pirika’s ROOM

2011/12/20(火)22:13

ばあちゃん、ありがとう♪

  記事にしようかどうしようか、迷いましたが・・・ つい先日、100まで生きると信じて疑わなかった 母方の祖母が、98歳で天寿を全うしました 若いうちに旦那を亡くし、頼りにしていた長男も亡くし、 女手ひとつで、残った5人の子どもを育てました。 デパートで働いていて、土方もやった・・・と母が言ってたかな? 一言ではいえないくらい、とても苦労したんだと思う。 口に出すような祖母ではないけど・・・ 決して幸せなだけの人生ではなかったよね。 信仰心があつくて、いつも拝んでたイメージがある。 そして、常に感謝の気持ちを忘れない人であった。 もう少し若い頃は、いつもちゃかちゃかと忙しく、 スースーした匂いがして、やや小言の多いばあちゃんだったな とにかく、静止することなく動いてたよ たぶん。。。(笑) 福島に遊びに来た時、岩魚酒を本当に美味しそうに 涙まで流して平らげたのは忘れないよ・・・。 急に弱ってからは、色々と事情があり、 ある手術をするということになったのだけど、 それに対して反対意見もあり、周りでやや揉め気味になった。 どっちにしても、祖母を思ってのことなんだけど・・・ 「ほだごどやって揉めてっと、ばあちゃん早く逝っちまうよ」と父に言った。 (手術にしても、反対意見の案にしても、体力がもたないって)>pirika心の声 「あ~ゆ~人は、最後も迷惑かけねで逝くんもんだよ・・・」続けて父に言った。 知ったようなことを生意気にも言ってみたが、本当にそうなった。 金曜日の朝、私の仕事が始まる少し前に息を引き取ったらしい。 通夜、告別式は土日に行い、誰かが仕事を休むこともなく済んだ・・・ ばあちゃんが生前お世話になり、大好きだったという グループホームの方も4名、通夜に来てくださった。 ちょっと前までは本当に元気だったので、信じられないと、 涙をこぼしていた・・・ お世話さまでした_(_^_)_ 3月に原発事故で、実家に一時避難した時には、 心配して電話をくれた叔母(祖母の次女)さんのことを、 「うんと、いい娘なんよ~ 孫(Mちゃん)もうんといい子~」 と、ちょっと自慢気に、そして嬉しそうに言っていた。 こちらに来る前は、叔母さんが面倒を見ていてくれた。 叔母さんが、ばあちゃんの遺骨を持って帰った・・・。 また、よろしくお願いしますね。 ばあちゃん、98年間 お疲れさまでした。 本当に、ありがとう!!天国でみんなのこと、見守っていてね。

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