猫たちの思い出に
昨日2月22日は「猫の日」だった。ニャンニャンニャン、と遊び心ある呼び名が、いつの頃できたのか私は知らない。「猫カフェ」などというカフェがあり、人気があるようなので、「猫の日」という日もおそらく愛猫家たちや商人の発想だろう。 我が家にはもう猫たちはいない。クロ(雌猫である)を親として、子や孫たちが生まれたが、みな長生きして天寿をまっとうした。 女性なのにクロという名はヘンだと思うかもしれない。ギリシャ神話の「ダフニスとクロエ」、フランス語でChloé, ファッション・ブランド「クロエ」のあのクロエを縮めた名前である。我が家では「天才クロ」と思っていた。猫離れした猫、人語を完全に理解し、豊かな「心」をもっていた。 動物と人間との「交感」などあり得ないと考える学者(?)もいるようだが、それはその人の人間性が動物たちに見抜かれているから、と言えなくもない。学術的(?)論説として公言する前に、信頼できる映像を含む膨大な実例と自分自身とをしっかり観察するほうが先かもしれない。 さて、「猫の日」の一日遅れになるが、我が家の猫たちの思い出に、昔の私のスケッチと彼らをモデルに装丁のために描いた絵を掲載しよう。クロ、ミーコ、チョンコ、ルル、チーコ 「猫団子」1986年ミーコ 1987年 クロの長女。逆子で生まれた。クロは出産に苦しみ、生まれるまで4時間ほど要した。私が付ききりで励まし、出産を手伝った。それ以来、クロは人語を理解するようになった。また数年後に重病になり、身体はボロ雑巾のようになった。病院でも安楽死を勧められた。が、私はクロに「きっと救けるよ」と言い、病院から器材を借り、自宅で毎日添い寝をしながら2ヶ月ほど看病した。クロの片目は熱のために溶けてしまったが、ついに完全快復にこぎつけることができた。病院の院長先生は「奇跡」と言った。私はその言葉を容認しない。ただ、器材を無償で貸してくださったことに感謝した。 ミーコはおもしろい猫で、戸袋の小屋根などにのぼっているのを、下から「おいで」と両手をさしのべると、立ち上がって自分も両手をさしのべて私の腕につかまった。クロとサチとフク「ノーサイド」誌(文藝春秋)のためのスポット(カット)クロ、ミーコ、チーコ (蝶はウラナミアカシジミ。私の小学生時代の思い出の蝶) 花輪莞爾「猫鏡」(平凡社)装丁画。この装丁は1992年ブルノ・グラフィック・ビエンナーレで選定され、同展カタログに1ページ大で掲載された。コタン(この名前はアイヌのコタン(村)の熊祭から連想。亡父が笑いながら「なるほどね」と言った。)「イギリス・ミステリ傑作選 '83年版 伯父さんの女」(早川書房)の装丁画