山田維史の遊卵画廊

2006/05/19(金)08:17

白と黒

 さきほどまで、つまり午後9時から11時まで、CATVで1963年の堀川弘通監督の映画『白と黒』を観ていた。43年ぶりに観た。推理映画として実に良くできている。脚本は橋本忍。  この作品はDVD化されていないらしいので、TV放映を見られたことは私には幸いだった。43年前に観て、記憶に焼き付いている二つのシーンがあり、私としてはその記憶が正しいかどうかを確かめたいと想いつづけてきたのだった。そして、今日、それが確かめられたわけだ。記憶は正しかった。  しかし一方で、記憶違いにも気がついた。それはこの映画を観た場所である。私はこれを八総鉱山小学校の講堂兼体育館兼土曜日の夜の映画館で観たと想っていた。しかも、そこで観た私にとっては最後の映画だと。ところがさきほどあらためて堀川監督のフィルモグラフィーを調べたところ、『白と黒』の公開は1963年4月10日となっている。私たち一家が10年間暮した八総鉱山を去ったのは、3月28日だった。公開日の4月10日という記録が正しければ、そこには2週間のずれができる。----これは、どうしたって、私の記憶違いと考えるしかない。  私たち一家が八総鉱山から去るとき、タクシーで鬼怒川まで行き、東京経由で札幌に向った。私は高校2年生を終了したばかりで、大学受験を見込んだ残りの一年間をそのまま会津若松に一人で残って暮すことにしていた。そのため、家族は札幌へ引越してしまったが、私は1週間ばかり札幌で過しただけで、すぐに再び会津へ戻ってきたのだった。『白と黒』を観たのは、おそらく会津若松に戻って間もなくだったのだろう。  記憶にあることと、いま事実と分かったこととの2,3週間のずれは、この頃の多忙の日々と環境の変化のせいかもしれない。いや、会津若松での高校生活はそれまでと何等変りわなかったのだけれど、おそらく内心は不安定だったのだろう。  その当時書いた『一日』という短い散文詩が、その私の不安定さを表わしているかもしれない。       『一日』    茶碗の中に俺の神経がいっぱい詰まっていて、青    い陰影がいっぱい揺れている。俺は日に焼けた畳    を、蟻喰のように、舐めまわしたい衝動を一生懸    命抑えつけながら、茶碗の中を見つめている。こ    の滑稽な光景に病室の黴臭さが積って行く。しん    しんと積って行く。病室の窓にはレースのカーテ    ンを掛け、更にその上に厚いギャバジンのカーテ    ンを掛ける。一日中、日のささない湿った臭い。    しかし、畳はこんなに日に焼けているというのだ  さて、会津若松で『白と黒』を観たとなると、その映画館は神明通りにあった「栄楽座」だったのだろう。しかし、観た場所を間違えて記憶していたくらいだから、いまそれが訂正されても、蘇って来る周辺映像はない。ただ、映画のなかの二つのシーンは、私の記憶にあざやかな映像として刻まれたのだ。  この映画は、タイトルが出る前に、ひとつの殺人シーンから始まる。  仲代達矢扮する青年弁護士は、師でもあり共同事務所の先輩でもある弁護士の夫人(淡島千景)と、長い年月の不倫関係にあった。青年弁護士はおそらく別れ話を切り出したのであろう、夫人に「男妾」と罵られ、あげくのはてに夫人を絞殺してしまう。彼は逃走するが、途中で顔見知りの若者に姿をみられ言葉をかけられる。  事件の捜査にあたったのは西村晃扮する警部、そして検察庁の担当官は落合検事(小林桂樹)。高名な弁護士の夫人が殺害されたのだから、担当官にはある種の気構えがあった。しかし、事件は意外にもすぐに解決してしまった。挙動不審の男を尋問しようとしたところ、男は逃走したのだ。捕まえてみると宝石泥棒(井川比佐志)で、しかも盗品は弁護士夫人の持物だった。問いつめると、初めはしらを切っていたのだが、ついに夫人殺害を認めたのである。  