つれづれなるままに

2018/08/29(水)12:30

日本の戦略を語れ

憂国の嘆き(5676)

米国の相対的「力」の減衰、米国社会における深刻な「分断」 超大国米国の変化により、国際秩序、国際社会は、「変動」しつつある。 (もっともこれらは、予想されていたことであるが、それを多くの方々は「現実」としてではなく、もっと先の話としていただけであろうが。。) このような変化の中でも、米国は超大国ではなくなっても大国として生き残っていくだろうが、我が国は 「日本としてどう生き残っていくのか?」 「日本は大国として生き残っていくべきなのか?」 が問われている。 あくまで国際社会は大国の生存競争の中にあるのである。 我が国は、敗戦後、冷戦構図の中で「西側陣営」として経済大国の地位を得ていったのだが、それは自主的というよりも「選択肢のない」ものであった。)東側陣営。つまりは共産主義陣営に属するなどという選択肢があったかのように主張し、自らが選んだ道だという方もおられようが、左翼かぶれの戯言でしかない。) つまり、敗戦後、我が国は、自分の問題として、「どのように生き残っていくのか」を考えなければならないのである。 にもかかわらず、実質上「総理」を決める自民党総裁選挙で、「外交」が話題とならないのは、残念でならない。 (私は、今厳しい状況だから「初めまして」の総理では困る。という意見には、賛成しかねる。何しろ、あと三年後には必ず「初めまして」の総理が誕生するのである。この変化は、三年後には鎮静化し、これまで通りの安定した秩序が構築されている。などとは私は考えにくいのである。であるから、「はじめましてでは困る」というだけでは、安倍総理を支持できない。) 私は、安倍総理が、民主党政権時代、「外交」を真剣に考えてこなかった(理想に理想を重ねる妄想でしかなく、我が国はこれ以上何もせず、米国こそが譲歩すべきとして日米同盟に遠心力を働かせてしまった時点から、トランプ大統領に信頼を寄せられる少ない外国指導者の一人となっている現実は、高く評価する。 積極的平和主義の主著によって、海外から信頼を勝ち取り、TPP11、日欧EPAの締結など、経済・貿易分野で、我が国の地位向上に貢献したことにも一定の評価を与えるものである。 しかし、「安倍総理以外に人はいない」(これは改憲に関しても同じであるが)というのは、「安部総理さえ外せば」「あるいは三年待てば」敵視する人々にとっては、しゃにむに「個人攻撃」を繰り返し、とにかく「安倍総理には何もさせない」姿勢を強固にするだけである。 安倍総理の時代がたとえ、終わったとしても、我が国の姿勢は、改憲姿勢は「強固」なものである。このことを総裁選で、示さなければならないはずである。 外交には欠かせない「着想」と「着手」 これについて石破陣営は、もっと語るべきであろう。勿論「路線の継続」を打ち出すにせよ、自分ならこの点を強化する。など具体的に掲げるべきである。(拉致問題に対して、東京・平壌に連絡事務所を設ける。と語っているが、その性格が明らかにはなっていない。以前佐藤優氏が主張していたような、「私は何もしません。ただ指導者の生の声を伝えるだけであり、総理の意向を伝える」そのような連絡係なら意味を持とうが、それならば、東京には必要ない。どのような性格のものとなるのか、はたして、北朝鮮内におけるさまざまな雑音を排して、ストレートに金正恩と渡りをつけられるのか?不透明である。というよりもそのようなパイプが今存在しているのなら、拉致問題ももう少し進展していると思われるのだが。。。) このような「着想」は外交音痴ぶりを公言しているようなものではないか。。。 「着手」に関してはプロである外務本省が考えればよいのではあるが。。。 サハリンに領事館を置くことで実質上、ロシアの領土であることを認めるようなメッセージを送った外交官などと比較しても、お粗末に過ぎる。 「東京・平壌」双方に連絡事務所を置くことが、北朝鮮にどのようなメッセージを送ることになるのか???(少しでも動かしたい。という気持ちは理解できなくもなく、その様な主張をされる親北朝鮮派の著名人もおられるが、どうも思いつき、あるいは、米国も韓国もできていないことを我が国がまず実現させる。ということしか意味しないように思われる。事務所職員が、自由に調査活動・捜査活動を行える。というなら意味があるが、何かれば拘束され、人質にされるだけでなく、北朝鮮に都合のよい情報しか渡らない可能性が強い。と懸念される。) そもそも、我が国には二流のインテリジェンス機関であるCIAのような機関を作るまでに短く見積もって二十年はかかる。