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カテゴリ:十年 ひと昔
隣国と我が国との関係が喧しいのは 今に始まったことではない、 改めて歴史上から比較すれば 自ずとその国民性の違いを検証できないかと思い 概略だが、Wikipedia で「朝鮮の歴史」を調べてみた・・
古朝鮮時代から 古代衛氏朝鮮はBC108年に漢の武帝に滅ぼされ、楽浪郡等漢四郡が置かれ およそ 倭国が朝鮮に出兵し、(391年)新羅を服属させ高句麗を攻めた、(広開土王の碑より)
時代は下り 中国が唐の時代に 百済が滅亡し 倭国に滞在していた百済王の太子 「扶余豊璋」の救援を中大兄皇子が承諾し、663年白村江の水軍決戦に臨み 三軍編成で4度攻撃したが 唐・新羅水軍に大敗し、各地で転戦中の倭国軍や 百済遺民を船に乗せ辛うじて帰国、
その後は 対馬や北部九州に防人を配備し 大宰府や日本各地に防衛線を築き、近江に遷都した中大兄皇子は天智天皇となるも 唐が攻めてこれない事情が徐々に伝わり、国内の結束も緩み、672年壬申の乱で 弟君の大海人皇子の天武天皇の御代になったのはご存知の通り。
爾来 我が国の歴代皇室は 現代の平成天皇の御代迄125代 連面と続く訳だが 朝鮮の王朝は次々と変わり、その間 中国の 隋や唐や宋・元から支配を受け、 元の時代は 我が国への二度の元寇(1274・1281)のお先棒を担ぎ 船の漕ぎ手等に駆り出され、玄界灘の藻屑と消えた朝鮮の兵士も随分いただろう・・・
近世 李氏朝鮮の世は高麗国から1342年 女真族の 李成桂が王位を奪い、 1592・1597年には 日本の秀吉軍から二度に渡り 攻められたりしたが 明の救援と李舜臣の活躍、肝心の秀吉の死去により国土を回復
それでも李氏朝鮮は26代の「大韓帝国」李王拓(1907~1910)迄 続いたが その実情は内乱が続き、良き治世が続いたとは 言い難く.
結局1910年日韓併合条約を結び 日本に併合された。
1945年日本の敗戦とともに 連合国軍の管轄下に入るが 1948年米ソ両国が南北に傀儡政権を樹立、李承晩大統領率いる「大韓民国」と ソ連軍下の金日成首相率いる「朝鮮民主主義人民共和国」が樹立され
1950年6月25日 北の朝鮮人民軍は38度線を南進し「朝鮮戦争」勃発 1953年7月27日 板門店で休戦協定が調印され 概略ではあるが 現在に至るといった経緯が我が国との関係史として紐解ける。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 30, 2019 08:35:02 PM
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