腑に落ちないのは青年弁護士の方である。このまま口を閉ざしてすめば、足手まといでわずらわしくなっていた夫人の軛から脱出できたことだし、いま婚約中の美貌の彼女(大空真弓)との結婚もうまくまとまるだろう。しかしもともと優秀な弁護士の彼としては、心に次第にのしかかってくるものもある。夫人の葬儀後の火葬場で、彼は猛火の中で崩れる夫人の柩の幻をみる。のみならず彼は、この殺人事件の「犯人」の国選弁護士として裁判を担当することになった。法廷で彼は、「犯人」の死刑が確定して絞首刑になる幻を見る。バタンコが開いて、首に綱をまかれた囚人が落下してくるイメージである。    この後の展開については推理映画のルールにのっとって、述べることを止めよう。2転、3転、4転というドラマがつづく。  ところで私が43年間忘れることがなかったシーンというのが、青年弁護士の幻想。すなわち、火葬場の焼却炉のなかで火焔につつまれて焼け崩れる柩。わずかに夫人の骨が見える、そのシーン。そして死刑囚がバタンコ落ちする衝撃的シーン。それは、法廷の机に坐ってうつむく青年弁護士のシークエンスにいきなりインサートされる。画面右上から、何か蓋が開いたと見た瞬間、首を綱でくくられた男がドサリと落ちて来るのだ。たちまちその映像は次の画面に変ってしまう。まさに一瞬のシーンで、それだけに観ている私の衝撃はおおきかった。そして、そのふたつがそのままの映像で記憶されていたのであった。  私はこの記憶をたしかめるだけでも、堀川弘通監督にお会いしたかった。以前も書いたと思うが、私が世田谷に住んでいたころ、その近所には黒澤監督邸や山田洋次監督邸や深作欣二監督、あるいは三船敏郎邸や石原裕次郎邸があり、堀川監督邸は我が茅屋の斜向いだった。青少年時代の私なら、怖じけることなくずうずうしくその門をたたいたかもしれないが、もう若気の至りと言ってはいられない年齢になっていた。極近くに居て、敬愛の念だけで過してしまった。  『白と黒』が公開された翌年、1964年の3月、私は大学に入学して上京したのだが、きょう映画を観て、そのころの東京の風景が撮影されていて、なんとなく懐かしかった。新宿か新大久保あたりの国鉄(現在のJR)のガード付近や、霞ヶ関の検察庁だった。また、小道具に「hi-lite(ハイライト)」が出てきた。落合検事の愛用するタバコがそれだ。このタバコは国産で初めてのロングサイズ。1960年の6月20日に発売されていた。パッケージのデザインは和田誠氏である。たしか吉田茂もこのタバコを愛用していたと聞いた覚えがある。吉田茂といえば上等なハバナ葉巻を銜える姿が有名だが、どうもしょっちゅう葉巻ではなかったらしい。吉田茂がポケットから、あるいは羽織の袖から、空色のハイライトを出す姿を想像するとちょいと愉快である。  それはともかく、『白と黒』のなかのハイライトは、当時の観客で気が付いた人がいれば、たぶんオシャレな小道具と思ったかもしれない。現在から見ると、それは画面の中にきっちり時代を表現していると見ることができよう。  主演俳優の脇を俳優座のベテラン俳優たちが大挙して固めている。千田是也、小沢栄太郎、三島雅夫、永井智雄、浜田寅彦の各氏。そして菅井きん氏。こういう顔ぶれを見ると、いかにも大人の映画と言いたくなる。厚みのある、確かな演技が、安心して見ていられる映画的日常のリアリティを作り出している。  私は大学時代はこれらの俳優が出演する舞台を見るために、お小遣をひねり出しては劇場へ通ったものだ。千田是也氏は日生劇場での『ファウスト』でメフィストフェレスを演ったのを見ている。ファウストは平幹二郎。マルガレーテは岩崎加根子だった。  というわけで、ひさしぶりに邦画を観たが、おもしろい作品だった。  

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