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カテゴリ:演劇評論
現在形の批評 #13(演劇評論)
今日まで何千、何万人という若者が劇団を組織し、その内外で俳優、劇作、演出家を志向してきた事実は確固として存在するが、彼/彼女達が自由に劇団を旗揚げし、独自の演劇スタイルでもって活動ができるのは、「アングラ」という今では死語となっているかもしれない冠を科せられた演劇人達の功績に拠る処が大きい。 状況劇場(六二~八五年)-唐組(八五年~)-、早稲田小劇場-八五年にSCOTに改名し、現在はSPAC-という劇団で一九六〇年代後半以降に活動を始めた主宰者の唐十郎、鈴木忠志がその代表者である。「アングラ(アンダーグラウンド)・小劇場演劇」と呼ばれる語彙は、非商業ベースに乗った商品に対する既成価値観を確立した権力側からの揶揄を込めた<地下>という意味である。それはもちろん演劇だけではなく、ATG映画や音楽でも同様であり、当時の若者達によるそれらの表現がいかにラディカルであったかの証拠とも言えよう。演劇では他に寺山修司の天井桟敷(六〇~八三年)、三劇団(自由劇場・六月劇場・発見の会)による移動劇場用のセンター(拠点)として結成された、演劇センター68/69-68/71黒色テントを経て黒テント―や蜷川幸雄、清水邦夫、石橋蓮司らが結成した現代人劇場(六八~七一年)・のちに櫻社(七二~七四年)-、太田省吾の転形劇場(六八~八八年)といった劇団が同時期に活動を始め、まとめてアングラ第一世代として現代演劇の新しい潮流を持ち込んだのである。 彼らの劇団は何が新しく、且つ何を理念として標榜したのか。それは明治期以降、イプセンやチェーホフといった西洋近代劇を輸入紹介し、演出家を頂点として俳優とスタッフが戯曲を正確に解きほぐして咀嚼し、登場人物の心理・感情を第一義的に思考して演じ、それをまた観客へと伝えることによってある種のカタルシスを与えるリアリズム演劇であるところの”制度”としての新劇を批判したのである。この手法は戯曲=作者を頂点とし、俳優は観客へ戯曲の文学性(文章で書かれた台詞で形成されたテーマ性)を伝えるための通低器でしかなかったのである。そのことを鈴木忠志は次のように記述している。 「それまでの新劇を中心とした現代劇は、ひとつの使命感に支えられた啓 蒙運動という側面をもっていた。演劇行為がなにほどか新しい社会建設 を担う人たちの精神的な支えになるというものである。そして、そうい う信念はただ単に創造者側のみならず観客の側にもあって、そこにはあ る種の連帯感が成立していたといってよい。」(注一)(鈴木忠志 『騙 りの地平』) 唐十郎や鈴木忠志が新劇に対して行った演劇活動はまずなによりも俳優の身体をその拠り所としたのである。しかし、決して戯曲を無視したわけではなく、書かれた台詞を身体によって肉化して取り込むことによって、自由になろうとした。「作為された集団が非日常的な共同性を獲得し、その質によって日常的現実に侵犯的に向かい会う」(注二)(鈴木忠志 前出)ために俳優それぞれ固有に持っているであろう「生活史」を基調とした濃密な劇集団を「集団性を背負ったことば」でもって創り上げる。また、そこに観客の想像力を介在する余地を設けていたために相互にスパークし、一回性の濃密な劇的想像力が創出されたのである。その理論を唐十郎は「特権的肉体論」として、佐藤信は「運動の演劇」、寺山修司は「見世物の復権」と呼び、規制の演劇を批判し、乗り越えようとしたいわば<格闘と闘争>を六〇年代後半に実行したのである。 その理念は今も生きており、今年の春に公演した唐十郎作・演出「唐組」公演『鉛の兵隊』を観ることで身をもって確認した。唐十郎の紡ぎだす舞台の最大の特徴は、舞台と観客が織り成す想像力が無限大に膨れ上がり、豊かな時間を創出する演劇の本質を物語る劇団である。それを作り出す要素としての特異な劇空間と役者はどこにも誰にも真似ができない。 私はその現場に対峙した時、なぜ舞台を観るのかを考えさせられた。その理由は役者を媒介として観客自身の自己とは何かを探るためではないか。しかし役者に自己投影する事とは違う。鏡に映ったものは反対なように、決してそっくりそのまま目の前の役者にはなれない。