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妊娠中

●妊娠初期

2005年6月 
何となく胃がムカムカする。もしかして??と思い旦那さんにメール。
その日に妊娠検査薬を買ってきてくれました。
ドキドキしながら検査薬を使ってみると、陽性の線がうっすら出ました。
二人とも赤ちゃんが欲しかったから、その日はニヤニヤにやけてました。

二週間後に近くの大学病院の産婦人科へ。
超音波で小さな胎嚢が確認できました。 
予定日2006年2月20日

妊娠初期は少し出血があったものの、つわりも軽く(食欲はすごかった・・・)順調でした。



●妊娠中期


検診のたびに看護婦さんが心音を聞かせてくれました。
赤ちゃんもどんどん大きくなり、私のおなかも目立ち始めました。

ある日の夜、ものすごくお腹が痛くなり、もしかして陣痛がきてしまったのかも??
不安だし、我慢できなかったので大学病院でみてもらいました。
結果は急性胃腸炎・・・たぶん夕食の何かにあたったとの事。
念のため、赤ちゃんの様子も診てもらいました。
心音もエコーも問題ないので、胃腸の薬をもらって帰りました。
このとき初めて旦那さんが赤ちゃんの心音を聞きました。

この頃、アットホームなお産がしたくて大学病院から個人病院に移りました。

妊娠中期に入り仕事も辞めて、編み物をしたり、育児の本を読んだり、
リラックスを心がけました。



●妊娠後期


お腹がどんどん大きくなりました。でも、赤ちゃんの大きさが標準より小さめ・・・
お医者さんに、子宮の血流が良くなるようにできるだけ横になるように言われました。
そして、31週目に入った日に破水・・・
この日は運よく旦那さんが半休を取って家にいたため、すぐに病院に行く事ができました。
破水してしまうと24時間以内に陣痛がおこる可能性が高いため
すぐに子宮収縮防止の薬を点滴されました。赤ちゃんの推定体重1400g。
この個人病院では対応できないため、翌日に救急車で大学病院に言ってくださいといわれました。


~ここから長い入院生活がはじまるのでした・・・~


個人病院で1日すごし、翌日の朝、近くの大学病院には空きがないため、
1時間かけて大森にある大学病院まで搬送されました。もしもの時の為に助産婦さんも同乗してました。
病院に着くと裸にされて分娩着を着せられ、いろいろな検査を一通り終えると、
何が何だかわからないまま病室まで連れて行かれました。
そこは妊婦さんのICU。ICU?おおげさな・・・っと思ってましたが、
だんだん自分の置かれた状況がわかってきました。

点滴につながれトイレ以外ベッド上絶対安静の生活が始まりました。
35週を過ぎれば赤ちゃんの肺ができる為、生まれてしまっても何とかなるそうで、
35週が私の目標となりました。
この一ヶ月間、一番辛かったのはお風呂に入れなかった事です・・・
週に1回看護婦さんが体を拭いてくれるものの、アカがたまって気持ち悪かった。。
それにICUなので、常に医者や看護婦さんがチェックにやってきます。
ストレスもかなりたまりましたが、赤ちゃんのため頑張りました。
私はクリスマス・誕生日・お正月を病院で過ごす事になってしまいました。

旦那さんも会社帰りにほぼ毎日面会に来てくれました。
家に帰っても洗濯・掃除・ペットの世話と・・・大変そう。。

目標の35週を過ぎ一般病棟に移りました。
一般病棟ではICUのような緊張感もなく、同じ病室の妊婦さんたちと
ワイワイガヤガヤ楽しく過ごす事ができました。
この時のおなかの赤ちゃんは推定体重1700gと小さいままでした。。。
主治医は子宮にいても育たないと判断し、37週に入った日に子宮収縮防止の点滴をはずしました。
6週間ぶりの点滴のない生活!
点滴が漏れるたびに差しかえが辛かった~。
でも、もう自由だ~

この日の夕方ごろから5分おきの子宮の収縮がはじまりました。
いよいよ出産です!!



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