山田維史の遊卵画廊

2011/06/08(水)12:54

小さ神と小さ子に触れながら

博物学・歴史(76)

 昨日書いた伯父のもとを訪れた「小さい人たち」について、伯父の日常がいかにしっかりしたものであったにしろ、認知症の症状にすぎないと一刀両断にすることはたやすい。それですめば、私はなにも伯父の恥をさらす必要はなかった。  私が興味をもったのは、それがたとえ幻覚にしろ、日本古来の伝承ないし説話に登場する「小さ神」あるいは「小さ子」の系譜に思いをいたすからである。伯父の見ていたモノが、「小さ神」や「小さ子」だというつもりはない。しかし、そのような系譜につらなるような「イメージ」を、自らの末期をまぢかにして、日常的に「見ていた」ということに関心を抱かない訳にはゆかないのである。  「小さ神」とは、粟の穂に飛ばされて常世の国に行った少彦名神(すくなひこなのかみ)のこと。奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)に祀られている。この「小さ神」は、民間説話のなかの、たとえば日本霊異記に出て来る道場法師や、下って御伽草子のなかの一寸法師のルーツと考えられている。すなわち「小さ子」である。一寸法師、踵太郎(あくとたろう)、豆助、五分太郎・次郎、一寸小太郎。それらはみな「小さ子」である。さらにその類縁にあるのが、桃太郎であり、瓜子姫であり、かぐや姫である。  これらについて詳しくのべる余裕はない。ちなみに、集英社文庫【荒俣宏コレクション】のなかの『短編小説集』は、荒俣氏の唯一の短編小説集であるが、このなかの『福子妖異録』は「小さ子」に材をとったもの。おそらく荒俣氏は、御伽噺こそ小説のルーツと考えて、この短編集によって御伽噺の復権をめざしているのであろう。私の好きな荒俣小説だ。  「小さ子」は、私見によれば、江戸時代になって一層俗化し(あるいは逆説的に聖化して、とも言えるが)、子供の姿から大人の姿である「豆男」として、性愛現場の目撃者となる。もともと「小さ子」は善悪併せ持つ、・・・あるいは優しさと残虐さを併せ持つ、あるいは両性具有的な存在である。ジョルジュ・バタイユではないが、エロスを「死にいたる生の高揚」ととらえれば、大人のすがたなのに豆粒みたいな「豆男」が、性愛現場に入り込んで生の高揚の営みの目撃者になったとしても一向に不思議ではない。  さて、私はもうすこし伯父の様子を書いておく。伯父が見ていた「小さい人たち」は、服装などは「唐子(からこ)」のようであったらしい。伯父のもとを訪れて遊んでいたけれど、伯父はその様子を嬉しそうに眺めていただけであり、一緒に遊んでいたわけではない。まるで縁先に小鳥が来て遊ぶのを眺めるように、見ていたのだ。「よくおいでなさった、よくおいでなさった」と。僧侶らしい居ずまいで。・・・この姿を、家人たちは、ボケてしまったとは誰も思っていない。自分たちに見えないモノを見ているとは思っても。このことは書いておくべきだろう。  人間とは、げに面白きかな、である。

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