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カテゴリ:クエルの日記
皆さん、こんにちは。いつものデイケア活動とは違ったクエルのボヤキってのを気を抜いた感じで書いたらどうかなと思ったのがきっかけで、今回は自分の事を書いてみたいなと・・。ブログの時のような更新通知もボヤキの時はあえて自然に上がってる感じにしようかなと思っています。
クエルのお時間拝借~_(._.)_ 今、Spotfyで音楽を聴きながら、いつものピノキオの活動紹介とは違う形で、書いてみたくなって心の中で起こっていることを書いていけたらなと・・。誰かに心の奥底にあるものを話す時って初めて精神科にかかった時にドクターの前で話すときのようで、心を覗かれるんじゃないかみたい心境。 経緯の流れは話が膨大な量の為、流れを端折る場面もありますが、少しでも伝わればなと思います。 ブログを通して自分の障がいの事を知ってもらえたら、何か新たな変化が起きるのでは?と漠然とした思いに駆られてます。 皆さん、境界性パーソナリティ障害をご存じだろうか?これが長年、自分を苦しめてきた障害名です。10代で発症して、40代に入るまで障害名が明かされることが無く、それまで自分の起こしてきた言動は全て自分の性格の悪さからだと思っていました。つくづく自分ってダメなニンゲン、誰からも理解されることなく過ごした空白の30年。 自分の親ですらその言動に呆れ果て、見捨てられてしまう。それ以前の幼少期の親子関係の中でも、そこに愛はなかった。だから自分の中には安心するっていう感覚が全くないんデス。 愛情が注がれにくかったことで自分の中で本当は年齢と共に成長するものが育っていなかったり、常に見放されるんじゃないかという不安が付きまとい、そこから起こる言動で人間関係に問題が生じる悪循環と自己嫌悪の繰り返してきました。当時、なんとかしたくてもこれといったアドバイスも特効薬もなく、人と繋がっていたかったはずの僕はいつも孤独な立ち位置にいることが多かった。 この詩は浜崎あゆみの『A song for××』という曲の一部なのだが、荒れに荒れまくってた20代の時にミリオンセラーした歌の歌詞はいまだに僕の心を掴んで離さない。なんていう歌詞だ・・と思った。誰も理解してくれない中、浜崎あゆみは自分の気持ちを代弁してくれているような歌詞に当時どれだけ共感し、自分の心の中を語ってくれる友達のような存在だった。 ものごとに強いこだわりや偏ったものの捉え方など、お金で買えないものを欲しがったり、寂しさゆえの感情ではあったが、30年も経てば成長があったのか亡くなった両親が生き返る訳でもなく、愛されてたことを確認することも出来ないまま年月は過ぎていった・・・。一人にも慣れたし、友達と呼べる仲間も出来た。あの頃にはなかった支援者が今はいてくれて、ピノキオという居場所にも出会えた。ここまで辿り着くのに自分の障がいと向き合い勉強もした。性格の悪さからだと思ってた言動も、人に気付いてほしいSOSサインであり障害がもたらすことだと知って、ずっと自分の事を責めてきたけど、そのことを主治医から聞いたときに重くのしかかていたものが軽くなった感じがあって楽になったなと感じたことを今でもハッキリ覚えています。生きずらさは今も感じることが多々ありますし、自己嫌悪の繰り返しですがそのたびに支援者に話を聞いてもらいガス抜きをしています。そんなことを繰り返していくうちに、孤独は寂しいことだけど、寂しい時に寂しいと言える自分になりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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