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The Last Waltz ~Consecration

LAST_WALTZconsecration

Aug,31~Sep,08,1980

Recorded At Jazz Club "Keystone Korner" In San Francisco USA


エヴァンス死の直前の音源、その壮絶なドラマを取り上げてみたい。

「歴史上、最大の時間をかけた自殺」といわれることもある、そのエヴァンスの死からもう二十余年経とうとしている。
だが、その演奏のすばらしさは変わることない。

現存する最後の音源、キーストンコーナーにおけるラストトリオは徐々にではあるがイマジネーションを失ってゆく。
いや、イマジネーションを失っていったのはエヴァンスだけか。
そして最後に残るのは表現者としての執念にも似た、生々しい感情だけだ。
この演奏は壮絶だ。
その壮絶さは聴くものにもエネルギーを要求する。

『病院に行ってください』というジョンソンの言葉を制止してまで、エヴァンスはただ1つのことに夢中になっていった。
このトリオで演奏するという事のみに。
ジョンソン、ラバーバラがエヴァンスの体を気使い出した時点でインタープレイは崩壊していたのかもしれない。
それでも、エヴァンスはどんどん深化してゆく。
若い2人のパートナーの進歩がトリオの音の完成度を上げてゆき、そして精神と反比例して肉体は衰えて行った。

エヴァンスは友人にこう語っていた。「ジョー・ラバーバラとマーク・ジョンソンがいるから、ステージに上がりたくてたまらないんだ。なんていって良いかわからない。この若い二人に感心しているし、自分が幸せなやつだという事しか言えない。彼らの演奏が待ち遠しいんだ」と。
そして友人がまだ話が終わってないと引き止める声にこう答えた。
「この何年もの間、今までいろいろな話が出来て本当にありがとう」と・・・

妻を、そして兄を失った彼の精神には、もうこうするしか道は残されてなかったのか。
音楽とは彼にとっては自分の世界へと入ってゆく入り口の1つだったのだろうか。
その入り口の中の1つにクスリがあり、それが結果としてドアを閉ざさす原因になったといえるだろう。

私にとってのベストはやはりこのラストトリオだ。
ラファロ、モチアンのトリオもいいと認めた上でこのトリオを押す。
そこには音楽以外の要素も入っているかもしれない。
ラストレコーディングという言葉のもつ重みは否定しようがない。
そういった、2次的なものを含めて、このトリオが一番好きだ。
生涯変わらぬエヴァンスの美学。
それは声高に語るものでもなく、本人がそれと決めて、わかる人にだけわかればいい。
残念だが、わからない人には伝えようとは思わない。

「芸術一般に関する私の信条は、それが魂を豊かにするものでなければならないという事だ。一人の人間にそれがなかったら発見できないようなその人自身のある部分を見せることによって、精神的に教化するものでなければならないということだ。」とは彼のセリフだが、私は彼のこの音楽によって、心豊かになりもし、新たなものを発見しもする。
この「Consecration」と「The Last Waltz」の関係は、前者がマチネー(昼間のセット)で後者が夜の部をメインに組み立てたものとなっている。
現存する最後の音源…
この演奏が世に発表された時は驚きだった。最初に『Consecration』の8枚が89年に発売になった。
最後のパフォーマンスという事で話題になってたな…
そして突如11年後の2000年に『The Last Waltz』が発売になった。
当初は”ダブリ音源もある”との情報だったのがが、発売になってみると、一切ダブりはない完全な未発表音源だった。
しかも前作では9月7日までといわれていたこの録音が8日までの9デイズであったことも判明。
私の中では結構重大ニュースだった(笑)
このキーストンコーナーのパフォーマンスにはまだ音源が眠っているのだろうか…
オーナーのトッド・バルカンのみぞ知るか。

『Consecration』は97年に再度ピッチ調整を受けて、最近では2002年に綺麗なBOXSETで発売されている。

”現存する”である理由は前にも書いたとおり、その後の倒れるまでもライブハウス・ファットチューズデイに出演していたのだが、音源としては現時点では発見されてないからだ。
この音源が出てくることがあれば、聴いてみたい。是非。
更に消耗し尽くし、執念も消えたエヴァンスの音がそこにはあるだけかもしれないが、それでも何を伝えようとしたのか、何が彼をそこまでこのトリオに執着させたのかを、聴いて全身で感じたい。
表現者としての彼がそこに何を残したかを。
亡くなった表現者の数だけ、ラストレコーディングは存在するわけだが、その中でも記憶に残るものは少ない。
言葉の重みが、オーディエンスに影響を与えはするものの、それが全てではないという事だろう。
内容や表現者の技量が伴なってこそのものだ。
加齢や病から来るものが、その成功に大きな影響を与えているが、この作品はそれらを克服した、数少ない価値ある作品だと思う。

エヴァンスはその死後に評価の上がった、たぐい稀なる例と言えるのではないだろいうか。
少しくらいなら評価が上がることはあるが、ここまで上がる例は他にはないと思う。
死後に音楽が熟成されるなんてことはない。
それは聞き手のスタンスが変わったというか、意識が深化したといえるだろう。
たとえばこれら晩年の録音はどれも荒っぽさがあり、かつての演奏と比べると完成度は低い。
でもそこにある音にこもっている、気迫のようなものが素晴らしい。
耽美的な面ばかりが評価されがちだが、それだけがエヴァンスではない。

このキーストンコーナーの前の週にエヴァンスがインタビューを受けていた時の発言だが、トリオという形態に強く惹かれるのはなぜかとの問いに「私が音楽全体をコントロールできるという事が大きい。音楽を形作るのも、テーマを掲示するのも、演奏の流れをキープするのも、全て私だ。それに、とリオだと言葉を交わす必要がない。音楽を通して自然にお互いの考えが伝わる。グループにとって、そしてオーディエンスにとっても、純粋に音楽的な体験を得られるんだ」と答えていた。
ソロ、オーケストラとの共演、カルテットといろんなフォーマットでの演奏のあるエヴァンスだが、最後の1年間はトリオ以外のフォーマットでは記録に残っていない。
最後の”トリオ以外”のフォーマットは実兄ハリーへの追悼盤「We Will Meet Again(August、1979)」だ。
兄に送ったその言葉は1年後現実のものとなる。
全てが現実として存在する今、結果論としていう事はたやすいが、自分がもう長くはないと悟ったエヴァンスはその最後の力を振り絞ってトリオの追求にかけたのだろうか…

それは彼しか知りえないことだが。

「Consecration」の発売された当初は、今日9月7日がこのキーストンコーナーでの最後とされていた。
その発売の11年後、2000年に「The Last Waltz」が発売されて、最後にもう1日存在することがわかったのだが。
エヴァンスはかなりの部分で消耗し尽くしている。
"精神が肉体に先行してる"とは誰の評だったか…

一番最後の仕事、途中で倒れたファットチューズデイの音源は今後永遠に出てこないのだろうか。
それともどこかに残されているのだろうか…

残されているならば是非聞いてみたい。


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