思い出したので、もう一本。
今日は、母方のばあちゃんの命日だ。
龍一郎が0歳だったんだから、6年前のこと...。
あの年は、すでに桜が満開に近かったっけ。
ばあちゃんの亡くなる丁度5ヶ月前の10月25日にじいちゃんが亡くなった。私が龍一郎を出産した2日後のことだった。
周りのみんなは、産後の私に気を遣ってじいちゃんが死んだことを内緒にしてくれていた。でも、末期のガンで入院していて、母や伯母が交代で通っていたのに、私が実家に戻っている間、母が出かけることもなかったし、じいちゃんのことが話題に上ることもなかった。
そんな感じだったので、すぐに気付いたけど、しばらくは知らない振りをして過ごした。
ある時、母に「じいちゃん死んじゃったんでしょ?」と切り出してみた。一瞬、母の顔が歪んだのが見えた。
龍一郎の顔を見せられなかったのが残念だと思ったけど、悲しくはなかった。さびしい気持ちはあったけど、悲しくはなかった。
そして、私が帰省している間にばあちゃんの具合がおかしくなった。お腹が張って下痢っぽいという。しばらくたって病院に検査にいったら、そのまま入院。ガンだった。
調子がおかしいと言ってはいたものの、元気そうだったばあちゃん。入院して治療が始まるなり、どんどん衰弱していった。
そして、6年前の今日、亡くなった。その時も悲しくはなかった。でも、さびしかった。
じいちゃんやばあちゃんがどうしているのかは、解らない。「空」に還れたのか、まだ自我の創った観念の中に生きているのか。。。
とりあえず、この世への未練だけでも断ち切れたら楽だろうと思って、今年の墓参りの時にはArs.アーセニカムのMM(最高ポーテンシー)を持っていって水に溶かしたものを墓の周辺に撒いた。
死者や霊だけでなく、生きている人間でもモノや金や生存への執着が激しく、恐怖や不安に苛まれている人にはArs.がいい。砒素からできたレメディで、「死」というものは「生」と表裏一体であるということに気付かせてくれる。
墓参りをしながら、自分や家族もArs.を摂った。この世に執着することなく、瞬間瞬間を味わって、死ぬ瞬間さえ味わえたらいいなと思って。。。
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