2011/03/21(月)22:52
ピラリンピラリン(((((°°;)
先週金曜日、わたしはPCに向かってオシゴトしてまして、
あと少しで終わり、という時、
地震はきたのでした。
父ちゃんはさっき市営の銭湯に出かけたところで、
K兄ィは卒業式を火曜日に終え、
T坊は前の晩から調子が悪く学校を欠席していました。
もちろんこの家に住み始めてから最大の、最長の揺れで、
母子3人顔が引きつりまくりでした。
うちは崖の上なので、思わずみんな家から出てしまいましたが、
いつまでもおさまらぬ揺れの中、
「屋根の瓦が滑って降ってくることがあるから近づいたらダメ」とか
ウチの車がゆさゆさしていたので
「車の前後に立たないように」とか
コドモ達に指示していました。
T坊はそんなわたしを見て
「おかーさん、なんでそんなに冷静なのっ?!」なんて言ってましたが、
いやいや心臓バクバクでしたよ。
間もなく父ちゃんも帰って来ましたが(風呂には入れたそうで…)
それまで、車のサイドブレーキをかけたり、
ペットボトルや乾パン類のリュックを車に載せたり、
危なそうなモノを移動したりしていました。
全員分のヘルメットもそばに置き、
度重なる余震の中、家族4人でコーフンしながら夜を迎えました。
幸い電話以外のライフラインは全て正常でしたので、
不自由は何もなかったけれど、
最初の2日間、土日ということもあって、
ずーっとみんなで居間で過ごし、夜はざこ寝をしました。
テレビはつけっぱなし、最初の夜なんかしょっちゅう余震で、
(T坊以外は)みんなほとんど眠れてないし。
揺れもそうだけど、テレビラジオの「ピラリンピラリン」(緊急警報)には
そのたびに「ギョッ」としてみんな構えたもんです。
(今でも構えます。心拍数がガーッと上がる感じ。)
次第に余震は少なくなったけれど、
別の心配も(原発)発生し、気が抜けない日が続きます。
いったい日本はどうなっていくのかな…。
中学を卒業したK兄ィは、1週間関西に疎開中。
(米も手に入らないので「口減らし」とも言う。(爆))
送り出す時には、これが別れになったりして…とふと思ってしまった。(T-T)