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Comments

2018.08.01
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カテゴリ:PCCJ
​​ ​イルヒイヅルヒ。
「入る陽出る陽」そーゆー言い方があるか知らんが、英語だったら「サンセット、サンライズ」
そーゆー人の特集。
細かいところを調べずに中古市場を漁って集めてみたらば、偶然にも面白く繋がってたんで(あくまで個人的に)


ディーラー特注スパーク1/43 ポルシェ 911 GT3 カップ "2012年PCCJ 総合6位"
#11 山路慎一

 2001年より始まったポルシェの世界規模ワンメイクレースの国別シリーズPCCJ(ポルシェカレラカップジャパン)
2012年にエクセレンスグループ(ポルシェセンター世田谷、銀座、目黒(当時))が立ち上げたエクセレンスモータースポーツの11号車。
ドライバーはレクサスIS350でスーパーGT300クラスにも参戦していた山野直也(今やkmマークでお馴染みの国際交通(株)の社長だよ)とRE雨宮RX-7などで活躍した山路慎一。
モデルはその山路車を再現(戦績は山野が上)
2011年限りでスーパーGTから引退した山路にとって開幕岡山ラウンドでの優勝が生涯最後の優勝となった。
あくまで2012年のPCCJ参戦車を探してたんでドライバーが誰かなんてことは気にもしてなかったんだが山路慎一だったとは。
山路慎一はある意味、勝手に恩人なのである。
 昔話なんだがね。
今はもうまったくなんだが、よく富士にレースを観に行った。
1コーナーの内側に陣取って1コーナーのブレーキングからサントリーコーナーに向かっての下り坂へのアプローチを楽しんでたんだが、98年5月は雨降りで濡れた路傍の草木をかき分け定位置に行くのもなんだからとストレートエンド外側の斜面、今のカーガイスタンドあたりで観るべってことになった。
 で、長々とディレイのあとスタートしたレースは、水煙の中GT300クラスがストレートで多重クラッシュして赤旗終了。
車体中央からちぎれたフェラーリF355がコースを挟んだ向こう側で炎上するのを間近で目撃することになった。
レスキューはストレート中央付近の最初の事故対応に動いており、炎上するフェラーリに向かう者は皆無だった。
一周して戻ってきたGT500勢も未だレース続行中であり素通りという状況下で、唯一雨宮マツキヨRX7のみがレースを捨てて停車、山路が消火に向かった。
おかげで目の前で人が焼け死ぬとゆー最悪のアクシデントを回避できた、というハナシ。


ディーラー特注スパーク1/43 ポルシェ 911 GT3 カップ "2013年PCCJ 総合優勝"
#12 小河諒

 チーム名こそブライトモータースポーツだが、運営は前年同様エクセレンス。
なんでエクセレンスから名称変更したのかは知らん。
白地に赤黒銀とゆーカラースキームはおんなじだが、こっちの方がなんとなくカッチョいいかなぁ。
13年全11戦中、接触リタイヤ及びマシン修復が間に合わず出走見送りとなった2戦を除いた9戦すべて表彰台フィニッシュ(優勝4回、2位3回、3位2回)で総合優勝に輝いたのは小河諒。
言わずと知れた、と言って何人がおお!あの!と思い当たるのだろうと考えると暗澹たる気分になるが、小河諒は小河等の二世である。
 和製プロストと呼ばれた小河等は、残念ながら92年5月鈴鹿の1コーナーで命を落とした。
当時はまだモタスポ全盛期で全日本レベルでも普通にテレビ生中継されていて、死亡事故がライブでお茶の間に流れることになった。
その後も94年セナや96年ジェフ・クロスノフのアクシデントをテレビで見ることになるんだが、当時はモンツァでロータスが逆さまになって火花を散らしながらコースを這いずろうが、富士でR91CPが宙を舞って屋根から落っこちようがドライバーは無傷だったし、どこかで死亡事故なんざ過去のものと思ってたから、その衝撃たるや、である。
まぁあくまで個人的に、だけどね(大手中央紙の扱いはぞんざいだったからな)
 本来は単純にPCCJ参加車両って括りで集めたミニチュアが、たまたまアクシデントって別の切り口でも語れる(無理くり話をつなげた感ありありだけど)のはなかなか珍しい。
そんでもって小河諒、今はスーパー耐久やってるが、いつかスーパーGTとかスーパーフォーミュラとか表舞台(S耐が裏とは言わんけど)に上がってきてもらいたいもんだ。
人脈的には何の問題もないだろうけど、年齢的な部分でいうとそろそろヤバイと思うんだが。​





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Last updated  2021.07.29 21:25:19
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