2016/05/30(月)18:21
午後の銀座とエッセイと配当。
競馬の魅力は、と問われて
端的な答えを出すことは難しい。
愛して来た馬も、思い入れの強いレースも、
人それぞれだからだ。
けれど競馬を楽しんだ時間が
心にどう残っているかを思い返すと、共有できる答えがひとつある、
思いでの織りなしだ。
競馬の話をすると、その頃の自分を
思い出すことがある。
あの頃を思い出すと、その時の
「あの馬が勝ち続けていた頃、私は確か実らない恋をしていた」
「あの馬が負けた日、私は故郷を離れる列車にゆられていた」
「あの馬が静かに引退した日、私は花嫁の父になった」
週末ごとの、競馬の記憶の、
それらは不思議と、人生の記憶と共に、紡がれている。
競馬と人生は、互いの思い出を呼びおこし合う。
そのひとだけの人生があるから、
その人だけの競馬があるのだ。
人は忘れられないものを、思い出と呼んで、
それは、美しかったり、悲しかったりする。
そして、それらを積み重ねてきたことを、人生と呼ぶなら、
思い出はすべて、どこか愛おしい。
週末、やがて、思い出になる競馬に、また出会う。
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(月)に場外馬券売場に行くときは、いいことがあったから。
マカヒキのおかげで、これました。素晴らしい詩に、共感しました。作者とお話ししたら、朝までできそうな感じがします。
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このダービーもハナ差でしたが、本当にはっきり残るハナ差の子供の頃のレースも覚えています。昭和48年、小学校4年生のときの菊花賞…ハイセイコーとタケホープの一騎打ちの時。結婚式にも来てくださった叔父が馬券を見せてくれました。
しばらくは見ているだけでしたが、大学に入学後、体育会馬術部の人になり、競馬場は部費稼ぎのアルバイトの場所になりました。中から外から競馬を関わることになりました。ミスターシービー、シンボリルドルフと三冠馬が続いた時代は完全にかぶっていてラッキーでした。
馬術部の合宿がときどきあり、滋賀県の栗東トレセンも行きました。
馬の手入れをしていたとき、競馬学校の生徒さんも手伝ってくれました。武豊さんがそこにいたのは後で知りました。
ある日、栗東トレセンに一人でアルバイトに行ったことありました。福永洋一さんという当時の天才ジョッキー。落馬負傷で再起不能となったかたが、リハビリで馬に乗る…その曳き馬をしてほしいと依頼受けました。
昨日のダービーにも出ていた福永騎手のお父さんのことですが、皆さん必死で頑張られていることを目の当たりにしました。
さっきの詩を読んで、そんな前のことを思い出してしまいました。
昭和60年前後の話を今さらしてもしょうがないのですが、感慨深くなりました。
払い戻しも無事に終わったので、美味しいものでも…と思っています。