つれづれなるままに

2017/09/28(木)12:21

二本目 独国はどこへ向かう???

憂国の嘆き(5676)

24日開票が行われた独総選挙。 メルケル首相率いるキリスト教民主・社会同盟が前回より得票率で約8ポイント、議席にして65減らしたものの第一党を確保した。 独政界に起きつつある地殻変動の動きと私は見る。 党勢が著しく低下しつつあるこれまで連立を組んでいた社会民主党(社民党)は、今後の連立を拒否し、独自路線を歩むつもりのようである。(その姿はまだ分からない)結果として、メルケル首相は、政権を担い続けるためには複数政党との連立を余儀なくされる。 自由民主党(自民党)と緑の党との三党連立内閣を目指すと見られているが、自民党と緑の党との政策に違いは大きく、これらに引きずられ、その舵取りを誤れば、一気に少数与党となり、メルケル内閣は瓦解しかねない情勢である。 ここで、少し解説しておく必要があるのは緑の党についてである。緑の党と言えば左派政党であることに間違いはないが、我々が考えているような政党ではなく、我が国における民主党や共産党などとは異なり、政権の一角を担える政党と位置付けられている。 それはNATO域外への派兵についての議論が沸き起こった際、当時の党首フィッシャーは以下のよう7な演説をした。 「理性によって問題を解決する暴力なき世界。人の命を救う唯一の手段としての軍事力。今我々はこの相反する価値の間を揺れ動き呪うべきディレンマに直面しています。非暴力を志向しつつ、同時に人命に救いの手を差し伸べる義務にも忠実でありたい。これが私たちの決断に潜む矛盾なのです。」 結果として緑の党は、自主投票とし、独国のNATO域外への派兵はなされたのである。 彼らは、安全保障上の「壁」を打ち破っているのである。 このことを理解しておかなければ「緑の党」との連立と聞いて、左傾化が進むだけという誤解が生じることとなる。 このあたりの認識を、我が国も今回の総選挙を通じて壁を乗り越えてもらいたいものだと思う。 したがって、急速に左傾化するとの懸念は持たずとも好い。 ただ、ユンケル欧州委員長がメルケル勝利に対する祝辞の中で「世界的な挑戦の中、欧州には今以上に強い独政府が必要だ。」と期待感を滲ませたが、これに対しては満額回答はおろか、これまでよりもEUとの間に距離が生じる可能性が高い。 独国民は、ヒトラーの悪夢からであろう、「欧州におけるイニシアチヴ」に関しては、極めて慎重なのである。 「ドイツのための選択肢」という政党が、ゼロから94議席を獲得し、第三党となり、無視しえない勢力となったことも含めて、独国が欧州のイニシアチヴを取りに行く可能性は極めて低いものと思う。 「EU重視」とはいえ、かなりの温度差は見ておかねばならないだろう。 独国民はコール元首相などが唱えた、独国の未来は統合EUにあるという路線は継承する意思を示したものの、独国が率いるEUには否定的である。とんも姿勢を示したものと私は感じるのである。 EU全体の期待感と独国の空気これにより、EU地域からの失望感が小知るだろうと私は思う。となれば、EUの先行きについては不透明感が増したもの。と言わざるを得ない。 この独国総選挙について、朝日新聞、産経新聞の社説を見比べてみたい。どうも「欧州」「独国」に関し我が国報道は先入観が強すぎるものと思う。実態と乖離した理想像としての「独国」を眺めているようにしか見えない。 東西独国の統一は、すべての独国民が今でも歓迎している。そう見るのも誤解である。 (社説)メルケル首相 欧州統合の推進堅持を 2017年9月27日05時00分  「自国第一」を叫ぶ政党が、ついにドイツでも躍進した。  24日の総選挙で、新興の右翼政党「ドイツのための選択肢」が、初めて国政の壁を破った。しかも、旧来の2大政党に次ぐ第3の勢力になった。  