と言われているのである。しかも、インテリジェンスは錯誤の葬列なのである。) 「内政」に関しては、勉強家でもある石破氏は「安心」できるように見えるが、防衛相としての外交実績があるにせよ、新たな着想を行い着手することは不得手ではないかと私には感じる。違うというならば、ぜひ反論していただきたいと思う。 では一方の安倍総理はどうであろうか? 第一次政権時代は、麻生外相・谷内事務次官の体制で「価値観外交」に着手した。残念ながら、その愚福田元首相が積極的ではなかったこと、麻生元総理が短命に終わったこともあって、しりすぼみになっている。この活性化・進化でも石破氏が主張してもよいと思うのだが、中東政策を含め、今でも評価できる点は少なくないのである。 第二次政権、多くの方々は「積極的平和主義」を掲げて、自らが積極的な外遊をこなしてきたことはよく知られているが、もうひとつ具体案として「着想」したものがある。その「着想」「着手」に関して、先日付産経新聞「正論」欄で取り上げていた。ご紹介したい。 2018.8.22 11:30 【正論】 インド太平洋戦略を活性化せよ 平和安全保障研究所理事長・西原正  安倍晋三政権は2016年以来「自由で開かれたインド太平洋戦略」という外交戦略を掲げてきたが、まだ内容は薄いままだ。掛け声だけに終わっている感がある。  筆者は今年7月末に上海で開催された国際会議に参加したが、東南アジアの複数の参加者は「インド太平洋戦略で東南アジアはどこに位置づけられるのか」「日米豪印クワッド(4カ国)協力だけがインド太平洋戦略と言うのはおかしい」などの発言をしていた。安倍政権がこの戦略を重視するのであれば、早急にもっと内容のあるものにすべきだ。  安倍首相のインド太平洋戦略はそもそも07年にインド太平洋地域の4つの民主主義国・日米豪印による地域安全保障のための連携(「安全保障ダイヤモンド」あるいは「クワッド協力」)を提唱したことで始まったとされている。  同年9月に4カ国にシンガポールが加わった合同軍事演習が行われたり、17年11月に4カ国の外務省局長級会合がマニラで行われたりしたことはあったが、4カ国の首脳会談はまだ実現していない。インドは中国の反発に配慮して日米印に豪を加えた首脳会談には躊躇(ちゅうちょ)しているといわれる。  このように、4カ国の連携はまだ確固たるものになっていない。にもかかわらず、日米のインド太平洋戦略の中核には日米豪印間の確定された「協定」があるかのように語られることが多い。  ここで重要な点は、東アジア地域の安全保障を協議するために、27カ国・機構の外相から成る東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)や18カ国の首脳が出席する東アジア首脳会議(EAS)が創設されているが、そのいずれの場合にもASEANが中核にあることだ。これを「ASEANの中心性」と呼んでいるが、インド太平洋戦略の中核が日米豪印となると、ASEANの中心性との関連が希薄になる。  したがって日米は日米豪印の4カ国協力を進めるにあたっては、インド太平洋戦略はEASを土台にすべきだとの議論も聞かれる。  ≪最大の関心は対中牽制にある≫  しかし日米にとっての戦略の最大の関心は対中牽制(けんせい)にある。「一帯一路構想」に見られる習近平国家主席の壮大な覇権戦略に対しては、その弱点を突き、 (1)法の支配、人権の尊重、民主主義制度の定着という価値観を共有する地域を拡大 (2)中国の政治、経済、軍事面における勢力伸長を牽制して開かれた経済発展に寄与、 そして(3)域内海空路の移動の自由を確保-していくことである。  現状の東南アジア、南太平洋、およびインド洋周辺国のいくつかは、中国の政治、経済面における覇権的影響力に圧(お)されて、身動きができない状態にある。東南アジアのラオス、南太平洋のトンガ、インド洋周辺国のスリランカ、ジブチなどがその典型である。最近になって、マレーシアとミャンマー、それにオーストラリアも中国の経済的支配拡大を懸念し、対中関係を見直している。  日米はこうした対中政策の見直しをする国を支援することで、中国の行動を牽制することができる。中国は広大な地域に対して「一帯一路構想」を進めているが、日本は中国のインフラ投資のように自国の労働力を持ち込む方式ではなく、外務省が強調するように、アジアの技術とアフリカの労働力を連結させる方式をとっている。これはアフリカの国々に雇用と技術移転の機会を与えることになり、経済発展に望ましい手法である。