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「外交」も「戦争」もその目的は「他国を変える」(できれば自らの好ましいように)ことにある。
残念ながら戦後日本は、そのことを「忘れよう」としてきた。勿論、その陰には外国勢力の動きがあるが、それはバック出会って、主体的に日本人はそうしてきたのである。 その結果が、現状の我が国周辺環境であり、主権(領土・国民・歴史解釈権)の侵害が現在進行形であり、さらに侵害を試みる国家が存在する事態なのである。 「現状」というものはそれぞれの国の「努力」の結果であり、バランスなのである。 わが国でいえば、もはや「戦争状態」に近い尖閣諸島の現状を考えてもらえばわかるだろう。 北朝鮮の脅威はなくなったのに…韓国メディアが日本の“二律背反的な態度”を警戒 Record China / 2018年7月4日 21時10分 2018年7月3日、韓国・京郷新聞は、日本がミサイル防衛(MD)システム強化のために導入を推進している陸上型イージスシステム(イージス・アショア)として、朝鮮半島全域が監視可能な最新型レーダーを配備することを伝えた。 記事によると、防衛省はイージス・アショアに米ロッキード・マーチン社の最新鋭レーダー「LMSSR」を搭載する方針を固めた。LMSSRは検出距離が1000キロをはるかに超えるレーダーで、海上自衛隊のイージス艦に搭載したレーダー「SPY1」より探知距離が2倍以上長い。LMSSRが搭載されると、イージス・アショア配備予定地の秋田県と山口県の2基で、朝鮮半島全域を監視できるようになる。 日本政府は北朝鮮の核・ミサイルの脅威などを理由に、昨年12月にイージス・アショア2基の導入を決定。しかし今年に入り、朝鮮半島をめぐる安保状況が変わった。先月12日の米朝首脳会談で、朝鮮半島の「完全な非核化」の合意がなされ、米国のドナルド・トランプ大統領は記者会見で「金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が弾道ミサイル関連の実験場の破壊を約束した」と述べた。また、米韓合同軍事訓練の中止も決定された。 菅義偉官房長官も先月22日、「日本にいつミサイルが飛んでくるか分からない状況は明らかに消えた」とし、北朝鮮のミサイル発射に備え実施してきた避難訓練を中止すると発表。一方で日本政府は、北朝鮮による具体的な非核化措置が取られておらず、中国によるミサイルの脅威が増えているという理由から、イージス・アショアの配備を計画通りに進めている。小野寺五典防衛相は配備予定地の住民説明会で、「北朝鮮には日本を射程距離に置くミサイルがまだ多数存在している。なるべく迅速に対応する必要がある」と配備の意思を明らかにした。 記事は「このような二律背反的な態度に、今まで北朝鮮脅威論を口実に軍事力を強化してきた日本の本音が表れている」と指摘している。記事は「日本はこれまで北朝鮮脅威論を国内政治に利用してきた。特に、国防力の強化と『戦争可能な国』に向けた平和憲法改正が必要な根拠として、北朝鮮脅威論を積極的に打ち出した」と主張。さらに「しかし今年に入り、朝鮮半島情勢が和解の流れに傾き、北朝鮮脅威論という便利な政治ツールが揺れている状況」とし、「北朝鮮の弾道ミサイルを想定して、2000年代前半から日米韓3カ国が整備を進めてきたMD網自体が大きな変曲点を迎えているとの指摘もある」と伝えている。 この報道を受け、韓国のネットユーザーからは「日本は戦争に備えている」「侵略的本能だな」「侵略の準備だろう」「日本が軍事大国化する。日本を警戒すべき」など、日本を警戒する声が寄せられている。 また「日本は北朝鮮脅威論を口実に中国・ロシアの脅威に備えているのに、韓国政府は何もできず情けない」と、自国政府への不甲斐なさを訴える声も見られた。(翻訳・編集/三田) 以上引用 私は冒頭「相手を変えさせること」が外交・戦争の目的である。このように示したが、その中で、最も地層的な形は「相手が勝手に変わってくれること」である。交渉などによって「変化させられる」という事態も「最良」ではない。 そう考えれば、「戦争」というものは稚拙な方法である。ことも理解できよう。 しかし、個人においても、国家においても「戦わなければならない時」というものはあり、それを回避することは「最悪」の事態を招きかねない。なぜなら「なぜ戦わなかったのか?」という声によって「国家が分断状況」に至るからであり、「分断して統治」するのが政治において最良の手法とみなされるからである。 国家の防衛に関して「国論を二分させる」という事態は好ましくないのである。 北朝鮮に関して言えば 米朝首脳会談の前後に「我が国の脅威となる核・ミサイル」を放棄する動きがあったのか? 拉致という「主権侵害状況」に関して北朝鮮はそれを解消する動きに出ているのか? (主権侵害と書いたが、これは現憲法が想定していない「戦争」ということである。 これに反論する方はぜひ拉致被害者、そのご家族に「現憲法のおかげで我が国は平和だったね」と声をかけてみればよい。) 答えはともに「ノー」である。 敵国が何らの具体的措置を取ってもいないのに、我が国が現状の脅威に備える動きを見せることは当然なのである。 我が国が「目覚め」「主権国家としてふさわしい国家」としてふるまうことを「恐れている」くにが韓シナ・韓国である。 そのようにならないために、我が国が「軍事」というベクトルを持たないことを維持させたい。日本国民にそう思わせておきたい。 これが、プロパガンダであり、そこに国家の意思がある。 こう見ておかなければならない。 しかしそのようなプロパガンダに煽動されるかどうかは、日本国民によって決まるのである。 文責 上田 和哉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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