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2008.04.15
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テーマ:国を憂いて(3493)
カテゴリ:憂国の嘆き
桂・タフト協定と聞いてもピンとこない方々もおられるだろう。
まずその説明から行いたいと思う。


1905年米陸軍長官タフト(後の第27代アメリカ大統領)が、フィリピン視察の途中、来日。
日本政府は米国の親日感を強めようと大歓迎をもって迎えたが、同時に桂首相兼外相は7月27日タフトと会談し、両者はつぎのような諒解に達する。

・フィリピンを米国のような親日的な国に統治してもらうことは日本にとっても利益であり、日本はフィリピンに対していかなる侵略的意図をも持たない

・極東の全般的平和の維持にとっては、日米英三国政府の相互諒解を達成することが、最善であり、事実上唯一の手段である

・米国は、日本が韓国に保護権を確立することが、日露戦争の論理的帰結であり、極東の平和に直接に貢献すると認める

これが、桂・タフト協定の中身である。

つまりフィリピンと韓国に対する両国の支配権の承認がとり交わされている。(1924年まで未公表)

ここでその後の日英米の動きは
明治38(1905)年
7月29日  桂タフト協定
6月10日  ポーツマス講和会議開催
8月12日  第二次日英同盟

ポーツマス条約及び日英同盟によりこの動きは完全に承認されたことといえるだろう。

米国ルーズベルト大統領もは7月31日、桂とタフト間の会談はあらゆる点においてまったく正しいこと、自分がタフトが語ったことすべてを確認したことを電文で送付している。

ここで重要なことは岡崎久彦氏が語るように「この時期の日本政府が、この桂・タフト協定と第二回日英同盟による植民地支配の相互承認を軸として、戦後の国際的地位を確保する構想であったことが示されている。
1905年7月の桂・タフト協定では宗主権の承認だけであるが、その後,T・ローズベルトは、「朝鮮は絶対に日本のものである。たしかに条約は朝鮮の独立を謳っているが、朝鮮自身が独立を保全できないものを他の国が助けるなど問題外である」と併合を支持している。

国際政治の基礎は力であり、国際関係は力の関係であるという冷厳な認識である。

我々の先人たちは少なくとも日露戦争終結期まではバランスオブパワー、パワーポリティックスを基に外交戦略を立てていたことは理解できるだろう。

現在の国際社会もこの時期とほとんど変わりなくパワーポリティックスの論理で動いている。(正義などは建前に過ぎない)隣国シナ、ロシア、米国を見ればそのことは明らかであろう。EUの設立もこの原理から、成り立っている。

私が、この桂・タフト協定を取り上げるのは、昨年シナを訪問した太平洋軍司令官に対してシナが「太平洋の二分論」をぶち上げている現実と対比して見て欲しいからである。

少なくとも6者協議等の米国・シナの半島を巡る支配権は協定がなされているかのような動きに受け取ることができる状況で、これらの動きが秘密裏に締結されていないとは誰も断言できないに違いない。何しろキッシンジャー、周恩来の会談で瓶の蓋(これがシナが考えている日米安保の意義であると今も私は考えている)として、シナは米国がわが国を支配下に置くことが望ましいと述べているからである。

すでにわが国を巡っては米国、シナとの間には暗黙の了解がなされていると考えても考えすぎであるとは思えないのではないだろうか。昨年の会談でその範囲をハワイ以西と以東に分割する案をシナが公にしているということは、わが国の支配権を米国の手からシナの手に引き渡せという要求に私は感じている。

ここで私が言う支配権とは軍事的側面のみではなく外交面に関しての独立性も含まれていると考えている。

桂・タフト協定に飽き足らず米国はその後

高平・ルート協定を、(米国国務長官エリフ・ルートと、日本の高平小五郎駐米大使の間で交渉)1908年(明治40年)11月30日に署名されている。

協定は、1908年11月時点における領土の現状を公式に認識するものである。

・清の独立及び領土保全、自由貿易及び商業上の機会均等
・アメリカによるハワイ王国併合とフィリピンに対する管理権の承認
・満州における日本の地位の承認

から成り立つ

また暗黙のうちに、アメリカは日本の韓国(大韓帝国)併合と、満州南部の支配を承認するものである。

私は、2005年10月2日の朝鮮日報に掲載されている

ヨルリン・ウリ党の金元雄(キム・ウォンウン)議員が、駐米大使館への国政監査で「米国が日本の朝鮮半島支配を認めた1905年の桂・タフト協定から不幸が始まった」とし、「国際法上、重大な犯罪行為であるこの協定について、米国に抗議して謝罪を要求しなければならない。韓米関係における過去の清算が必要だ」と述べた。