日常生活に埋没する中で見失いがちな自分を客体化しするためである。テレビでは毎日ニュースで社会の真実を伝えているかのようで、それも編集加工したフィクションを見ているにすぎない。だが演劇はフィクション(戯曲)を肉体で編集加工(表現)された時、特別の真実がある。その真実は役者の人間性であり生きざまかもしれない。観客にとってもその真実は、時にダイレクトに切実な問題として訴える「何か」があるのだ。演劇におけるリアルとはそういう事である。再び鈴木忠志の記述から、アングラ・小劇場演劇の特徴及び、そもそもの演劇の本質を説いている箇所を引用する。 「一九六〇年代後半以降に活動を始めた演劇人は、演劇とはどこかむこ うの方にあるものではなく、好きなときに、好きな場所で、好きなよう に、好きな人を集めて成立させることができる個人的な行為であり、ひ とりの人間とそこに立ち会うもうひとりの人間がいれば成立する、もっ とも原始的かつ素朴なコミュニケーション以上でも以下でもないものと とらえていたということである。」(注三)(鈴木忠志 前出) 彼らの運動は新劇に対してのそれであったにも関わらず「政治的な領域から文学的な領域へ七〇年安保闘争で権力に徹底的に叩き潰つぶされた人々が、屈折して流れ込んだことが、演劇の領域内とはいえ、権力に対峙していた唐を支持する潜在的な基盤になった」(注四)(山口猛 『同時代人としての唐十郎』)と記述されているように既成政治に反発することでこの世の不満、不条理を告発しようとした当時の大学生を中心とした若者と、既成演劇に対抗した演劇人がシンクロしたことで、時代の代弁者・無頼者として最前衛へ押し上げられたことがここから読み取れる。 その後、七〇年代、八〇年代とアングラ・小劇場は第二世代・第三世代と変遷しながら着実に時代を代表する演劇人を輩出してきた。八〇年代の演劇は、メセナやスポンサーがついた冠公演が増え、経済主導型になった時代であり、芸術性よりも集客力のあるエンターテイメント志向の若者劇団に人気が集中し、九〇年代に登場した平田オリザ-青年団(83年~)-を筆頭とした、いわゆる「静かな劇」に至り、唐や鈴木のようなアングラの臭いはもはや感じることがなくなり、彼ら第一世代の土着精神、芸術性を引き継いだ演劇人系譜というものがなくなる。代わりに多様な価値観が雑多に存在する時代性に符号を合わせるかのように平田的演劇や松尾スズキ-大人計画(八八年~)-やケラリーノ・サンドロヴィッチ-劇団健康(八五~九二年だが〇五年一時復活)を経てナイロン100℃(九三年~)-らのナンセンスコメディが台頭している。 良くも悪くも第一世代は健在であり、新作舞台を創り続けている。しかし、90年代-もしかすると80年代後半から兆候はあったのかもしれない-以降の新しい演劇と彼らとの断絶が認められるのは、やはりアングラ世代の求心力が低下したからではないだろうか。時代を経るにつれて唐十郎は新劇人しか与えられていなかった岸田戯曲賞を受賞し、鈴木忠志は海外公演を成功させ、蜷川幸雄は商業演劇へと進出していき着実に社会認知を受け、異端児であった存在はいつしか安定性を獲得して大家へとなっていく。つまり牙を抜かれてしまうのである。それでも第二世代のつかこうへい-つかこうへ劇団(七四~八二年)を経てつかこうへい事務所(八九年~)、竹内銃一郎-劇団斜光社(七五~七九年)を経て秘法零番館(八〇~八九年)-、第三世代の野田秀樹-劇団夢の遊眠社(七六~九二年)を経てNODA・MAP(九四年~)-、川村毅-劇団第三エロチカ(八〇年~)-、第四世代の鴻上尚史-第三舞台(八一~〇一年・十年間封印中)等へと世代が続いたのも、何らかの影響を受けた上で舞台創りをしてきたからである。今日では世代で括ることもできないほど劇団の数は膨大に増え、多種雑多な作風が存在している。アングラのアングラたる所以の思想が濾過され、どの色にも染まる純粋液としての「演劇」だけがあり、その中にかつてのアングラ世代も存在しているというだけなのかもしれない。 (その2へ続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 13, 2007 11:11:38 PM
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