山田維史の遊卵画廊

2006/05/18(木)04:44

私のジャンヌ・モロー

 ジャンヌ・モローが、諸外国から絶賛された『ゼルリンヌの物語』という芝居の来日公演を承知し、また自身が強くそれを望んだのは、それより5年前の1985年に第一回東京国際映画祭での日本の観客の反応を実感していたかららしい。そのとき彼女は、自身の監督第2作目の『ジャンヌ・モローの思春期』を、「女性映画週間」に出品するために来日した。  しかし『ゼルリンヌの物語』公演が実現するまでにはなかなか大変だったようだ。さすがに国際スターというべきか、彼女の過密なスケジュールを調整することは困難をきわめ、彼女の強い意志でようやく1990年の1月30日から2月19日までの来日スケジュールができたのは、公演4ヶ月前であったという。もちろん、どの劇場にもすでに空きがなく、新宿のシアターアプルは先約者が格別の好意で譲ってくれたらしい。  ちなみにこの来日公演は、2月2日から7日までシアターアプルで、9日に大阪天王寺の近鉄劇場、10と11日も大阪国際交流センター、13日から15日まで京都府立文化芸術会館、というスケジュールだった。  4ヶ月前に来日が決定したというのだから、私がなんの情報ももっていなかったのは納得できる。のみならず私自身が多忙な日々をおくっていた。雑誌連載広告に使用した作品のスポンサー主催の個展が終了したばかりで、さらにその作品の一部を中部電力碧南火力発電所がオープンを準備していた「たんとぴあ」というテーマ館に収蔵したいという申し出があり、そんなことの打ち合わせや準備に追われていたのである。  それはともかく、私は息せき切って初日のシアターアプルに駆けつけた。当日券がのこっているとは思わなかったけれど、確かめないで諦めるわけにはゆかない。そして、昨日話したように、たった一枚残っていたのである。開演15分前だった。  当然ながら良い席ではなかった。最後列である。しかも右隣に、フェイクの革の上下スーツ、コートまで革製のものを着たバカな男が坐っていて、身じろぎするたびに「ギュッ、ギュッ」とその服が鳴った。革服なんて午後5時以降に着るものではないし、まして劇場に着て来る服装ではない。洒落たつもりであろうが、とんだ見当ちがい。腰回りや腿にゆとりがない仕立てだから、坐ると窮屈らしく、やたらに動くのだ。そのたびに「ギュギュッ」「キュルキュル」と、うるさいこと。  私はあるとき能楽堂で、開演中におしゃべりが止まない客を、「おだまりなさい!」とドスをきかせて一喝したことがある。国会図書館のリファレンス・ルームでも年輩者を一喝したり、公徳心のない輩やデリカシーに欠ける無礼者は、よくやっつけるのだ。しかしこの革服の場合、まさか「その服をお脱ぎなさい!」とも言えないので、堪忍した。  『ゼルリンヌの物語』はヘルマン・ブロッホの原作。ドイツ語で書かれていて、『女中ゼルリンヌの物語』というのが正しい。フランス語に脚色したのはアンドレ・R・ピカール。演出はドイツのクラウス=ミカエル・グリューバー。  この演出家については、ヨーロッパ演劇に詳しいかたなら、この前年の1989年のパリのシーズンは、あっちの劇場こっちの劇場で彼が演出した出し物がかかっていたことを御記憶かもしれない。いわば引く手あまたの人気演出家である。フランスきっての大女優ジャンヌ・モローを演出するに何の不足もあろうはずがなかった。  登場人物はふたり。ただし相手役の若い男は昼寝の最中で、彼が投宿している貴族の館に長年仕える女中ゼルリンヌが話しだした物語の聞き役。あいづちを打ちながらの短いセリフが10ばかり。デンマーク出身のペタ・ボンケという俳優が演じている。つまりこの芝居はほとんどジャンヌ・モローの一人芝居といってもよく、彼女のセリフ術や極度の集中力でできあがっている。  ジャンヌ・モローが貴族の館の女中を演(や)るとなれば、私はすぐさまブニュエル監督の『小間使の日記』に出演していたジャンヌ・モローを思い出す。