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Nov 16, 2006
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カテゴリ:劇評
現在形の批評 #46(舞台)

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AI・HALL+岩崎正裕 『ルカ追送~中島らも「ロカ」より~』

11月11日 AI・HALL マチネ

ルカ追走


ダブルネックギターの言霊


死者とは、現在形で年を重ねる生者達の人生の糧として、いつまでもその時の状態を保存したままで閉じ込められ寵愛されるものである。頭に思い浮かべるのが有名人でも知人・親族であってもいい。思い浮かべた人達と共に想起される、生前のテレビ・雑誌メディアでの活動、あるいは親しい人との生活が突然に切断されてしまうことに対し、生者側が抱く取り残されたような侘しさの心情が、死者を記憶の中へ幽閉へする。そして急逝、夭折した人達にしばしばカリスマ性、神秘性という要素を伴って語られるのは、それは「もう居ない侘しさ」に加え、生前行っていた主義主張が志半ばで頓挫されざるを得なかったこと、それ以後の動線が想像させる活動への期待が実現不可能になったことに対する悔やみが追加されるからである。盲目的に何かを貫き通そうと奮闘し続けた姿に私達は敬愛と恋慕の念を持って己の糧にするのだ。


『ルカ追走』は、近未来私小説と名づけられた中島らもの『ロカ』という未完の作品をベースにして、小説家・コピーライター・エッセイスト・劇作家・歌手・俳優と多方面に活動してきた氏への、構成・脚本・演出の岩崎正裕による恋慕の念を投影した好舞台であった。私は原作小説は読んではいないが、ダブルネックのギターを愛用する落ち目のシンガー、小歩危ルカが根城にしていた新宿のホテルから突然失踪するという『ロカ』のはじまりの部分である『バンド・オブ・ザ・ナイト』に描かれた印刷会社へ就職した時のエピソードや「もち」と第されたコント等、私が知る中島らもを思わせる要素が多分にコラージュされている。


照明美を武器に幻想的な演出が魅力の岩崎の演出が遺憾なく発揮されている。ブルーの鮮やかな照明と、舞台開始直後の大量に原稿が散らばった空間、その2点だけ見ても光と影が可視的に表現されており、見事な演出となっている。ただ岩崎自身、『ロカ』の物語を自分が解釈し、完結させようとはしていない。それはラスト部分、小歩危ルカを死なせていることからも分かる。絶筆の小説は誰にも完結させることは出来ない。したがって劇の主眼は中島らもの何に岩崎は感銘を受け、恋慕の念を抱こうとするのかに注がれる。それを岩崎は「ROCK」を愛した男という側面から浮かび上がらせたのである。


個人的な話になる。音楽面での中島らもに私はあまり強い印象がない。CDやライブ活動をしていることや、自伝『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』は確か学生時代フォークに熱中したことが書かれていた、くらいの記憶を引っ張り出そうとすれば可能な程度である。それよりも私がいたく中島らもに感心したのは『最後の晩餐』(00~02 読売テレビ)という深夜テレビで見せた文化人タレントとしてのそれである。中島らもを含む5人のタレントが毎週週替わりの企画に取り組むこの番組を私は欠かさず視聴していて、黒いサングラスを掛け、落ち着いたトーンで朴訥とした喋り、時として危なっかしく思わせるつたない動き。そういった中から発せられるコメントや仕草に私は何度となく笑わせられた。独特なアトモスフィアーを持っているとしか言い表す事のできない画面内の人柄は共演の笑福亭鶴瓶を食ってしまうくらいの時もあった。著作を読むようになったのはそれからである。


だから音楽を機軸に紡がれる舞台は新鮮であり、万華鏡のように多変化してきた中島らもはどの一面から見ても魅力を損なわないことを発見した。小歩危ルカを3人の俳優(寺田剛史、奇異保、亀岡寿行)が学生時代、会社員時代、老境時代とその時々に応じて入れ替わりに演じる。3人の中では特に奇異保の、細面の風貌と退廃的な思想、それでいて女には不器用な優しさを持つ小歩危ルカを古沢クク(中田絵美子)との居酒屋でのやり取りで見せるが、これはまさに中島らもを彷彿とさせる好演技であり、見逃してはならない印象的なシーンであった。


ロックを愛するシンガーとしての小歩危ルカから強調させられのは反骨と平和の精神であり、ダブルネックのギターが重要なアイテムとして舞台に終始存在感を保ちつづける。それはブルーカラーのこのギターこそが紛れもなく中島らもという人物がまるごと内包された遺物であり、人から人へ渡ることで次第にその思想が瀰漫していき、劇の幕切れ『いいんだぜ』という名曲を登場人物全員が熱唱する時、得も言われぬ感情に捕われてしまう。ダブルネックのギターの奏でる音が中島らもの言霊として舞台空間を覆ってしまった瞬間であった。ダブルネックの一本は常人から浮世離れした生活から成り立つ人間性を、もう一本は誰しもが理屈では理解しながら、積極的に関わらず穏便にその場を済ませ素通りしてしまう、反骨・反戦・反差別とのため行動し、実行に移してきたリベラリストとしての一面のシーニュである。そのことの顕現が岩崎の込めた中島らも観であったのだろう。多彩な人物象を大筋で一点に絞ったことがこの舞台の成功だったと言る。


出版だけに留まらず演劇での動きとして今後も、中島らもの戯曲の上演等、関西に異才がいた事を掘り起こす試みが持続し、発信されることを願う。






Last updated  May 7, 2009 02:17:16 PM



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