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2008.04.26
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テーマ:国を憂いて(3492)
カテゴリ:憂国の嘆き
本日は、ブラジル移民たちの労苦を紹介したい。

初期のブラジル移民

1970年代に至るまで、日本から北米・南米大陸をはじめとする国々へと大規模な移住を促進する政策が存在していたことは、今日、多くの日本人によって忘れられつつある。明治期の近代化は、国内に人口増加率の急激な増加をもたらしていたが、1877年の西南戦争以後の経済の大きな混乱によって、地方農村が荒廃すると、人口問題と農村の危機の解決策として、自国民を他国に送出し、現地での就労によって、富を蓄積するよう奨励することを目的とした移民政策が実施されるようになった

1868年にハワイ王国への最初の移民が始まって以降、日本国内の移民会社は増大し、移民促進論が政治的課題として議論されることになった。しかし、北米を中心に東洋人に対する移民反対論が強まると、多くの人々は、南米を目指すようになる。その最大の受け入れ国は1888年の奴隷制の廃止によって、農業分野における労働力の不足に悩んでいたブラジルであった。

1908年に移民船「笠戸丸」でサンパウロのサントス港に到着した781名をはじめとして、1900年代前半には、多くの日本人がブラジルへと渡り、コーヒーなどを生産する農場の雇用農民として農業労働に従事した。ブラジル内陸地での労働は、収穫、収入の面で、政府の支援を受けた移民会社が国内で行っていた広告の謳い文句とは大きくかけ離れたものであり、数年間の貯蓄の後に日本への帰国を目指す「出稼ぎ」を行う予定だった多くの人々は食料、住居、医療面で過酷な状況におかれることになった。

1920年代に生じた一連の経済危機ーー米騒動(1918年)、関東大震災(1923年)、金融恐慌(1927年)、大恐慌(1929年)ーーは、日本国内の農村に大きな打撃を与えた。政府は、1925年から、移民の渡航費用を大きく支援し、大規模な移民を奨励した。1908年から1941年までの間に、18万8千人がブラジルへと移民しているが、1925年から1935年までの10年間の間だけでも、13万5千人がブラジルへと送出されている。この時期は、ブラジル日系人たちから「国策移民の時代」と呼ばれている。

新体制、太平洋戦争、「勝ち負け」抗争

ブラジルへ渡った日本移民たちの中には、1920年代から小作農から自作農になるものも現れ、1910年代以降には、サンパウロ市を中心として都市にも進出していく。しかし、1937年に国家主義者ジェトゥーリオ・ヴァルガス(Getúlio Vargas)が大統領に就任し、新体制(Estado Novo)を建設すると、日本語学校や日本語新聞の発行が禁止され、日系移民たちの共同体生活は大きく制限された。さらに1941年に日本国が連合国との戦争状態に入ると、ブラジル政府は日本国政府との国交を断絶、ブラジル国内では家庭外での日本語の使用が禁止されたほか、日本人所有の農場、商店、工場、銀行、病院などの一部が政府により接収された。日本国政府官憲がブラジル国内から撤退すると、日本移民たちは本国との連絡を失い、移民同士の間の情報交換も著しく圧迫された。

この時期の移民たちのおかれた特殊な状況と精神状態は、1945年以降、愛国団体である臣道聯盟の成員を中心として日本軍の戦勝を信じる「勝ち組」の人々と、日本の敗戦の認識を呼びかける「負け組」の間の分裂、及び一部の過激派による一連の暗殺事件の原因となった。

戦後移民と現在のブラジル日系社会

1950年代半ばより日本政府は、戦後の急激な人口過剰への対策を迫られ、その一環として、外務省移住局、日本海外協会連合を設立し、大規模な移民送り出し政策に乗り出した。その結果、1952年から1973年までの間に約6万人がブラジルへと移民することになった。ブラジルの日系移民コミュニティは、これらの移民の流れの中で新しい構成員を得ながら、発展していった。

