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テーマ:TVマイブーム(683)
カテゴリ:テレビ評
現在形の批評 #6(テレビ)
・「女系家族」 8月27日、朝日新聞のライター・島崎今日子の「女系家族」(TBS系)についてのコラム。 彼女はこのドラマを俳優良し、脚本良しで「なかなかの出来」と評している。が、「イマイチしっくりこない」理由として舞台が原作の大阪・船場でなく東京に設定したため、「迫力がな」く「物語は味気ないもの」になっていると結論付けている。 果たしてそうだろうか? 私もこのドラマを毎週楽しく見ている。島崎が言うまでもなく俳優、脚本は良いのだ。「エゴと欲望」が渦巻く人間模様がよく表現されている。だったらそれでいいではないか。島崎は無理に大阪を舞台にすれば「ステレオタイプ」になり「腹が立つ」と言ってるにも関わらず、だ。 このドラマの核は何か。それは米倉涼子扮する浜田文乃の魅力に尽きる。嘉蔵の愛人として子供を身ごもっただけで満足で、遺産やその他一切を必要としないと三姉妹に言い切った彼女だが、真意は他にあるはずだ。今週こそ米倉の本章が出るぞ、と思いながら見るのがこのドラマの見方である。いわば感情移入の役どころを引き受けており、ころっと態度を急変させて切り替えした時にこそ私たちはカタルシスを覚えるのだ。 下手な大阪弁を語られると、特に大阪出身の者ならばそういう見方は出来なくなるのだ。別に大阪に舞台を移すドラマがあってもいいが、このドラマの場合はその必要がないのであって、土地色を出したいのであれば東京の下町あたりに設定すれば済む話である。 「ステレオタイプ」になるのは大阪弁だけが原因になるのではなく、見え見えの演技と脚本だからである。こういった類のものを「説明的」と言うのだ。その点、行動が読めない浜田文乃という人物と、見事に演じきっている米倉涼子の存在の果たす功績は大きい。 原作が作品世界を最も表現していると思うのは戯曲第一主義の「新劇」と同じなのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 13, 2007 10:54:09 PM
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