25週2005年6月4日 25週この日、それまで妊婦検診で通っていたクリニックから紹介状を貰って 、 旦那と二人、都内の順天堂大学病院へ行きました。 初めに通っていたクリニックでは分娩施設が無かったのです。 大学病院でなくても良かったのですが、 そこなら私の希望している無痛分娩をしてくれるし、 病院で設備が整っているということで、そこを選びました。 受付を済ませて待合室にいくと、 そこは見ただけでうんざりする程の妊婦さんで一杯でした。 旦那と「1時間は待つな~」と言って、 「暫く呼ばれなさそうだし、どこかいこうか」 そう言って暫く一階のスターバックスで時間を潰すことにしました。 オープンカフェになっているスタバはその日は天気が良くて、気持よく、 旦那とまったりと時間を過ごしました。 この時もう妊娠7ヶ月、25週になっていました。 「今日は性別判定してもらえるよね~」 なんてうきうきしながら話していました。 子供について何の心配もしていませんでした。 駅から近くていいねとか、お店が沢山あっていいねとか そんな話ばかりしてました。 ************* ようやく順番が来て、入るとまだ20代と見える若い女の先生が待っていました。 彼女の事務的な話し方に少し圧倒されながらも、 大学病院なんてこんなもんか、と思っていました。 すぐに超音波になりました。旦那も一緒に見ていました。 途中、胴体の部分が映し出され、先生は暫くじっとそれを見ていました。 私は子供の胸あたりに黒いものがあるのを見つけました。 「その黒いのは心臓ですか?」 と先生に訊ねると、直ぐに 「いいえ、これは胃袋です」 厳しい表情で答えが返ってきました。 その返答の様子に少し違和感を覚えながらも、 あまり気にせず性別分かるかどうかと考えてました。 そして先生は、しばらく超音波を見た後、 近くを通りかかった他の先生を呼び止めました。 呼ばれた年配の男の先生が来て、 二人の先生がうちの子の超音波の画像を見て 深刻な顔で何か話していました。 嫌な感じでした。 若い女の先生が「~ですよね?」というと、 年配の男の先生は「うん・・・」と口をへの字に曲げて考えている様子でした。 私は子供に何か問題があるのではと凄く不安になりました。 そして、その男の先生は言いました。 「この子は病気を持っていますね」 聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。 ********** その後の診察室での話はこうでした。 「病名は『先天性横隔膜ヘルニア』です。」 「横隔膜に穴があいて胃袋が心臓の隣に来ています」 「産まれた後に手術で横隔膜をふさいで、上に来ている臓器を戻してあげなければいけません。」 「来週、よく検査して他に奇形がないかどうか調べましょう。」 先生は淡々と説明ていました。 私の子が奇形? 絶望的にな気持ちで話を聞きながらも、 「奇形」という言葉が使われたのがショックでした。 その瞬間、それまであんなに可愛いと思っていたお腹の子が、 急に得体の知れない生き物のように感じられました。 ********** 待合室に戻り、また呼ばれるのを待っていました。 その時、目の前を3歳くらいの元気そうな男の子が歩いて行きました。 その子を見ただけで、何とも言えない辛い気持ちに襲われ、 頭がくらくらしました。 もうあんな子を手に入れることはできない・・・。 「何で病気になるんや」 隣に座っていた旦那はイライラしていました。 ************* 診察が終わり、入院の案内を聞いているときに旦那と喧嘩になりました。 イライラした旦那は、その後弾みで、 「子供が病気になったのはお前のせいや」 と言いました。 その頃とても仕事が忙しく、私は自分が妊婦であることを忘れ、 夜遅くまで働いていました。 それで夕食を作ることができす、よく喧嘩をしていたので、 旦那は思わずそう言ってしまったのだと思います。 でもその時は、旦那が責任を全て私になすりつけようとしているように思え、 怒りと悔しさで一杯になりました。 病院から駅までの帰り道、旦那とは口を聞かずに後を離れて歩いていました。 悪夢を見ているようでした。 自分の子供にこんなことが降りかかるなんて思ってもみませんでした。 まだ病気のことは良く分かりませんでしたが、 普通の子のように成長できないことは 先生の様子で想像できました。 御茶ノ水駅へ向かう橋、地面を見ながら歩いていました。 「私は障害者の母になるのだ」 悲壮な気持ちで一生懸命、自分に言い聞かせていました。 |