恐怖を手放す
これらのOshoの言葉が理解できるなら、『Life is a joke !』の一部も解ってくるかもよ <罪悪感> この瞬間! この<今ここ>......。なにかを達成しようという観点から考えはじめると、それが忘れ去られてしまう。達成しようとする心が湧いてくると、あなたは今いる楽園とのつながりを失ってしまう。これは解放をもたらす最良のアプローチのひとつだ。それはまさに今、あなたを解放する! 罪などすべて忘れてしまうがいい、聖人らしさもすべて忘れてしまうがいい。どちらもばかげている。このふたつがいっしょになって、人間の喜びをすべて破壊してきた。罪を犯した人は罪悪感を感じている。喜びが失われているのはそのためだ。たえず罪悪感を感じていたら、自分はこんな悪いことをした、あんな悪いことをしたと告白するためにいつも教会に行っていたら、どうして生を楽しめるかね? 悪いこと、悪いこと、悪いこと ......あなたの生全体が罪で作られているようだ。どうして楽しく生きられるかね? 生を楽しむことなど不可能になる。あなたは重くなる、荷重がかかってしまう。罪悪感があなたの胸の上に岩のように居すわり、あなたを圧しつぶす。あなたを踊れなくしてしまう。どうして踊れるかね? どうして罪悪感が踊れるかね? どうして罪悪感が歌えるかね? どうして罪悪感が愛せるかね? どうして罪悪感が生きられるかね? だから、自分はなにか悪いことをやっていると思っている人は、罪の意識をいだいている。重荷を負い、死より先に死んでいて、すでに墓に入っている。 Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 3 === <消耗> 良心(コンサイエンス)でもって生きる人は堅くなる。意識(コンシャスネス) でもって生きる人はいつもソフトだ。なぜだろう? いかに生きるべきかという考えを持っている人は、自然と堅くなるからだ。そういう人はたえず自分の人格を身につけていなければならない。その人格は鎧のようなもの、自分を保護するもの、自分を安全にするものだ。その人の一生がその人格に投資される。そして、いつもその人格から状況に反応する。直接にではなく??。そういう人になにかたずねたら、その答えはすでに決まっている。それが堅い人物のしるしだ??鈍く、愚かで、機械的だ。いいコンピューターではあるかもしれないが、人間ではない。 あなたがなにかすると、その人はいつものように決まりきった反応を示す。その反応は予測できるものだ。そういう人はロボットだ。 本物の人間は、自然に起こるがままに行動する。その人になにかたずねたら、その問いには機械的な反応ではなく自然な応答が返ってくる。その人はあなたの問いにハートを開き、あなたの問いに自分をさらし、それに応える...。 Osho Take it Easy, Volume 1 Chapter 13 === ハートを開けないのは、恐れがあるから。。。 どうせ妄想の中で怖がっているだけなのなら、イマココで本当に怖がったらいい。その方がより「生きている」と言えるんじゃないかな。 でも、透明な心でイマココを体験してみたら、恐怖なんていうものは自分のマインドが創り出しただけの虚構だとわかるはず。恐怖ゆえにイマココと向かい合うことをしなければ、その恐怖が虚構なんだと気付く瞬間は永遠にやってこない。 だから、怖いと信じているものをイマココで体験してみよう!見るのが怖いものを見に行ってみよう!聞くのが怖いことを聞きに行ってみよう!触れるのが怖いものに触れてみよう! 恐怖を手放すチャンスは、イマココにだけあるんだよ。