2011/03/24(木)19:18
原点の祈り その2
今、東北の人たちのために
そして原発被害軽減のために
各地でいろいろな人たちが祈りを捧げています。
宗教家でも神秘家でもない人たちが
心をひとつにして東北の人たちのことを心配しています。
なんとか、一人でも多く、一日でも早くと。
そして私は、弁才天さまのお膝元で
山の神、水の神、森の神、
そして森の木々に祈ることにしたのです。
そんな「祈り」がいったい何になるのか・・・。
箕面まで行く電車賃を、
東北の人たちのために寄付した方がよっぽどマシだと言われるかも知れません。
寄付はあとからでも出来ますが、
私は今は、祈りたいと思ったのです。
あれから1週間が経った3月17日、
私は再び箕面へ。
地震のあった11日、「原点に帰る」と、息巻いて箕面・滝道に乗り込みました。しかし駅に着いた途端、激しい雨に見舞われました。まるで「本気で来る気があるのか?」と、試されていたかのように。滝道に続く坂道には、早春の陽がさしているのに
私の回りだけ雨が降っているみたいな気がしました。
改札口を出た人たちは、躊躇することなく
傘もささずにどんどん街へ出て行く・・・。 「あなたのそばに行かせてください」私としては、かなり殊勝に弁才天さまにお願いしてなんとか山に入ることができたのでした。そして17日は・・・、なんと雪。
ふと、帰ろうかとも思いました。
でも、東北の被災者のみなさんのことを思えばこんな雪・・・
私にはコートも、手袋もあって
そして帰る家も暖房もある。
私が寒さに耐えたり、少々濡れたからといって
被災者の方々が助かるわけではありません。
でも、行かなければ。
■3月17日 原点で祈る
「じたばたするでない」
山の神は言う。
「いったいどれほどの長きに渡り
ここで水を生み、木々を育んできたかわかるか?」
そう。
人間という存在も、その営みも
自然の雄大さや地球の歴史と比べればちっぽけなもの。
私たちは、自然も季節も何もかもコントロールできるなんて
大きな勘違いをしていたのかも知れない。
木々の顔色を見て
もう大丈夫かも知れない・・・。
ふと、そんな風にも思った。
しかし、こんな声も聞こえたような気がした。
「ただし、己のケツは己で拭け・・・」
原発のことだろうか。
箕面の弁才天さまも
山の神、水の神も、その日は何も語らなかった。
ただ木々たちはささやき合っていた。
旧友のpow-powや龍樹は試すような目つきで言葉を濁す。
「できるか?心をひとつに・・・」
「やってやるとも」
仮想空間やディスプレイの中で
呑気な顔したアバターたちだが
みんな見えないタスキをかけている。
そこには「東北ガンバレ」「負けるな」と書いてある。
アメーバPiggでピンクや青の義援金Tシャツを着た連中が
ポカンと口を開けて上を向いている。
その先には義援金の赤い風船が飛ぶ。
その他のウェブサイト、SNS、そして携帯のゲームサイトにも
義援金募金の呼びかけが掲載されている。
登録者たちはプロフの欄に、自己紹介の代わりに
「被災者の方々頑張ってください」などと書いている。
日本で最も忍耐強い人たちが
雪の舞う寒空の下で、一生懸命に耐えている。
彼らに、「私たちがついているゾ」とみんなで言おう。
日本中の人たちが今、心を合わせ
優しい気持ちになっている。
日本で最も忍耐強い人たちだけど
彼らには今、救けが、日本人の救けが必要なのだ。
愛国心という言葉が教科書から排され、
国歌や国旗に背を向ける一部の教師たち。
愛国心や君が代や日の丸が戦争を起こすとでも言うのか。
愛国心のない国は滅びるだろう。
私はこの国が好きだから、滅ぼしたくはない。
私はこの国が好きだから、
この国の誰ひとり不幸になって欲しくない。
お金を寄付できる人、ボランティアなどの行動を起こす人。
だけど何にも出来なくても、東北の復興を願い、祈ることは出来る。
現地で奔走するレスキュー隊も、
これから活動しようとするボランティアたちも
何らかの支援活動に参加する人も
お金や支援物資を寄付する人も
ただTVを見ているしかない私たちも
その思いはみんな同じだと思う。
日本中がひとつになる。
必ず大きな力になるだろう。
山の神、水の神、そして森の神々も
きっとそれを期待しているのだと思った。
「あのなぁple、お取り込み中わるいんやが・・・」
「え?」
「オイラ、椿ちゃうねんけど・・・」
「お、つばきくん、隣にいるのは椿か?」
どうやら「彼女」らしい。
「そのカワイ子ちゃんには『ハルちゃん』て命名しよう」
「なんで?」
「なんでって・・・、その、あの、春やしな(^∇^)」
椿と言えば、脇道でこんな光景をよく見かける。
道に落ちた椿の花を
柵の上に並べているのだ。
最初に見たときは、子供の遊びかと思った。
しかし、何度もこういう光景を見る。
きっと誰かが始めて、
またそれを見た誰かがマネしているのだろう。伝染するのは病気ばかりではなく善意だって愛だって伝わって行くのだろう。
こんなちっぽけなことでも、心が和む。
誰かのために出来ること、
私たちにもきっとある。
3月24日の「祈り」につづく .