日本の「一帯一路構想」への参加は限定的にして、開かれた投資と貿易、自前のアフリカ開発会議を通してアフリカの着実な発展に寄与していくべきである。  ≪地域の勢力バランスを有利に≫  去る7月23日、平和・安全保障研究所では、国家安全保障および防衛策に関する一連の政策提言を政府に提出したが、その中で「『自由で開かれたインド太平洋戦略』を進める外交・経済・軍事面の協力枠組みを具体化し、地域の勢力バランスを有利にせよ」という提言をした。  中国のインフラ投資で多額の借入金を受け、過剰債務に行き詰まり、港湾などの戦略的に重要な土地と施設に関する運営権を長期間中国に譲渡する羽目になっている。そうした港湾などが軍事目的に使用されると、地域の勢力バランスを中国に有利にさせる。  南シナ海、南太平洋、インド洋における航行・航空の自由を確保するためにも、南シナ海で米豪が実施している航行の自由作戦のように、日米豪印が中国の動きを牽制する行動をとるのが望ましい。  日本はインド洋で友好国艦船への給油活動や海賊取り締まり作戦に従事してきた経験がある。これを基に役割の拡大を考えるべきである。また海上法執行能力構築支援をすることで、関係国による領海や排他的経済水域の安全管理能力に寄与することができる。  安倍首相の「自由で開かれたインド太平洋戦略」が実質を伴う諸政策を基に、地域の安全と繁栄に寄与することを期待したい。(平和安全保障研究所理事長・西原正 にしはら まさし) 以上産経ニュースより太字部等編集し引用 安倍総理は、「自由で開かれたインド太平洋戦略」について、これまでの成果とともに、今後の具体的な動きなどを総裁選の中で語っていくべきであろう。そのことによって国民の中にもそのような動きを支援する動きも出てくるだろうし、安倍外交なるものが「米国一辺倒」のものではないこともまた示すことができる。(勿論現状において「日米同盟」がハブであり、その他との連携はスポークの関係であるのだが。。。) 我が国が「大国として生き残り」をかけるには、国際社会への役割拡大は必至である。その際「軍事力だけは除外する」ということは言えない。最も嫌がることをではいったい誰がするのか???着想した以上、これまで以上に「役割」を増すことは当然だる。 おそらくこの点が、安倍外交にとって「ネック」となっているのだろう。 だからこそ、「憲法九条改正」に関して、「これまでとは何も変わらない」などと強弁するのではなく、「自衛官のモチベーションを上げること」(三島由紀夫の檄文でも多くの方々に再度読んでもらえばよい。自分たちを否定する憲法典に縛られるとはどういうことなのか???)「自衛官の役割の拡大」つまりはこれこそ積極的平和主義の柱であろう「力によって平和を創造し、維持する役割を担う」ことを自衛隊法改正によって行えること、堂々と公言すべきであろう。 石破氏は、「憲法九条二項削除、「自衛隊」あるいは「軍」の明記を主張するよ腕あるが、では、我が国としての「原理原則」をどこに持っていくのか?(どのような場合にどのような活動をするのか?)を説明すべきである。そのことによって、国際社会は、改めて「日本」の存在を認識し、日本の影響力に期待も増大するのである。 私は「一国平和主義」では自国ですら守れない時代にあることを認識し、さまざまな国との連携(その中心が日米同盟)により、相互に支えあう。このような状況でしかない。我が国は戦前もであるが、アジアを守る軍を保持したことがないのである。(弱者同盟では意味がないからここに米国を参加させることは重要である。このことは米国のプレゼンスをこの地域に一秒でも長く維持してもらいたいと願う諸国にとっても国益である。) 「わが国外交の地平を開く」 このことを、ぜひ論じるべきだし、論じるように働きかけていくべきであろう。 ちなみに、私は、以前からこのブログで「インドは積極的には動かない」(自国の領土問題以外で)と書かせていただいている。インドは、アジアの大国であり、我が方の陣営に引き付けておかなければならないが、行動を過度に期待してはならない。ものと思う。 豪州は、かなりの土地をシナ人に買い占められて以降。明らかに積極的にはなっている。 私は、英国・仏国などの旧宗主国の関与も求めていくべきであると思う。仏国は、独自に「航行」を行ったりする、パートナーとしての参加を模索すべきであろうと思う。と同二に我が国はNATO」との関係も見直し、パートナーとして参加する道を模索すべきではなかろうか。(この場合、GDP比1%の軍事費という枠は、緩和させていくべきであろう。一気に増加させることはできないであろうが。。。) 当然、その中でロシアとの関係が今まで通りでよいのか? 