反難民・反イスラムを掲げ、大衆の不満をあおる。その手法は、フランスやオランダなどのポピュリズム勢力と同じだ。  欧州に蔓延(まんえん)する自国主義を戒めてきた大国ドイツが、足元の政治異変に揺れている。  欧州連合(EU)加盟国で最長の4期目に臨むメルケル首相は、正念場を迎える。欧州統合の流れを守り、自由・人権の原則を掲げる旗手としての存在感を保つよう望みたい。  今回の選挙結果には、さまざまな要因がある。この2年間で100万人超の難民申請者を受け入れた人道的措置が、国内に不満を生んだのは確かだ。  格差への反発もある。ドイツ経済は欧州で一人勝ちといわれるほど好調だが、特に旧東独圏が置き去りにされていた。  政党との距離感や経済格差が既成政治への不信を広げ、大衆扇動の声が勢いづく。先進国に共通するあしき潮流が、ドイツにも表れたと言えよう。  懸念されるのは、一つの欧州をめざす理念の揺らぎだ。英国はEUからの離脱を決め、東欧諸国も難民問題に揺れる。ここでドイツとフランスまでも自国の利益を囲い込む考え方を強めれば、統合深化は失速する。  そんな事態に陥らぬよう、メルケル氏は、まず新たな連立政権づくりに向けて、原則を見失わずにいてもらいたい。  連立交渉の相手は、富裕層が支持する中道右派から、環境保護の中道左派まで幅広い。欧州全体の浮揚こそがドイツの長期的な国益にかなうという大局観を粘り強く説くべきだろう。  ギリシャなどユーロ圏内の弱者をドイツ経済の強さですくいあげる努力が求められている。現実的な合意形成を築くメルケル氏の能力を生かし、マクロン仏大統領とも協力しながら、民主主義と多様性を重んじるEUの価値観を堅持してほしい。  これまで世界を牽引(けんいん)してきた米国の信頼性が揺らぐ時代でもある。EUに限らず、地球温暖化をめぐるパリ協定など地球規模の問題についても、メルケル氏への期待は高い。  日本にとってドイツは価値観を共有するパートナーである。同じ貿易大国でもあり、日本とEUの経済連携協定(EPA)の最終合意を急ぎたい。それが自由貿易の原則を守る姿勢を世界に示すことにもなろう。 以上朝日新聞デジタルより太字部等編集し引用 「既成政党への不信感から大衆煽動の声が勢いづく」 朝日新聞の理解は正しい。 その理解の上に立てば、現在の我が国における政党の動きにも「要警戒」というよりも、警鐘を乱打すべきときであろう。ところが朝日新聞は「安倍総理以外なら」「すべての悪は安倍総理」という誤った思考から、この大衆煽動の動きにストップをかけるどころか助長する動きをしているように私には見える。 勿論我が国における「野望の党」とは異なり、「ドイツのための選択肢」は地道な政治活動とともに、いくつかの地方選挙などの洗礼をも浴びているのである。 「一瞬だけの風」ではない。 ここにはグローバリズムという誤った政策からの揺り戻しという「正義」がある。私は排外的思考は排除すべきものと思うが、「寛容」とは相手の言い分を受け入れることにありとすれば、これまで培ってきた社会は崩壊する。これに異を唱えるのは当然であろう。 我が国の「野望の党」との違いは、野望の党には「健全なナショナリズム」が見えずに、「無国籍」であるようにしか見えない。つまりはグローバリズムをわが国において推し進める政党とみなしてよいだろう。 続いて産経新聞は、本日付で社説を記した。(これを待っていたために、私のブログ更新も本日付となったのだが。。) 2017.9.28 05:02更新 【主張】 メルケル独政権 「欧州の要」引き続き担え  ドイツの連邦議会選挙でキリスト教民主・社会同盟が第一党を維持し、メルケル首相は4選を確実とした。  だが、議席数を大幅に減らし、連立交渉は難航が予想される。  欧州は近年、債務危機や大量の難民流入、相次ぐテロ、英国の欧州連合(EU)離脱といった試練に見舞われた。  