カテゴリ:BPR / FIA GT
​​ 一個前の記事がルマンのサードスープラだったもんだからの~ってゆー展開は誰もが予想したであろう今回は、再びのスープラである。つか、どっちかってーとこっちがメインだわな。



 GTレースがホントの意味でのGTレースだった時代の選手権として記憶される「BPRグローバルGTシリーズ(以下BPR)」
長く耐久レースの主役だったグループCの消滅をうけて、新たなスポーツカー耐久シリーズとして1994年に開始されたBPR。創始者3名の名前の頭文字、ユルゲン・バース(元レースドライバー)のB、パトリック・ペーター(イベント屋)のP、ステファン・ラテル(タニマチ)のRをとってBPRと名付けられたこのシリーズは、最低生産台数や空力パーツの制約を設けてワークスチームの突出を抑制しプライベーターが活躍できるように考慮し、市販車の影を色濃く残すマシンが鎬を削ることで人気を博していった。
 そのBPRの1995年シーズン最終戦である中国ラウンドにスポット参戦したトムスのスープラ。そもそもはマルボロ(フィリップモリス)側からトムスへのアプローチであり要は「車両貸してくんない?ドライバーはこっちで手配するからさぁ」ってことだったらしい。
トヨタ一本釣りだったのか日産・ホンダにフラれた結果なのかはわからんが、JGTCはとっくの10月アタマに終了してるし、ドライバーのギャラは向こう持ちだから別にいーんじゃないのと思ったかどうかは知らんが、とにもかくにも2台のスープラがマルボロカラーを纏って珠海(ズーハイ)市街地コースに姿をあらわすことになったわけだ。


モデルガレージロム特注スパーク1/43 トヨタ スープラ GT LM
1995年BPRズーハイ DNF
#36 J.J.レート / ヤニック・ダルマス

 画像の通り元々は95年のJGTCで関谷正徳/ミハエル・クルムが駆ったカストロールスープラ。今や絶滅危惧種のフェンダーミラーが面白いが、これもJGTCの時から。但しカストロール車はエブロおなじみの開幕戦(スズカGT300)仕様なのでまだドアミラー仕様だけど。ようつべの第3戦仙台ハイランドではフェンダーミラーが確認できるから変更時期は第2戦富士かハイランドのどっちかだろう。そしてBPR珠海では13番手スタートから14周したところでハンドリングが悪化したかパワステが壊れたかしてリタイア。予選時に前も後ろもかなりぐしゃっとなるくらいクラッシュしてるからその影響かも知れん。つかよく決勝までに修理できたなレベルだ。


モデルガレージロム特注スパーク1/43 トヨタ スープラ GT LM
1995年BPRズーハイ 11位
#37 フィリップ・アリオー / ピエール=アンリ・ラファネル

 37号車の大元は長坂尚樹が駆ったFETスープラ。こっちはほぼまんま状態でカラーリングだけ変更、みたいな感じ。こちらは11番手スタートで11位フィニッシュとゆー平々凡々なリザルト。
 レース自体は公道コースなもんで直角コーナー曲がれずにクラッシュ的なマシンが続出。そもスタート自体、パレードラップの最終コーナーでジタンブロンド(中国では金美女という)ポルシェがスピンクラッシュしてやり直し。



 リスタートはこんな感じで、PPの#60アンデルス・オロフソンのF40と3位スタートの僚機#61F40が序盤すっ飛ばしてワンツー編隊走行するんだが、デコボコに荒れた公道路面にサスが耐え切れずに全滅。
結局、#60号車F40と先陣争いしてるマッハワン(生力啤酒サンミゲル)のマクラーレンF1に続きウェスト(ダビドフ)、ジロワ(フランク・ミュラー)のマクラーレンF1が1-2-3フィニッシュ。
 でもってスープラは?ってえと、途中で燃えちゃったジャガー(しかも誰も消化しようともしない!さすが中国)みたいに派手なパフォーマンスするわけでもなく、マクラーレンに周回遅れにされたりコースアウトした時だけ映されるみたいな(笑)
 やっぱり当時は国産最高出力280ps(自主規制)とか謳ってみても、レースの世界じゃまったく通用しなかった、つーかそれは今でもダメじゃね?
 1995年時点では魅力ある市場だった中国での売り込み必死だったのかマルボロ(フィリップモリス)は翌年もズーハイに参戦する。今度はちゃんと勝てそうなマクラーレンF1に声を掛けて捲土重来3-4位フィニッシュするんだが、優勝はポルシェ911GT1、時はすでにワークスの威信をかけたワンオフマシン所謂「なんちゃってGT1」時代に突入し、BPRもFIA選手権に取り込まれて消滅する運命にあるとは誰ぞ知る、であった。





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Last updated  2022.07.23 22:25:09
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Re:本命登場(トヨタ スープラ GT LM)(11/04)   シゲジン さん
ども、お久しぶりです(^-^)/
マルボロカラーのマクラーレンF1とこのスープラは中国で開催されたBPRシリーズ出場車だったんですね〜

BPRは良いシリーズでしたね〜
自分は地味にロータスエスプリのファンでした(*^_^*) (2017.11.07 21:25:56)


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