万雑524_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_14)
万雑524_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_14)次は、大伴家持の伝未詳の娘子たちとの相聞歌です。娘子たちへ贈った歌と、娘子たちの歌も載せてみます。大伴家持が娘子の門に至って作った歌1首;700_「かくしてやなほや退らむ近からぬ道の間をなづみ参来て」※_「こうしてやはり帰ることになるのか、近くもない道のりを苦労して参上して」と歌っています。河内百枝娘子が家持に贈った歌2首;701_「はつはつに人を相見ていかにあらむいづれの日にかまた外に見む」※_「ちらっとあなたを見て、いついかなる日にか、またよそながらお目にかかることができるでしょうか」と歌っています。702_「ぬばたまのその夜の月夜今日までにわれは忘れず間なくし思へば」※_「(ぬばたまの)あの夜の月を今日まで私は忘れずにいます。ずっとあなたのことを思い続けていますので」と歌っています。巫部麻蘇娘子が家持に贈った歌2首;703_「わが背子を相見しその日今日までにわが衣手は乾る時もなし」※_「あなたにお逢いしたあの日以来今日まで、わたしの衣の袖は乾く間もありません」と歌っています。704_「たく縄の長き命を欲りしくは絶えずて人を見まく欲りこそ」※_「(たく縄の)長い命を欲したのは、絶えずあなたに逢いたいと欲すればこそです」と歌っています。「たく縄の」は栲(=こうぞの古名)で作った縄が長いので「長し」にかかる枕詞です。一首で二人の娘子を翻弄する家持は凄いですね!備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上