カテゴリ:昭和いろいろ
昭和・平成日本「黒幕」列伝 昭和を動かした闇の怪物、小佐野賢治氏にスポットを当ててみよう。 小佐野賢治(1917年2月15日 - 1986年10月27日没)は、20代から怪物的な実業家であった。「昭和の政商」と呼ばれいたが、田中角栄が裏でバラ撒いた選挙資金をその又裏で出し、田中角栄を総理までに伸し上げた男とも言われている。 田中角栄からは「刎頸の友」と呼ばれていた。 1976年ロッキード事件の証人喚問で「記憶にございません」の連発を飛ばした男。その年の流行語となったのは有名ですね。 1917年 (大正6年) 山梨県生まれ。 1940年 23歳 東京で自動車部品業を創業。徴兵で中国へ出兵するも病気で除隊。軍に取り入り軍需品販売(死の商人)で莫大な富を得る。 1945年 28歳 熱海ホテル、山中湖ホテル、強羅ホテルを次々に買収。 1946年 29歳 東都乗合自動車(現:国際興業バス)を五島慶太から譲り受ける。 1948年 31歳 盟友田中角栄と知り合う。 1961年 44歳 山梨交通会長に就任。 1966年 49歳 富士屋ホテルの経営権を握る。 1969年 52歳 十和田観光電鉄買収。 1973年 56歳 シェラトン・パレス・ホテルを取得。 1974年 57歳 シェラトン・ワイキキ、ロイヤル・ハワイアン、シェラトン・マウイの3ホテル取得。 1976年 59歳 ロッキード事件により衆議院予算委員会で証人喚問。 1985年 68歳 帝国ホテル会長に就任。 1986年 69歳 逝去 政商―、小佐野賢治は、田中角栄のような政治家とのつきあいと同時に、児玉誉士夫をはじめとする闇の人物たちとのつきあいも深かった。政界、財界、闇の世界のすべてにつながっていた一人の男の生き様こそ、昭和を語るにふさわしい。いまだ書かれざる裏面と、その驚愕すべき“悪”のスケールを活写する。梟商 しかし現代のビジネス手法からは考えられない、倒産寸前の会社を 人員削減もせずに次々と企業買収をしてゆくビジネス腕力、哲学は今は見直されつつあるのも確かだ。 ☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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