大国ドイツは問題解決への指導力を求められ、メルケル氏は12年間、舵(かじ)取りを担ってきた。引き続き、欧州のリーダーとしての役割を期待したい。  それには、手足を縛られない連立政権作りを円滑に進めることが求められよう。  選挙では、排外的主張が問題視される新興右派政党「ドイツのための選択肢」が支持を広げ、第三会派に躍り出た。メルケル政権が進めた難民受け入れを批判し、既成政党への不満の受け皿となったかたちだ。  不安を伴う結果であることは否めない。EU統合強化に向けて、楽観は許されない状況であるともいえよう。  欧州は各国で、自国第一・反EUを唱える大衆迎合主義(ポピュリズム)的な政治勢力が台頭し、一時はEU自体が崩壊の危機にあるとの認識も広がった。  だが、フランス大統領選では、EU重視のマクロン氏がEU離脱を問う国民投票実施を公約に掲げた極右「国民戦線」のルペン氏を大差で退け、世界は安堵(あんど)した。  大統領に就任したマクロン氏が真っ先に行ったのが、メルケル氏との間でのEU統合強化に向けた独仏連携の確認である。  独仏は欧州統合を牽引(けんいん)する両輪と位置付けられる。大衆迎合主義や、移民・イスラムをめぐる排外的主張に流されない安定したEUの実現を主導してほしい。  日本とドイツは自由や民主主義、法の支配などの普遍的価値観を共有する。ドイツとEUの安定は日本の国益にも資する。  他国の領土を侵したロシア、強引な海洋進出を続ける中国に対抗していく上で、協調すべきパートナーといえる。  北朝鮮の核・ミサイル開発阻止、拉致問題解決に向けても連携を強めるべきだ。  自由貿易を重視する貿易大国という立場を同じくしている点からも、日・EUの経済連携協定(EPA)の最終合意を急ぎたい。 以上産経ニュースより太字部編集し引用 残念ながら独国には龍の尻尾しか見えていない。 同様我が国では熊の尻尾しか見えていない こう評されていることを忘れてはならない。 我が国は先の大戦前でも独国とシナとの関係に悩まされた。シナの後ろ盾となっていた一面があったことを忘れてはならない。 我々は、もっと独国を「素顔の独国」としてみなければならない。 品との関係において言うならば、我が国は独国に対してシナの真の顔について説明するとともに、警戒感こそ共有しなければならないのである。いやもっといえば、シナに対して強硬姿勢を取るように求めなければならないのである。 ところが、メルケル首相は習主席の顔色を伺い、独国経済のことだけしか考えていないような姿勢を改めてはいない。独国が「独国経済第一主義」になっているのは明らかである。 勿論、これは各国とも、そのようなものである。何しろ国際社会とは独立主権国家同士の生き残りをかけた線上であるのだから。 我が国にこの冷徹な国際社会というものへの認識を求めたいものである。 かつて仏国リシュリューは 「国家間の問題では、力を持つものこそ正義なのである。弱者は悪だと指弾されないよう振舞うのが精一杯だ」と語った。わが国では暴言と受け止められるであろうが、これは国際社会の一側面を語る今なお真理なのである。 独国もまた我が国を知らない。 また何か白人至上主義の腐臭を漂わせながら、我が国に対して誤解からでしかない説教を垂れようとする。 私は国際協調は必要であるとは思うが、そこには当然「寛容の度合い」というものが伝統文化に即してあるのである。独国の成り立ちと我が国の成り立ちは異なる。わが国と独国の先の大戦における負け方も異なる。何においてもわが国にはヒトラーのような犯罪者を生んではいないのである。 違いを認識するからこそ「協調」は必要となる。統合や同じ価値観ではない。異なるからこそ「協調」が必要なのである。 文責 上田 和哉

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