主夫えいちゃんの子育てブログ

2005/07/02(土)21:02

わかったこと

 子供に対する無条件の愛というものは、親になってみて初めて わかるものだと思う。当然と言えばそうかもしれない。  なんだって、経験してみないと実感として理解できないものだから。 頭で理解できるものではない。    よく、育児ノイローゼという言葉をきく。子供が泣き止まなかったりすると、 なぜかとてもイライラしてきたり、いたたまれない気持ちになって、 つい子供に暴力を振るったり、自分自身がノイローゼ、うつ状態になったりして、 育児不能・放棄に陥ってしまう。  個人事業の私たち夫婦としては、お互い協力しながら子育てをしている。 妻が仕事をしている間は自分が付きっきりで面倒をみている。多くの父親 のように仕事ばかりで育児ができない状態ではない。初めての自分の子供が 生まれてから自分はどのようになるかは予測がつかなかった。  本当にかわいがれるのだろうかと。なぜなら、トラウマがかなり深いと 自覚している自分にとって、子供はいろいろと自分の中にあるトラウマを 刺激してくるからだとあらかじめ予想していた部分があったからだ。    しかし、生まれてからもう5ヶ月になり、その予想は今のところ外れた。  また、同じように自分自身の5ヶ月間は両親自身も育児ノイローゼとか にはならなかったであろうし、自分と同じように子供(自分)をかわいがった ということがわかったような気がする。なぜなら、人は通常、親にされたこと を繰り返す。育児ノイローゼの親はそのまた両親も育児ノイローゼだった可能性 が強い。いくら我が子がわんわん、ギャーギャー泣こうが自分の感情を刺激され ることはまずない。    なぜこのことを引き合いに出すのかと言えば、自分は今まで自分がうまくい かない原因を両親のせいにしてきたことが多かったからだ。多くの書物や心理 セラピストをしていていかに両親の影響が大きいかはよくわかっているし実感 しているところだ。しかし、自分は親に虐待されたとかという記憶はないし、 逆に自分の両親は共々とてもやさしい人である。妹もどこか性格が偏ったりし ているところはなくとてもより良く育ってきた感じだ。  でも、自分は家族の中で浮いた存在だった。そして、自分よりもまわりがなっ ていないと思っていた。でも、そうじゃない。自分がなっていなかったのだ。 その事が虹輝が生まれてから理解できたように思う。  じゃあ、なぜ自分はなっていなかったのか。それは、自分の生まれてから一番 最初の体験。難産、未熟児、2ヶ月間の保育器体験に帰結するのだろう。    今まで、両親のせいにして母親を泣かせたこともあった。  ごめんなさい。  生後半年で喘息になり、その苦労は初めて、我が子を抱いて理解できました。  でも、それは深いところではわかっていたこと。  そして、そのような自分を許します。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る