1905年、東京で締結された桂・タフト協定は、米国と日本が、日本の朝鮮半島支配と米国のフィリピン支配を双方が了解した合意だ。協定の当時、朝鮮半島はすでに日清戦争と日露戦争で相次いで勝利を収めた日本の影響圏の下にあった。協定について米国の責任を問わなければならない、という主張は、「米国は日本と戦争をしてでも、朝鮮半島に介入しなければならなかった」という意味も同然だ。この場合、帝国主義時代に植民地支配された国々は、侵略国だけではなく、影響圏を分かち合い殖民地支配を相互に認め合った他の列強に対しても過去の清算を要求しなければならない。国際社会の常識では理解に苦しむ論理だ。

政府与党の周辺では、桂・タフト協定を朝鮮半島の不幸の元凶とする声を耳にすることは珍しくない。南北分断ももとを辿ればその発端がこの協定にある、という主張も出ている。今年7月、金議員を含めた11人の議員は、米国と日本に対して桂・タフト協定の破棄と謝罪を促す決議案を国会に提出した。

こういった歴史観を持っている人々は、朝鮮半島の赤化統一を阻止するため朝鮮戦争に米国が参戦したことについても不満を持ち、それゆえマッカーサーの銅像を撤去しなければならない、と主張している。駐米大使館の国政監査が終わった後、他の議員は全員、朝鮮戦争参戦碑に参拜したが、金議員一人だけ欠席したことも、こういう認識を持っているためであろう。

米国が日本による朝鮮半島殖民地支配に目をつぶり積極的に介入しなかったことも過ちであり、米国が北朝鮮の南侵に目をつぶらず介入したことも過ちなら、それこそすべてが米国のせいだという主張だ。いかに国内で反米が“損をしないスローガン”であり、米国を“袋叩き”すれば拍手をもらえるご時世といえども、こういう主張をあからさまに行えば、国際社会が韓国という国にどのような視線を向けるのか1度考えて見る必要がある

この考え方を他山の石とすべきではない。わが国にも損をしないスローガンとして「反米」気運が盛り上がる土台は60年安保闘争から脈々と流れていることは、イラク戦争に対して正義を求める声や米兵の不法事件に対しての報道姿勢を見ても明らかなのではないだろうか。

我々が注視しなければならないのはルーズベルトが語っている「朝鮮自身が独立を保全できないものを他の国が助けるなど問題外である。」この朝鮮という文字を日本に置き換えてみることであろう。

我々の憲法が改正されないのも米国のせい、わが国の安全保障が脅かされているのも米国と行動をともにしているから米国のせい、と何でも米国のせいにすることを潔しとしない自立した国民の醸成こそが不可欠であると考る。もはや独立国としての自立がどうしても必要な時期に来ていると私は考えるのである。

憲法破棄ないしは改正できないのは、戦後60年以上も経過していることを考えれば、わが国が独立国としての矜持を示しえないことが原因であり、硬質憲法とはいえ不磨の大典ではないことを考えれば、我々国民の側にこそその原因があると考えねばならないだろうし、イラク戦争への参加はわが国民が小泉首相を支持し続けてきたことにこそ原因があるのである。(私は国賊小泉に対して大いなる不満があるものの、この参加決定は一定の評価をしている。だがイラク派兵の根拠法には武器使用基準の不備など反対の立場をとる)

もっとも米国内でも駐韓米国大使を務めたニューヨーク・コリア・ソサエティーのドナルド・グレッグ会長が、朝鮮半島の歴史的悲劇に対する米国の責任を一部認める発言もなされている。

「韓米親善の夜」で韓米友好賞を受賞したグレッグ会長は、あいさつを通じ、1973~1975年に中央情報局(CIA)職員として韓国に赴任した際、1950年以前に米国が韓国で行ったことについ初めて知ったと明らかにした。米国宣教師らの功績などもあったが、

1866年に通商を求め平壌を訪れた米国のジェネラル・シャーマン号が攻撃された事件
1871年の米艦隊による漢江河口の韓国要塞破壊事件
1905年の桂・タフト協定
1945年の米国による不注意な朝鮮半島分割などについてのことである。

その上で、「わたしは後になってこうした行為の持つ意味を知り、日本の韓国占領に道を開いた桂・タフト協定、朝鮮戦争につながった1945年の南北分断など、朝鮮半島の悲劇的な出来事に対し、米国が少なくとも部分的に責任があると強く考えるようになった」と述べた。こうした考えから、グレッグ会長は駐韓米国大使への就任を強く希望し、韓米交流機関であるコリア・ソサエティーでの責務を積極的に受け入れるようになったとしている。

このような動きは米国の極一部の考え方であり、わが国に対する認識も先の「従軍慰安婦」に対する非難決議などを通してみても明らかであろう。

桂・タフト協定は半島に住んでいる方々はほとんど知っていることである。しかし彼らはそれをわが国や米国に責任を転嫁して自らの精神の安定に努めているに過ぎない。わが国は彼らのような幼稚な思考ではなく、自己の確立を主に論理を組み立てていきたいではないか。

また今日も長くなってしまいました。読みづらい点も多々あったと思います。

明日は、また地理の勉強にお付き合い願えれば幸いなんですけどね。









Last updated  2008.04.15 12:40:06
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