「我々の祖先は、殆ど誰もがエンシャーダ(enchada 鍬)を手にした」と言われるように、ブラジルにおける日系移民の先駆者たちはそのほとんどが農民であったが、彼らの農業分野での活躍はめざましく、ブラジル経済への重要な貢献を行った。さらに、日系移民とその子孫が独自の労働倫理をもって政治、経済、学術、医療等の分野で顕著な活躍をするようになると、彼らはブラジル社会一般の敬意の対象となった。現在、約140万人にのぼると推定されるれる日系人口は、1億8千600万人(2008年)のブラジル人口においては、1%以下を占めるに過ぎないが、日系移民とその子孫のブラジルにおける存在感は特筆すべきものとなっている。ブラジルはラテンアメリカでもまれにみる親日国でもある。

デカセギ移住

1980年代半ば頃、ブラジル経済の不況にあえいだ日系移民1世や2世たちが就労目的での日本訪問を始めた。1990年に日本の「出入国管理及び難民認定法」の改正に伴って、3世までの海外日系人とその配偶者が「定住ビザ」を得られるようになると、日本での就労を行う移住者が激増した。この流れはかつて日本からブラジルへ渡った人々になぞらえて「デカセギ(dekassegui)」と呼ばれた。現在、日本国内には30万人以上のブラジル国籍者が居住しており、愛知県、静岡県、群馬県の工業地帯を中心に、ポルトガル語話者の集住地域が形成されている。ブラジル日系社会は、家族を中心としてこれらの移住者と強い結びつきを持っており、その子弟の教育支援等が大きな課題となっている

サンパウロ人文科学研究所HPより引用

http://www.100nen.com.br/ja/jinmonken/

これを読んでいただいてもわかるだろうが、明治維新の時代わが国の人口は4千万人ともいわれる程度であった。が、耕作面積は限られ、尚且つ現代ほどの農薬等に見られるような技術的進歩や品種改良がない時代である。いかなる食料状況であるのか飽食の時代にしか生きてこなかった私など想像することもできない。まあ現在の自給ですべての人口の口を賄う感じとでも想像すればよいのだろうか。それでも米だけは自給できるのだから、それ以下の生活をほとんどの国民が余儀なくされていたということなのだろう。

7000万国民を食わすことができずに満州へと領地を広げざるを得なかった時代をもって侵略はいけないだとか寝言のようなことを言われる方が今でも散見されるのだが、ではその当時ほとんどアジアに独立国は存在せず、欧米列強の植民地と化していた時代にどのようにすればよかったのだろうか。その時代背景も考慮せずにすべてわが国が悪事を犯したと言われるゆえんはないことをこのブラジル移民の通史を見ても多少はわかっていただけるのではないだろうか。

大東亜戦争の遠因も米国が移民の受け入れを拒否したことにある位の知識は持っていてしかるべきであろう。その上米の自給すらままならず、現在のベトナム(仏領インドシナ)からの輸入に他余らzるを得ないが、それらの地域が欧米の植民地であり、宗主国との話し合いによらなければ、輸入すらできない状況を我々は考え直してみるべきではないだろうか。(しかもインドなどでは綿花栽培を主とし、彼ら現地民族には主食もままならないのにである。

現在の政府よろしく美辞麗句を信じてブラジルの地を踏んだ方々の失望は想像に難くない。同様のことが30年~40年前「地上の楽園」と呼ばれた北朝鮮への「帰国事業」の名の下に現在でも苦労しておられる同胞の方々もおられる。(その責任の第一は朝日新聞にあり次いで日本共産党、日本政府にあると私は考えている)

確かに人減らしが必要な時代であったことを否定しないが、現在わが国土に住まう国民は彼らの労苦を偲ぶ必要くらいはあるであろう。またその余裕がなければならないはずである。勿論自己責任という面もなくはない。と言っても騙された者が全て悪いと言う社会は異常ではないのか。政府をまったく信用しないと言うことはアナーキズム(無政府主義)の世界であり、これまたどこにも誰にも責任がないという社会であることを多くの国民は知るべきである。

全ての国々は過去において現在でも過ちは犯しているのである。それらを全てその時代のせいにして現在の我々と分離すると言うことが、国旗・国歌の変更と言う考え方に結びつく。すなわち過去を全て直視しないばかりではなく未来においても責任を持たない者たちの思想である。我々は過去の過ちに対して直視し、反省すべきものも全て背負い込む覚悟を持たなければならないのではないだろうか。









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Last updated  2008.04.26 16:17:28
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