私はこの映画を、昔新宿にあったアートシアター蠍座で、三島由紀夫の切腹映画『憂国』の併映作品として観た。そのことも述べてみたいが、今日はとりあえず止めておく。フランスの新聞『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の当時の批評のなかに、ジャンヌ・モローの女中ゼルリンヌは「彼女が一生をかけて演じてきた数々の登場人物のなかから、その集大成とも言うべき人物を見い出した」と述べているようだ。  物語はこうだ。  言われるままに男爵家の館の女中になったゼルリンヌは、あるとき男爵に乳房を触られるが、男爵はただそれだけの思い出を彼女に刻んだだけで、男爵の高潔な魂は愛のない男爵夫人へ夫として生涯の貞節を捧げていた。ゼルリンヌは館にやってくる前、将軍の家に仕えており、従卒たちに若い欲望の身をまかせたこともあった。しかしいまや青春は過ぎ去ったのだ。男爵夫人の身のまわりの世話をするようになって直ぐの頃、夫人が妊った。そして女の子を出産したが、この子は男爵の子ではなく、若い美貌の男の胤。赤ん坊が生れて2ヶ月後に、その男は再び館を訪れるが、赤ん坊とは無関係という素振りをするばかりかゼルリンヌに対して欲望の目をむけるのである。  ゼルリンヌはその男を恋するようになり、「狩猟小屋に行こう」と誘われるままについて行き、身をまかせる。その狩猟小屋は男爵夫人がこの男と密会するために、男をそこに住まわせようと考えた場所だった。ゼルリンヌの心のなかには男爵への想いや、妊娠し出産した男爵夫人への嫉妬や女としての競争心があった。私の躰は男を歓ばせるのだ、そういう手管だって心得ている、と。  男に身をまかせながらゼルリンヌは歓喜する。しかし、それは一瞬のことだった。あとには虚しさだけが残った。男は男爵夫人には長い手紙をよこすのに、ゼルリンヌには梨の礫。ゼルリンヌは夫人へ届いた男の手紙を盗み読みする。男はあの狩猟小屋に、ひそかに女を住まわせている。男爵夫人はそれを知りながら、男を引き止めるために知らぬふりをしている。  ある日、男からゼルリンヌに手紙が届く。「狩猟小屋に来い」と、ただそれだけの。  そして起った殺人事件。狩猟小屋で女が殺されていたのだ。犯人はあの男。そしてこの事件の裁判長は男爵。ゼルリンヌが盗んだ手紙は決定的証拠。----  「40年前、あの方が私の乳房をつかんだ。----そして、私が愛したのは、あの方ただひとり。私の生涯をかけて----、私の魂をかけて----  「せっかくのお昼寝を、私のお喋りで邪魔をしてしまいました。もう少し、うたた寝をなさいませ」  ゼルリンヌはそう言い残して部屋をでてゆく。  ジャンヌ・モローは、やわらかく低い声で、ゆっくり語る。それは重厚な忍耐である。セリフとセリフの長い間(ま)。その恐ろしいような緊張が張りつめた時間。  寝ている男のために、彼女は林檎を剥く。林檎の皮が垂れ下がってゆく時間。皮を剥きながらその林檎を無言で見つめる彼女の、凝縮されてゆく人生。優しい残酷。一瞬ほとばしる暴力性。  ゼルリンヌが暴き出したのは上流階級の偽善と脆弱さだけではない。彼女自身が埋もれてゆく人生の深い闇である。  ジャンヌ・モローの描き出した女たちというのは、強く確固とした意志の肖像であったと言える。それはまた女優としての彼女自身と重なるものだったのではあるまいか。この『ゼルリンヌの物語』の企画が彼女にもちこまれたとき、彼女はゼルリンヌに確かな共犯関係を見い出したとつたえられている。  このひとの女優としての存在感というか、映画の場合の画面のひきしめかたというのは、ほんとうに驚嘆にあたいする。私はトリュフォー監督の『大人はわかってくれない』のなかに、ほんの1カット、通行人として出演していたジャンヌ・モローを忘れることができない。この女優の舞台を直に観ることができたことは、私の喜びなのだ。

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