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2018.03.25
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カテゴリ:F1
​ ​春のお彼岸真っ只中、スーパーで仏花買ってお寺へGO、である。
本来、お中日に開かれる念仏会にも出席してってえのが本筋なんだがあの雪ではねえ。。。
(とはいえ実際、熱心な檀家さんは結構出席して盛況だったそうだが(汗)
週の前半暖かくて、こりゃあ桜もチャチャっと咲いて入学シーズンにゃあ散っちまうだろうとか思ってたら、何だよ雪って。
3月に雪はねえだろと思って調べたら、最遅降雪日ってなんと4月17日なのねん、ビツクリ。
2010年のことらしいが、ようつべとか見たらしっかり降ってんだけど全然記憶ないんだよねえ。。。
まあ、年々記憶は薄れていくもんだが(苦笑)今回の気温の乱高下、無理の効きにくい年代にはまさに天国と地獄、ホント勘弁して欲しいわ、である。
とゆーふーにやや強引に「天国と地獄」を捻くり出したところで。



 手前は天国、奥は地獄。
ワールドチャンピオンなのに、翌年は表彰台たったの2回でランク5位に沈む。
ゼッケン1が泣いている、とゆーかウィリアムズに#1似合わね~(笑)


タメオ1/43 ウィリアムズFW19ルノー "1997年ブラジルGP 優勝" 
#3 ジャック・ビルヌーヴ  

 1996年にデイモン・ヒルが念願のワールドチャンピオンになったのに、フランク・ウィリアムズお得意の「ドライバーが勝てたのはあくまでマシンがいいからであって、なのにドライバーがチャンピオンを笠に着てサラリーアップなどもっての外の恥知らずである」との信念で、ヒルをおっぽり出したもんだからチャンピオンチームなのに1番つけない事件第3段。
実はヒルを切り捨てたにメインデザイナーだったエイドリアン・ニューウェイまで抜けて、97年は結構ガタガタだったり。
有体に言えばヒル(のセッティングデータ)とニューウェイの遺産でなんとか獲ったダブルタイトル。
ウィリアムズチームとビルヌーヴの開発力のなさは翌年露呈する。
安定のロスマンズカラーだがスポンサーはチョイチョイ変わってる。
ルノーといえばオイルはエルフが定番だがこの年からカストロールへチェンジ。
ノーズの赤い「ファルケ」はドイツの靴下メーカー。
しばしば変わったバージボードのスポンサー「ハイプ」はハードロックカフェ創設者が作ったエナジードリンクで、今のCEOは元ジョーダンのドライバー、ベルトラン・ガショー。


タメオ1/43 ウィリアムズFW20メカクローム "1998年オーストラリアGP 5位"
#1 ジャック・ビルヌーヴ

 地道にコツコツと坂を登ってテッペン取っても転げ落ちるのは一瞬とゆー世界がF1サーカス。
せっかくゼッケン1をつけたのに。
まぁプロダクツの優秀さに慢心して人間関係を疎かにすれば人材は瞬く間に去ってゆくとゆーのは別にF1に限ったことじゃないが。
 稀代のデザイナーと開発能力に長けたドライバーが抜けても、その遺産で喰っていけたのはたった一年だけ。
レギュレーション変更でその遺産は使えなくなり、新体制で一から作ったマシンはニューウェイスタンダードを引き摺った平々凡々な出来。
さらに新エンジン(BMW)獲得にも失敗して、ルノーの残骸を使わざるを得ずディフェンディングチャンピオンがランクトップの四分の一しかポイント取れない体たらく。
思えばこの年のこのマシンから後ずっとビルヌーヴは優勝に縁がなく、ビルヌーヴ=駄馬乗りの烙印を押したね(笑) 
 当時、何が驚いたってチャンピオンチームの体たらくとかよりも見慣れたロスマンズカラーからド派手なウィンフィールドへのカラーチェンジだろう。
ウィリアムズといえばダークカラーに白とゆー印象が強くて赤が似合わねーことこの上ない。
ウィンフィールドはオーストラリアの代表的煙草だがBAT系ブランド。
ロスマンズもそのころ自社からBATに買収されてるから、このブランド替えはロスマンズとの契約満了に伴いっつーんじゃなくBAT側の販売戦略に基づく変更だろう。
エンジンカバーのフェルティンスはドイツのビール会社。
タバコブランド+酒造メーカーはFW14(キャメル+ラバッツ)の夢よもう一度を狙った?
 結局ジャック・ビルヌーヴはこののち地獄のような茨の道を歩むことになるんだが、この人のとーちゃんも延々地獄だったな。

息子と違って駄馬をあてがわれてもそれなりに優勝を記録した父。
1979年、アヒルの子312T4で紳士的に頂点を譲り、さあ翌年こそと意気込んだのもつかの間、以降マトモに走るマシンについぞ出会うことがなかった地獄道。
駄馬を無理して走らせた結果の事故死のトラウマで息子が駄馬に鞭を入れることをしなかった、とゆーのは穿った見方か。
大分前に入庫した126CKだが、更新の遅さに埋もれちゃったもんで、ここで無理くり登場。


タメオ1/43 フェラーリ126CK "1981年アメリカ西GP DNF"
#27 ジル・ビルヌーヴ

 1981年開幕戦の126CK。
前年、312T5のあまりの出来にイタリアGPフリー走行にフライングデビューした126Cに、あってないような理論武装を施して1981年シーズンイン。
その理論武装がどんだけアテにならないかは、フロントウイングの取り付けとかサイドポンツーンの表面処理(主に排気)の変更を見てもわかるが、そも開幕フルー走行にゃターボじゃなくてスーパーチャージャー搭載型(126CX)まで持ち込んだことでも混乱ぶりがわかるってもんだ。
 ラジエーターエアが上方排気だったりサイドポンツーンエンドにフェアリングが追加装備されてたり、まさに走る実験室だけど、そこに命の保証がなかったりしてドライバーはたまったもんじゃないね。
サイドポンツーンの上方排気はそののち側面ちょうどフェラーリロゴ部にシャークダクトを開けることで対応してフラットな形状になる。
アメリカ開催を意識してサイドポンツーンにドでかくフェラーリ名が入って、コックピットウォールにイタリアントリコロールラインが入らないのも珍しい。

 さて、早いもので週末はF1開幕戦。
3年間何の実も結ばなかったマクラーレンとホンダは今年も地獄道なのか?
もう見ることになにも興味がわかないF1でそこだけが焦点(笑)​





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Last updated  2021.07.29 19:31:34
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