「躓きの石」を知恵を絞っていかに取り除いていくのか? 国際情勢、我が国の国際社会における生存競争(経済分野だけではない)、これらの点から、ぜひ国際社会に対しての我が国の役割を考えてもらいたい。 我が国は、「大国として生き残る」べきなのである。 自らの「有利」を前提にした欧米が構築した現状の国際秩序ではあり、我が国はそれにいかに対応していくのか>これがこれまでの外交であった。つまりは自ら積極的国際秩序を構築することも維持することへの重要性・必要性を忘れつつある。 その原因のひとつは、ド・ゴールが主張したように「超大国との同盟」にある。これが米国との同盟における「影」である。しかし、まず我が国は大国であり、その国力に応じた「役割」があることを思い出すだけで、一定程度の「影」は払拭できる。 日本には、そのような力がないと思ってしまっては、影に飲み込まれるだけであろう。 「ある」と思えば、では次に「何ができるのか?」「何をすべきなのか?」という発想になり視界が開けてくる。(断じて「何をしてはならないのか?」という発想ではない) 「何をすべきか」が決まってくると、そのために何をしなければならないか。も見えてくる。またそのための阻害要因も見えてくるはずである。外交は当然相手のあることであるから、相手を意のままに動かすことはできない。(その努力が戦争であり、外交なのだが)だが。我が国国内だけで解決できることはある。「意識改革」「構造改革」「憲法改正」である。 まあ、米国政府が、米国民の多くが「超大国」の地位から降りたいと願っている以上、「超大国との同盟関係」ではなく「大国との同盟」となり必然的に思い出さなければならないことになるのだが。。。 「やらされる」より「やる」方がよいに決まっている。 「日米同盟」を我が国安全保障の手段足らせるためには、我が国の「役割」を拡大していくことである。(役割を拡大せずして、もっと言いたいことだけを言うのが望ましい関係とみなし、日米同盟に遠心力を働かせ、日米関係を危うくした経験を思い出すべきである。) 日本人が古代からこれまで大切にしてきた美意識・美意識・伝統(戦後日本のでは断じてない) これを知ることによって、我々が行うべき「行動」も見えてくるはずである。 「一国平和主義」「念仏平和主義」とは超大国との同盟である日米同盟による「甘え」以外の何物でもない。(そのような甘えが許されなくなっていうる。という危機感を持ってもらいたい。危機を危機と認識できないのが最大の危機なのである。) さらにこのような考え方は、伝統的には「卑怯」とされるものであろう。 勿論、我が国は、その誕生を示す「古事記」から見ても、シナや米国のような好戦的なものではなく極めて平和的な民族ではある。しかし、戦うべき時にはきっちりと戦うのである。 我が国は戦後、我が国が自主的に「ものを考え」「実行する」ことは避けるべきであるかのような印象操作を受けてきた。それは、大東亜戦争が「我が国が考え行動した結果」と欧米が思わせたかったからであろう。 しかい、本当なのか? もう一度戦前の外交を曇りのない眼で見てみるべきではないだろうか。 我が国は、欧米からの要望に多くは従ったものであろうし、その行動も欧米の例に多くは倣ったものである。しかいs、「時代が変わっていた」という方もおられようが、明らかに「日本人だけには許されない行為」という人種差別がそこにはあった。 それでも我が国は愚直に我が国の正義を主張しようともした、 その時欧米はどのよ鵜な態度をとったのか? 「我が国の主張を述べる場」すら奪ったのではなかったのか。。。。 私は、その戦前からの反省も含めて、我が国は、主張する場を自ら作っていくべきものと思う。 勿論、正当性・正統性が備わっていることが重要である。 現在は、戦前と異なり、多くの独立国が存在するし、「人種差別はいけない」ということになっている。となれば、我が国は理想の社会秩序に向けて、自らの役割を語っていくべきなのではないかと思う。 国際社会に発言する前に、まずわが国民を信用し、「こんな社会を作っていこう」「そのためにはこうした方がよいのではないか」このような議論を首相候補同士が議論しあう。ことを望む。 国民をもっと信用してもらいたいと思う。 「言っても分かってもらえない」と考えると、その手法は好ましくない手段を用いることになるのである。 国民を信用しない政党。政府を信用しない国民これらの負の連鎖をぜひ断ち切ってもらいたい。 きっとそう言ってほしかった。という声が圧倒するであろう。 文責 上田 和哉

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