世界は愛に溢れてる。そんな話、スピ系の世界では良く聞きますよね。
それってどんなのよ?って思ってたけど、最近、実感として解るようになりつつあります。先日のオニヒトデの話とか、蚊の話とかね。
そういう自然のことを知れば知るほど、理解が深まれば深まるほど、世界は愛で成り立ってるんだなぁと感じるわけです。愛という言葉で解りにくければ、自然の自浄作用と言い換えてもいいかもしれない。
自然に任せておけば、絶対に、絶対に悪くなったりしないんですよ。一見、自我からすると傍迷惑だったり、悪者と決め付けたかったりするようなことでも、結果的には浄化の方向に流れている。
自然に任せなかったとしても、その結果は、やっぱり自然がバランスを取るように働くだけ。だから、いくら薬で浄化作用である自然の病気を抑えたとしても、医原病という別の形で浄化を進めようとするわけです。耐性菌やどんどん生まれる難病がそれなわけです。
なんで、あらためてこんなことを書いたかというと、今日引いた禅タロットがこれ↓だったんです
「存在」
あなたは偶然の産物ではない。存在があなたを必要としている。あなたがいなければ、存在のなかでなにかが見失われ、代わりをつとめることは誰にもできない。そのことが、自分がいないと全存在が寂しく思うということが、あなたに尊厳を与えるのだ。星や太陽や月、樹や鳥や大地??宇宙のあらゆるものが、あなた以外の誰かではけっして埋めることのできない小さな空白を感じるだろう。これが、自分は存在とつながっていて、存在は自分の面倒を見てくれているという途方もない喜び、満足をあなたに与えてくれる。ひとたびあなたがきれいになり、澄みわたったら、あらゆる次元から自分に降りてくる途方もない愛を見ることができる。
Osho God is Dead: Now Zen is the Only Living Truth Chapter 1
解説:
完全という蓮の葉に坐っているこの裸の人は、夜空の美しさを見つめています。彼女は、「わが家」というのは外の世界にある物理的な場所ではなく、くつろぎと受け容れることの内なる質だということを知っているのです。星、岩、樹、花、魚や鳥たち-みんな、生のこのダンスのなかで私たちの兄弟姉妹です。私たち人間はこのことを忘れがちですが、それは私たちが個人的なことがらを追い求め、必要なものは闘って獲得しなければならないと信じているからです。しかし、究極的には、個として分かれているという私たちの感覚は幻想にすぎず、心(マインド) の狭い先入観によってつくられたものです。今こそ、どこにいようとも「わが家」にいると感じる、その並はずれた贈りものを受け入れるようにしているかどうか、見てみる時です。もし、一方で、世間が自分をつかまえようとして躍起になっていると感じていたら、ひと休みする時です。今夜は外へ出て、星たちを見ましょう。
===以上、OSHO.comより引用
科学から入っていこうと、宗教から入っていこうと、道を求める人がOSHOの言うようにきれいになって澄み渡ったら、椎名林檎の言うように透明人間になったら、ホメオパシーの言うように囚われを手放せたら、最後に気づくのは、この世界はいつでもどこでも愛で一杯なんだということなんだと感じるのです。
これもまた、OSHOが言ってたことですが、キリストのようにトコトン信じる人も、ブッダのようにトコトン疑う人も、それぞれの信頼と疑いを究めたときにたどり着くところは一緒だと。
感じるタイプは信頼から入り、考える人は疑いから入るのが早道だそうで。。。私は、確実に後者。いろんなことを疑うからこそ調べまくって、自分で体験したいのです。ホメオパシーだって、自分で勉強して、体験したからこそ、信頼してるわけで。。。
でも、最初っから信じてる人はそれをしなくても自分の中の神に近づけるんですね(「信じる」は、believeじゃなくって、trustとかlet it goな感じです)。
近頃の人たちは、私と同じタイプが多いかもしれませんね。何しろ、社会が左脳型ですから。。。
でも、この左脳をフルに使ってたどり着く先では、もう信頼するしかない、任せきるしかないってことが解るはずなのです。
そして、結局のところ、ゴキブリもまた愛なんだってことなわけですよ。。。(笑)
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