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テーマ:芸能ニュース(19452)
カテゴリ:テレビ評
現在形の批評 #27(テレビ)
人気blogランキングへ 賞をSHOW UP化するな 『橋田賞』に触れながら 10日、第14回『橋田賞』が発表された 受賞者・作品は以下の通り。 滝沢秀明・泉ピン子・村田雄浩・米倉涼子・仲間由紀恵 『火垂るの墓』『熟年離婚』・NHK教養番組『歴史の選択』 遊川和彦(脚本家) こういったテレビを対象としたものや日本映画を対象とした「日本アカデミー賞」は、映像俳優が受賞するためにどうしてもワイドショーと連動されて報道されるに嫌悪感を覚える。 もちろん受賞は俳優個々の成果の現れであり、それ自体喜ばしいことなのであろうが、私がいつも思うのは、カメラのフラッシュで眩い壇上に上がった途端、一人の俳優=役者としての「私」ではなく、大衆の羨望を一身に背負い、常に自身を虚像として取り繕わなければならぬ「公」としての、つまり芸能タレントとしての立居振舞を余技なくされてしまうことの悲劇である。なんだか受賞式そのものも芸能タレントの商品価値の向上とそのためのパフォーマンスの場に見えてしまう。 橋田壽賀子氏は選考には関わっていないとのことだが、では一体誰が選考委員なのかがメディアを通して何も伝わってこない。我々には結果としての受賞者一覧と受賞者コメントが華々しく伝えられるのみである。厳正な選考を行ってはいるはずだ。何時頃に第一次選考が行われたのか、それによって誰が、どの作品が残ったのか、途中講評も含めて発表すべきではないかと思う。 選考委員の話とも連動するが、「広く大衆に支持され感動を呼び起こした、芸術性豊かでなおかつ放送文化の振興・向与した番組や人に送られる賞」が理念の『橋田賞』ならば、受賞者・作品の何が、どこを評価されたのかをなぜ伝えないか疑問である。専門家であるはずの選考委員が表舞台に出、自身の言葉でもって尚且つその場で受賞理由を述べたときにはじめて受賞者共々、この賞の重みが伝わるというものだ。ひいてはそれこそが、芸能タレントではなく一人の俳優=役者として改めて己を省みる絶好の場となるはずだ。そんなことより、芸能情報の連続として話題を提供する。放送業界に携わる者の役割を果たしているではないか、という声も聞こえてきそうだ。それは開き直りであり怠慢でしかないとあえて強調しておこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 11, 2009 03:15:06 PM
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