|
テーマ:ミニカー大好き(3234)
カテゴリ:F1
年が明けてからず~っと滞っていた新作ミニカー群が堰を切ったように流れ始めた感じ。記事のネタに困らないのは結構なことだが、逆に言えばお財布の中身が一気に減っていくということでもある。まだ引き取りに行ってない分も含めて月6台とかホント勘弁してほしいよね、などと来なきゃ来ないで文句ぶぅ垂れるくせに届き始めたら始めたで結局文句を言う(笑)
スパーク1/43 ブラバム BT60B ジャッド 1992年 イギリスGP 16位 #8 デイモン・ヒル 1962年設立の名門ブラバム最後の一台。だがマシンは資金難から前年型改良でかつワークスヤマハエンジンを失い、下にアンドレア・モーダがいてくれたからよかったものの戦闘力は最弱レベル。そして見ての通り史上最低のマシンカラーとしても記憶に残る。 ただ、ブルーにピンク系というコンビネーションは決してゲテモノじゃない(と思う)。今年のBWTアルピーヌもそうだが、この時代だってマネートロン・オニクスとゆー戦績はともかくもなかなか綺麗にブルーとピンクを処理した先達(↓)がいたのに、ブラバムの出来の悪さは一体どうした?きっとチーム存続が取り沙汰される中で、戦績に関係ないマーチャンダイジング関係者とか真っ先にリストラされちゃって、デザイナーがいなかったのかも知れない。 ~ブルーとピンクをお洒落に処理したマネートロン・オニクス ORE-1~ 創始者ジャック・ブラバム始め、ダン・ガーニー、デニス・ハルム、グラハム・ヒル、ロイテマンとパーチェの二人のカルロス、ニキ・ラウダ、ネルソン・ピケら綺羅星の如きドライバーが在籍し、3人のチャンピオンを輩出したレーシングチームはまたマルティーニ・エ・ロッシやパルマラット、オリベッティといったスポンサーにも恵まれ、パルマラットがついた80年代以降はたとえ冠スポンサーが変わっても冠スポンサーがつかなかったとしても白地に紺のスタイリッシュなツートンカラーを固持し続けた。事実1992年も前半戦はホワイト&ブルーだった。 ~シーズン序盤、ジョバンナ・アマティ駆るシックでスタイリッシュなBT60B~ この時点でマドラス(靴)やヤマゼン(扇風機)といった日本企業がスポンサードしているけれど、ローズレッドの面影はどこにもない。 ジョバンナ・アマティがバカ遅い上にシートマネーを払えずに解雇され、元々火の車だったブラバムの台所事情は待ったなしの状況に陥ったことは想像に難くない。そこでバブル景気で空前のモタスポブームだった日本の大手広告代理店が「エイド・ブラバム1992」と銘打ってスポンサーを募り、住友軽金属工業、八重洲無線、北辰物産が救いの手を差し伸べた。ほぼ沈没確定の泥船にすら資本投下できる、失敗したってまぁいいや、それも話のタネだよねが許される時代だったのだ。 そしてエイド・ブラバムの極めつけが「聖飢魔Ⅱ」。アマティと替わったドライバー「デイモン」ヒルと「デーモン」小暮閣下というおよそ日本人にしかわからないシャレでノーズの一等地にロゴが載り、ノーズセクションがローズレッドに塗られる。「エイド・ブラバム1992」のロゴ、マシンに貼られてるのは白一色だけどカラー版ではデーモン閣下の舌ベロがピンク色、からのノーズピンクなのかな? ~昔のR’on誌のブラバム特集号に載ってたエイドブラバムのカラーロゴ~ これよく見りゃ胴体?部分はブルーじゃん。つーことは冗談抜きでこのロゴのカラーリングをBT60Bに施したってことのか?30年経った今わかる最低カラーリング驚愕の事実(笑)? デイモン・ヒルとデーモン小暮閣下。「こういう奴をどうしたらいい?デスランドへ去れ!」の逆再生オープニングで有名な3作目。久々にCD引っ張り出して聞いてみた。 このキョーレツなカラーリングで歴史に爪痕を残すことになったBT60Bだけれど、本当の功績は後のワールドチャンピオン、デイモン・ヒルをグランプリにデビューさせたことなのかもしれない。 「あのどうしようもないブラバムで予選を通過したのなら、来年ウチのクルマ(FW15C)を任せても大丈夫かも」とフランク・ウィリアムズ卿は考えたかもね。 悪戦苦闘のゼッケン#8から栄光のゼッケン#1へ。 ヤマハに見捨てられて戦闘力を落としたブラバムとヤマハでチーム最高位を得たアロウズをドライブする巡り合わせの妙。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[F1] カテゴリの最新記事
|