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Oct 29, 2006
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カテゴリ:劇評
現在形の批評 #45(舞台)

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宇宙堂 『夢ノかたち 第二部 緑の指』
唐ゼミ★ 『ユニコン物語 溶ける角篇 (台東区篇より)』

10月18日 精華小劇場 ソワレ
10月21日 京都・立誠小学校 ソワレ

夢ノカタチ

ユニコン物語


大家の手中からの挑戦


唐十郎が「状況劇場」を創立したのは1963年、紅テントによる上演形態で新宿花園神社に衝撃的な異貌性を伴って登場したのは1967年(88年より「唐組」)。方やその唐十郎の影響を受け、女流演劇人の主流を担う渡辺えり子が「劇団2OO」を結成したのは1978年である(80年から98年まで「劇団3OO」)。


もはや死語となった60年代後半以降台頭した「アングラ演劇」は、今日まで続く現代演劇の系譜に見られるように決定的な革新性と影響力を与えた。破天荒な自由さで時代の暗部を暴露し討つカウンターカルチャーとしての文化はだが、自由を仕掛け設える一人の代表者がミニ天皇よろしく中心に陣取り、劇団員をはじめ、座組の関係者を煽動する明らかなヒエラルキー制度という矛盾を内包したものであった。それは、現代まで続く劇団の集団原理にも引き継がれてきた。いや、そういった集団体制はアングラのみならず新劇にも当てはまるのであり、そのことが集団維持・統制を目的とする上で逃れられない宿命であるならば、その究極として国家を抱く我々を規定するものであると言えよう。今回取り上げる2つの劇団についても、その辺のことについて考えてみたい。


座内ヒエラルキーとは、劇団創立時に同等の権限を所有し合っていた主宰者と俳優との関係性が、(潜在的優位性は当初からあるとしてもそれはあくまでも「劇団代表」という役割以上のものではない)戯曲や演出というとりわけ評価されやすい分野を担っているがために演劇賞を受賞する等の業界内における地位向上や収入による格差、あるいは劇団員の退団・入団に伴う年齢やキャリアによる、代表や古株団員達との格差がもたらす動脈硬化のことを指す。責任の大部分を担わざるをえない主宰者や演出家が劇団の在るべき方向性を明確に定め、そこへ向かって煽動していく必要がある以上、その絶対的なカリスマ性と、そこに人が集まるのは自然なことである。問題となるのは芸術理念を追求するはずの劇団が年数を立つ毎にあたかも法人企業のように独立採算制を考慮し始めたときに陥る芸術と興行との間のアンビバレンツな領分に突き当たった時である。それは、佐藤郁哉が『現代演劇のフィールドワーク』で記したように、日本のように歴史的な観点からみて俳優・劇団のプロフェッショナル化(演劇で飯を食う)が成立し難い制度がもたらすジレンマだといっていいだろう。


そこで「宇宙堂」と「唐ゼミ★」である。かつて運動として台頭していた「アングラ演劇」を知らない若い世代が、その系譜にあたる集団で、あるいは中軸に据えて集団を形成することの意味とは何だろうか。両方の劇団に所属する俳優達は世代の全く異なる演劇人の手中にいるという点で共通性が認められるものの、少々事を異にする。唐十郎という大家の作品を専門に上演するが為、別個に劇団を創立した「唐ゼミ★」がユニークなのは、「宇宙堂」での、劇作・演出家が創る絶対的な支配者による世界観という手中に、どうしても劇団員達は身を置かざるを得ないという事態からの自由度が高い点である。それは詰まる所、「唐ゼミ★」には中野敦之という劇団主宰者にして演出家と俳優が唐十郎へ対峙するという構図が大きな意味を持っているということに尽きるのだ。


「唐ゼミ★」は、年齢の近い横浜国立大学の唐十郎のゼミ授業を母体としているため、代表者である中野敦之と俳優達の間にはあうんの呼吸に集約される緩やかな相互拘束が存在していると思われる。確かに唐十郎の作品を上演するための劇団である以上、彼の影響下から免れる事はない(今作の『ユニコン物語』も唐十郎によって「台東区編」として改作されている)。しかし、だからこそ唐十郎という存在を尊敬しながら且つ対抗し、乗り越えていく気概と技術的能力を日々鍛錬しなければならないという高次元に設定された共通目標を達成しなければならず、それが集団の連帯する力を自然に外部へと向かわせている稀有な劇団として位置しているのだ。大家の影響下でありながら異なっているというのはそういう意味である。


「アングラ」色の匂う2つの劇団で活動する若い世代達について述べることになる。「唐ゼミ★」代表の中野敦之は、劇団創立の理由について、唐十郎と「対話」し「会話の共通項を探ること」が目的だった事を劇団HPに書いている。なぜ対話を求めたのか。おそらく、何を考えているのか、あるいは自分達をどう見ているのか想像だにできない、「圧倒的な他者」でありながら、狼狽しつつも異貌性が発する不思議な求心力の謎を知りたいという欲望を抱いたからではないだろうか。この時の「対話」とは自ら歩み寄って思考し、その幅を無限大に拡大する可能性を、「対話」という名の「格闘」を通して見ようとする意思であったはずだ。


そう、学生だった彼らの存在原基を揺さぶったのは「他者性」であり、他者から差し向けられる鏡象としての自己の新たな発見を大家と出会ってから以降、見出したに違いないのである。それは俳優が舞台に立ち、演技をし、それを観客という他者に向ける行為と同義であり、表現することの根拠として唐十郎が触媒となって与えたと言えるだろう。そのことに関して言えば「宇宙堂」での渡辺えり子の存在は、「唐ゼミ★」ほど顕現化してはいないが、同質の役割を果たしているはずだ。「宇宙堂」公演『夢ノかたち』で見せた、特権的肉体論やグロトフスキの演技論をその場で、この身体を駆使して全力で体現してみせた若手女優達、「唐ゼミ★」公演『ユニコン物語』での「ヒーロー」「ヒロイン」が一角の付いた自転車に跨り、現実的に不可能であるはずの光よりも早く走ることを、有り余る想像力を持ってすれば成せるはずと語った俳優達。大家から提出された課題に対抗しそれを徒手空拳で立ち向かい、劇的想像力へと昇華させようとする意志と演劇に対する直截な信頼を感じさせる、この2つの場面に直面した他者としての私の心もまた、大きく揺さぶられたのは言うまでもない。


興行的採算性を度外視した次元からいくらも自己を拡大していってほしいと願う。






Last updated  May 2, 2009 11:37:22 PM



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